【特集】『ドラゴンクエストⅠ』徹底解説|日本RPGの原点が作り出した伝説とは?

※使用している画像は「ドラゴンクエストⅠ HD2D」のものです。

1986年――ファミコンの世界に“ロールプレイング”という言葉を広めた伝説のゲームが登場した。それが『ドラゴンクエスト』。

たった一人の勇者が、竜王に支配された世界を救うために旅立つ――。今見ればシンプル。でも、その“はじめの一歩”が、すべてのRPGの始まりだった。

このページでは初代「ドラゴンクエスト」について詳しく解説して行く。

『ドラゴンクエストⅠ』とは?

基本情報

  • 発売日:1986年5月27日(日)
  • 対応機種:ファミリーコンピュータ
  • 開発:チュンソフト
  • 発売元:エニックス(現:スクウェア・エニックス)
  • ジャンル:ロールプレイングゲーム(RPG
  • シリーズ:ドラゴンクエストシリーズ

ストーリー

舞台はアレフガルド

かつて伝説の勇者ロトが魔王を倒し、光の玉を王に授けて平和をもたらした。

しかし時が経ち、魔王「りゅうおう」が現れ、光の玉を奪って世界を闇に包んでしまう。

さらに、ラダトーム王の娘「ローラ姫」がりゅうおうの手下にさらわれてしまう。

プレイヤーは、ロトの血を引く若き勇者としてラダトーム城に現れ、王から「光の玉を取り戻し、りゅうおうを倒して世界を救ってほしい」という使命を託される。

こうして勇者ひとりの旅が始まる。

シナリオ進行と探索の流れ

本作の目的は、ラダトームから奪われた「光の玉」を取り戻し、魔王「りゅうおう」を倒して世界に平和を取り戻すこと。これが一貫したメインクエストとなっている。

町の人との会話や看板のヒント、洞窟の探索を通じて次の目的地が明かされる「探索型RPG」の典型例。

ストーリーが完全に一本道というわけではなく、「どこに行くか」ある程度自由度があるのもポイント。

途中、王女の救出やロトの石板(伝説の勇者ロトの教え)を発見するなど、物語に深みを与える小エピソードも散りばめられている。

これらがプレイヤーのモチベーションとなり、単なるレベル上げとは別の「意味ある探索」を促す。

ゲームシステム

プレイヤー操作と世界

  • ゲーム開始時、プレイヤーは「勇者(名前入力可)」を操作し、ラダトーム城から旅をスタートする。
  • 世界マップは当時のRPGとしては非常に自由度の高いワールドマップ構成で、町・城・フィールド・洞窟などを自由に移動できる。敵の強さがルートによって変わるため、ある程度の順序を踏む探索が推奨される。
  • 敵との遭遇はランダムエンカウント方式。画面上に移動している最中に戦闘が発生する。探索中は地形(砂漠、洞窟、海岸など)や移動距離に応じて遭遇リスクが上がることもある。
  • 町や城では「武器屋」「防具屋」「道具屋」「宿屋」といった施設があり、装備を整えたり体力・魔法を回復したり、情報を収集する拠点として機能する。探索と戦闘の合間に、こうした「立ち止まって準備」という流れが設計されている。

バトル・戦闘システム

  • 戦闘はターン制。プレイヤーがメニューから「たたかう」「どうぐ」「じゅもん(この作品では「まほう」)」「にげる」を選択。勇者1人で戦うという構造が特徴的。
  • 勇者の「レベル」が上がることで、HPやMP・こうげき力・しゅび力・すばやさなどのステータスが向上する。これにより戦力が上がり、より強い敵に挑めるようになる。
  • 敵を倒すと経験値とゴールド(お金)が手に入り、ゴールドを使って武器・防具・道具を購入できる。この装備強化が、育成・探索・戦闘の三位一体部分。
  • 負ける、つまり勇者のHPが0になると「死亡」扱いとなり、王城や宿屋に戻される形式。ペナルティとして所持ゴールドの半分を失うという仕様もあります。これにより「やられたら立て直す」という緊張感があった。

成長

  • 勇者が敵を倒すことで「経験値(EXP)」を獲得する。一定量のEXPをためると次のレベルになる。
  • レベルアップにより、HP・MP・力・素早さなどが上昇しする。
  • なお、プレイヤーが最初に入力する「名前」によって、初期ステータスおよび成長タイプ(どのステータスが伸びやすいか)が隠し的に決まっている。
    • 「名前による成長タイプ」は、ある名前ではHPが伸びやすかったり、別の名前ではすばやさが伸びやすかったり、という“成長の個体差”的な楽しみがある。
  • 装備やアイテムだけでなく「育てて強くなる」というRPGの楽しさをくっきりと体感できる構造設計になっている。

装備

  • 装備できるのは主に「武器」「防具」「」の3つのスロット。いずれも町の武器屋・防具屋で購入するか、特定のダンジョン・イベントで入手する必要がある。
  • 装備品を替えると戦闘時の攻撃力・防御力・特殊効果が変化する。つまり「レベル上げ+良い装備を揃える」が成長+攻略の鍵。
  • 特に「シリーズを象徴するレジェンド装備(ロトの剣・ロトのよろい など)」はストーリー進行・探索要素とも結びついており、装備収集そのものが冒険の一部になっていたりする。

主な登場モンスター(魔物)

スライム

本作で初登場し、本編・外伝作品含め全ての作品に登場しているシリーズを象徴するマスコット的存在。ちなみに全作品皆勤賞はスライムとメタルスライムの2種類のみ。

弱いけれど可愛い」デザインが幅広い層に愛され、以降の作品で多数のバリエーションが登場。

ラダトーム周辺に最弱クラスの敵として登場し、初心者が最初に出会う確率が高いモンスターであり、最初の“育てる・倒す”体験を担ったパイオニア的存在。

堀井雄二氏は、もともと「ただのヌルヌルした物体」というイメージだったスライムを、デザイン担当の鳥山明氏が「涙型のしずく型フォルム」にしたことで印象深いキャラクターに変わったと述べている。

ドラクエの世界でもまだ万人の支持を受けているらしい。

メタルスライム

金属のボディを持つスライム系モンスターで、外伝シリーズも含めて皆勤賞。

出現率が低く、逃げやすい性質を持ちつつ、倒すと通常より格段に多くの経験値を獲得できるため“レベル上げのターゲット”として伝説的存在と言える。

HPがかなり低い(3など)一方で防御力・回避率・耐性が異様に高く、普通の攻撃が1ダメージしか与えられないこともあり、倒せた時の嬉しさは規格外。

りゅうおう/竜王

本作のラスボスとして君臨。勇者の旅の終点として、強敵かつ象徴的な存在。本来は世界の守護者のはずが闇に染まってしまった。

ストーリーの頂点に立つモンスターとして、RPGにおける魔王像の原型とも言える。「魔王を倒して世界を救う」というRPGの定型構造をこの作品で確立したとも言われ、りゅうおうはその頂点に位置する。

まず「青紫な肌をしたローブ姿の魔王・魔法使い的な人型」から登場。

そして、戦闘中に深いダメージを負うと真の姿として「巨大な紫色のドラゴン」へ変身する、というプレイヤーを驚かせる構成が取られています。

この「人型→ドラゴン型」の切り替えがプレイヤーに強い印象を残している。

ゴールドマン

金色のゴーレム系モンスター。金色のレンガで構成されたゴーレム型。明確な顔・目・四肢を備えた、ゴーレム族の系譜に属するモンスター。

特筆すべきは「高額のゴールドを落とす」という性質で、プレイヤーにとっっての金策の対象だった。

見た目もゴージャスなので、登場しただけでもプレイヤーを興奮させる特別な存在。

ドラクエの世界でも「お金が足りない旅人によく狙われる」という設定がある。

ドラキー

コウモリ型の飛行系雑魚モンスター。丸い胴体にコウモリの翼、ふたつの小さな牙を備えたコミカルかつ怪しげさのあるフォルムなのだが、可愛げがあり人気のあるモンスター。

HP・攻撃力ともに最弱級ではないがそこまで強くもないというバランスで、「スライムより少し注意する」対象という位置。レベル1の時に遭遇するとやや危険だったりする。

実は、本作のパッケージイラストには雑魚モンスターを代表する形で小さく描かれており、シリーズ開始当初から「雑魚敵の顔」として記憶されている。

ドラゴン

鳥山明氏によるデザインで、緑色の鱗に覆われた古典的なドラゴン。大きな翼・鋭い爪・牙を備え、全体的に西洋竜を意識したフォルムをしている。

本編ではローラ姫をさらった張本人として登場し、勇者が旅の途中で姫の行方を探すクエストがあり、その頂点にいるのがこのドラゴンである。

ドラゴンとの戦いはプレイヤーにとって最初の「本格的な強敵戦」であり、装備・レベル・回復呪文を駆使する必要があるため、『初めての総力戦』として多くのプレイヤーの記憶に残っている。

キメラ

ハゲワシのような頭と翼に蛇の身体を持つ、まさにキメラなデザインをしたモンスター。

地上と空をまたぐ敵”として登場し、火炎系ブレスを使用する雑魚の中ではそれなりに強いモンスター。

キメラの名前を冠したアイテム「キメラのつばさ」は、このモンスターが落とす羽を素材とする設定。プレイヤーが空を飛んで町へ戻るというファストトラベルができるアイテムで、「モンスター由来の便利アイテム」という文化の始まりとも言える。

開発の背景と誕生秘話

時代背景と企画の出発点

1980年代前半、日本の家庭用ゲーム機市場が拡大しつつある一方で、RPG(ロールプレイングゲーム)作品は主にパソコン(PC)向けが中心だった。

例えば、ウィザードリィウルティマいった米国発のPC RPGが日本のゲーム開発者に影響を与えていた。

そのような中、エニックス(現在の スクウェア・エニックス)は1982年にプログラムコンテストを実施し、若手のゲームクリエイターを発掘。そこで本作クリエイターである堀井雄二氏が注目を浴びたというエピソードがある。

堀井氏は「もっと多くの人が気軽に遊べるRPGを家庭用ゲーム機で作りたい」という強い意志を持っており、PC向けRPGは操作やシステムが複雑で、「初心者」にはハードルが高かったため、ファミコン(家庭用ゲーム機)で手軽に楽しめるRPGを模索していた。

企画・開発体制

開発をチュンソフトが担当し、エニックスから発売された。

堀井雄二氏がゲームデザイン・シナリオを担当し、アートデザインに鳥山明氏(『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』等で有名)が参加、音楽にはすぎやまこういち氏が抜擢された。

堀井氏は「ファミコンではゲームオーバーになると再びコインを入れて…という仕組みではなく、じっくり遊べる設計にしたい」と考え、家庭用機の特性を活かしたゲーム設計を実践した。

システム設計上の意図・工夫

堀井氏は「初心者でも取っつきやすいRPG」を目指し、操作や進行をわかりやすくすることに注力したという。

画面の切り替えスピードやメニューの使いやすさなど、細部までテストを重ねたと言われている。

また、PC向けRPGにある複雑さを避けるため、町→フィールド→洞窟→魔王城という段階的な構成を採用するとともに、レベルアップの初期をやや簡素化し、初心者でも「強くなった実感」が早く得られる仕様にした。

システム上、複数キャラクターを操作する案も出ていたが、当時のハードメモリ制約などがあり、最終的に「ひとりの勇者が旅をする」という単一パーティー構成になった。

アイデアの根源・影響元

堀井氏らは、前述のウィザードリィ(ダンジョン探索・ランダムエンカウント)や ウルティマ(俯瞰視点・自由移動)から着想を得つつ、これらのPC RPGのエッセンスを家庭用ゲーム機向けに「遊びやすく」再構築することに成功。

更に鳥山明氏によるモンスター・キャラクターデザインは、キャラクターや敵を親しみやすく印象的にし、これが「日本的RPGらしさ」の視覚的土台になりました。

また、すぎやまこういち氏の音楽も、RPGにおける「世界観演出」の重要性を示すものとなり、ゲーム音楽の定番ジャンルのひとつになりました。 今でこそ「クラシック=RPG」は鉄板の組み合わせだが、当時は斬新だった。

誕生秘話・エピソード

堀井氏は、ファミコンでのRPG開発に際して「ゲームオーバー=即終了」というアーケード的設計を避け、再開可能な遊びやすい設計を重視している。

また、「名前による能力成長の違い」というシステム的な細工も初代で導入されており、プレイヤーに“自分だけの成長”という感覚をもたらす。

これは後のシリーズでも言及されるトリビアである。

企画初期、PC向けRPGの移植案も検討されていたものの、家庭用ゲーム機の普及とプレイヤー層の広がりを重視し、ファミコン向けに設計されたことが、後の日本RPG文化の大きなターニングポイントになった。

なぜ"RPGの既存の"として評価されるのか

初代のドラゴンクエストは「家庭用ゲーム機で遊びやすいRPG」というジャンルを確立し、ファイナルファンタジーなど後世の数多くのJRPG(日本製RPG)に影響を与けた。

例えば移動・戦闘・成長・装備・物語という流れは多くの作品のテンプレートとなっており、操作性・シナリオ・世界観・音楽といった要素を総合的に「初心者でも楽しめるように」構築した点が、専門家からも高く評価されている。

開発スタッフ

堀井雄二(ゲームデザイン・シナリオ)

1954年1月6日、兵庫県洲本市(淡路島)に生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。

大学卒業後はフリーライターとして文章・原稿などを手掛けつつ、1980年代初めからゲーム業界へ関わりを持つようになる。フリーライター時代に漫画研究会に所属し、漫画原作や雑誌投稿を行っていた背景が、後のストーリーテリング・世界観設計に影響を与えていると言われている。

1982年、当時のエニックス(現スクウェア・エニックス)主催のプログラムコンテストに応募し入選。これをきっかけにゲーム制作の道へ入ったとされている。

1983年にはアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』を手掛け、この作品が後のRPG型ゲームの構想に影響を与えたとされる。

ドラクエ1では、「ゲームデザイン」「シナリオ構成」「世界観構築」といった中心的な役割を果たす。彼の目的の一つは「家庭用ゲーム機で“手軽に遊べるRPG”を作ること」。

当時、PC向けRPGが「複雑」「専門的」とされていた中、堀井さんは「ゲーム初心者でも楽しめるように」という意図を持って、操作・導入・進行の設計を行った。

また「町から世界マップへ、冒険・探索・戦闘・成長」という流れをゲーム設計に取り入れ、以降の多くのJRPGの雛形とも言える構成をドラクエ1で確立した。

堀井さんは「主人公がひとりぼっちで旅をする」構図を重視。ドラクエ1ではパーティーを組むことなく、ひとりの勇者が世界を救うという形になっているが、これは当時としてはユニークな選択だったと言える。

家庭用ゲーム機の特性を活かし、複雑なコマンドや長時間プレイを求めず、子どもにも理解しやすいメニュー構成・戦闘画面構成を採用した。

また、プレイヤーがどこに行くか、どの順番で進むかをある程度自由に選べる構造も、堀井さんが意図した「旅している感覚」を醸成する工夫だった。

ドラクエ1の成功以降、シリーズは日本のRPG文化を牽引し、堀井さんはそのシリーズ全体にわたってクリエイティブな軸として君臨。

ゲーム業界において「家庭用RPG=ドラクエ型」という構図を確立した功績は非常に大きく、ゲーム研究・文化論の文脈でも「堀井雄二=日本RPGの父」の一人として語られている。

その影響は、ゲームデザインだけでなく、音楽・キャラクターデザイン・物語・プレイヤー文化(交換・攻略・冒険)という多方面に及ぶ。

鳥山明(キャラクターデザイン)

1955年4月5日、愛知県清須市(旧・清洲町)に生まれ。高校では工業系(デザイン・工業科)を学び、卒業後に広告代理店でポスターデザインなどの仕事をしていた。

1978年、『ワンダーアイランド』でプロの漫画家としてデビュー。 

1980年に『Dr.スランプ』で大ヒットを飛ばし、1984年から『ドラゴンボール』の連載を開始。漫画・アニメ・グッズなど世界的なムーブメントとなった。

ドラゴンクエストシリーズでは「モンスター・キャラクターデザイン」を担当。初代ドラゴンクエストの世界観を形づくるビジュアル面で大きな影響を与えている。

彼自身は「RPGというものをあまり知らないまま“デザインを任された”」というエピソードも語っており、斬新な視点からキャラクターを創出できた背景が伺える。また、「1枚の絵でも読める」「ゲームの中でも“見て楽しい”」という視点から、キャラクターデザイン・モンスター造形において“立っているだけで個性が伝わる”ことを意識していたようだ。

また、魔物の目は必ずプレイヤー目線と合うようにデザインされている。

鳥山さんのデザインは、丸みを帯びた線、親しみやすい表情、ユーモラスなモンスター造形などが特徴で、その後の多くの日本RPGに影響を与えた。

すぎやまこういち(音楽)

1931年4月11日 東京府下谷(現・東京都台東区)生まれ。東京大学教育学部卒業。 

ドラクエシリーズの音楽を発売初作から担当し、後年もほぼ全ての作品に参加。

古典・ロマン派~バロック的な要素を取り入れ、楽曲構成がシンプルながらも耳に残るメロディを多数創作。  ゲーム音楽における「ここぞ」という場面(ボス戦、物語のクライマックス、町から世界へ出るシーン)での“盛り上げ”を意識し、メロディ・和声・リズム設計を行っていた。

また、ゲームという体験において「音がプレイヤーの感情を引き上げるもの」であるという信念を持っており、そのためにテレビ・アニメ・映画向けで培った作曲技法をゲームにも投じている。

中村光一(ディレクター・プログラマ)

1964年8月15日生まれ、香川県丸亀市生まれ。

高校時代からプログラミングに親しみ、1982年にエニックス主催のプログラミングコンテスト「ゲーム趣味プログラムコンテスト」に応募し、入選。

1984年4月9日、ゲーム開発会社 チュンソフト を創立(当初5人規模)し、以降ディレクター・プログラマーとして数多くのゲーム開発に携わる。

彼のプログラミング・技術面の貢献は、当時ハード制約の中で「フィールドマップ」「戦闘システム」「命令メニュー」などを家庭用ゲーム機に落とし込む作業であったと伝えられている。

中村さんは「プログラミングのプロ出身」という背景を持ち、ゲームにおけるシステム部分・効率化・構造化を強く意識していたとされる。

例えば、ドラクエ1の「金を半分失う」「死ぬと戻される」というペナルティシステムにも、開発当時の「遊びやすさ・遊び続けさせる」という意図があったという発言している。

また、同氏が創立したチュンソフトは後に「謎解きアドベンチャー」「ローグライク」「サウンドノベル」といった多様なジャンル展開を牽引する開発集団となり、彼が初期に培った技術力・設計力がその基盤となった。

売上データ

  • 日本国内における最終的な販売本数は約150万本 。英語版・海外版も含めた世界規模では、日本国内で約150万本・世界で200万本以上を売り上げている。
  • シリーズ全体では、2025年時点で累計で約9400万本を超える出荷本数が報じられている。

※海外での販売数の信頼できるデータが少なく、「200万本以上」という数字も“以上”という曖昧な表現です。

社会への影響

ゲームが子供の”社会現象”化

シリーズ全体に当てはまる話ですが、ドラクエを含めた作品は発売時の行列、学校での話題、雑誌・テレビでの取り扱いなど「遊び」以上の存在になる。

特に学校では入手した装備の自慢や、攻略情報の交換などが盛んに行われていた。またそのコミュニティが更なる口コミの拡散に広がったと言われている。

商品展開・グッズ市場への波及

本作で登場したモンスター(たとえばスライム)が、ぬいぐるみ・キーホルダー・食品コラボなど商品化され、ゲーム産業が単なるソフト販売にとどまらないメディアミックス・キャラクターライセンス市場を拡大。

メディア・音楽の側面でも影響を持つ

ゲーム内BGMや演出が注目され、ゲーム音楽のコンサート化や交響曲の演奏など、ゲーム文化が「芸術・演奏会」と結びつき始めたこともドラクエシリーズを通じて見られる現象である。

社会的・教育的視点でも話題に

ゲーム体験の中で「冒険」「自分で考える」「成長する」というテーマが提示され、学習・自己表現・物語体験としても遊びを超えた価値を持つものとして論じられることがある。

たとえば、企画者自身が「人生をロールプレイングゲームとして生きよう」という発言をしているインタビューがある。

「ゲーム=敷居が高い」というイメージを下げた

初代ドラクエは「家庭用ゲーム機で初心者でも楽しめるRPG」として設計されたため、多くの一般ユーザーをゲームジャンルに引き込む。

まとめ

1986年に誕生した『ドラゴンクエストⅠ』は、単なる1本のRPGではなく、「日本におけるロールプレイング文化」そのものの出発点だった。

堀井雄二さんが生み出した分かりやすい冒険構造、鳥山明さんの親しみやすいキャラクターデザイン、そしてすぎやまこういちさんの壮大な音楽。

それぞれの要素が重なり、ファミコンという小さな世界に「冒険という体験」を宿しました。

この作品が示した“勇者として旅立ち・成長し・魔王を倒す”という物語の型は、後のゲーム、アニメ、映画にまで影響を与え、今なお数多くの作品にそのDNAが受け継がれている。

ドラクエ1で振り返ることは、「ゲームがただの娯楽ではなく、人生や夢を映す鏡になっていった過程」を振り返ることでもある。

──そして今日もまた、誰かが

おお、◯◯よ。死んでしまうとはなにごとだ!

の言葉に微笑みながら、ロトのしるしを胸に新たな冒険へと旅立っているのだ。

kou

暇つぶしにブログを始めて気が付けば8年目。FF、バイオ、ポケモンなどを愛する会社員ブロガー。

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kou