メジャーリーグの歴史に残るスター選手の中でも、特に多くのファンから愛されたのが ケン・グリフィー・ジュニア である。
美しいスイングから放たれる豪快なホームランと華麗な守備を武器に、1990年代のメジャーリーグを代表するスーパースターとして活躍した。
グリフィー・ジュニアは走攻守のすべてを高いレベルで兼ね備えた万能選手であり、特にセンターの守備は歴代屈指とも評価されている。
通算630本塁打を記録しながらも、ファンに親しまれる明るい人柄と楽しそうにプレーする姿勢で絶大な人気を獲得した。2006年には得票率99.3%で殿堂入りを果たした。
「ザ・キッド」の愛称で親しまれた彼は、多くの少年たちの憧れの存在だった。その華やかなプレースタイルと圧倒的な実力は、今なおメジャーリーグ史上最高の外野手の一人として語り継がれている。
1997年のケン・グリフィー・ジュニア
1997年4月には打率.340、打点30、本塁打13本と猛打を見せ、4月中に13本塁打を放った史上初の選手になった。
シーズン通算では打率.304、56本塁打、147打点を記録し、アメリカンリーグの得点(125)と本塁打のタイトルを獲得、打点でもメジャートップに立った。
この年の活躍でグリフィーはアメリカンリーグMVPを満票で受賞。オールスターゲームのファン投票でも最多得票を得るなど圧倒的な人気だった。
グリフィーは外野守備でも華麗なジャンプやフェンス際でのキャッチが持ち味で、1990年から1999年まで10年連続でゴールドグラブ賞を受賞。軽やかな身のこなしと「甘いスイング」と称されるフォームは、多くの野球ファンを虜にした。
1997年4月25日のブルージェイズ戦ではロジャー・クレメンスから2本、8回にも1本放ち、1試合3本塁打を記録。この試合で通算250号本塁打にも到達し、当時4番目の若さだった。
1997年にシアトルで新球場(のちのセーフコ・フィールド)の建設が始まった際、「グリフィーが建てた家」と呼ばれるほど彼の人気が球団に与えた影響は大きく、起工式には選手で唯一参加している。

1997年4月15日はロビンソンがメジャーの壁を破って50周年。グリフィーは自らコミッショナーに頼んで背番号42を着用し、ジャッキー・ロビンソンを称える先駆けとなった。
黒いソックスを膝まで上げ、普段の24番を逆さにしたこの特別な背番号で試合に出場し、打点と得点に貢献、終盤の逆転劇を導いた。この行動が後に「ジャッキー・ロビンソン・デー」に全選手が42番を着用する伝統のきっかけになった。
選手能力



皆様、こんにちは!!
今回はパワプロ2022ぶりにグリフィーを作りました!😳俺がめちゃくちゃガキの頃に親父がテレビでマリナーズ戦を見てて、とんでもねぇホームランを打ってる選手がいたんだよね。
その時は誰なのか分からなかったけど、今思い返すと「あれがグリフィーだったんだなぁ」ってね😳
実は97年の満塁打率って.800を超えてんだよなwwwwwwwだから『恐怖の満塁男』を付けようか最後まで悩んだんだけど、「さすがに金特3つはな…」ってなって諦めました(笑)
威圧感は必須だし(今回金特に格上げになった)、通算600本塁打を放ってるからアーチストも欲しいもんなぁ。
グリフィーの印象的なエピソードと言えば、やはり1990年には父ケン・グリフィー・シニアと同じマリナーズでプレーして、親子連続本塁打を放ったことじゃないかな??
恐らくこんなことって地球上でもう二度と起きないんじゃないかな??プロの世界ではまず出なさそうな気がする!
パワナンバー

