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【特集】箱庭革命のはじまり──『スーパーマリオ64』開発秘話完全記録

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1996年に発売されたスーパーマリオ64は、任天堂の歴史だけでなくゲーム史にも大きな足跡を残した3Dアクションゲームである。ゲームを知らない人でも「マリオの顔をぐにゃぐにゃ引っ張れたタイトル画面」「お城の中で絵画に飛び込むステージ構成」などに心当たりがあるのではないでしょうか。

発売から30年近く経った今でもスピードランや裏技動画が人気で、ゲームの枠を越えて文化的な存在になっている。それだけ多くの人を魅了した作品はどのように生まれたのでしょうか?

今回は開発者インタビューや公式資料をもとに、企画の始まりから発売後の影響まで、ライトユーザーにもわかりやすく解説して行く。

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背景と企画の始まり

マリオの生みの親「宮本茂」さん

1990年代前半、宮本茂さん率いる任天堂開発部は3D表現に強い興味を持ち始める。『スターフォックス』開発でスーパーFXチップを使った経験から、「ミニチュアの世界で遊ぶようなゲーム」を構想し、「Super Mario FX」というコードネームで試作を進めた。

当初はスーパーファミコン向けに検討されたが、ボタン数が多いNINTENDO64のコントローラーの方が3Dアクションに向いていると判断され、開発の主戦場をNINTENDO64へ移行したという。

1993年1月のCESでは、スター・フォックスのお披露目と同時に、3Dポリゴンで描かれたマリオの頭部を動かせるデモが公開された。このデモは後に『スーパーマリオ64』のタイトル画面でプレイヤーがマリオの顔をつかんで伸ばす遊びへと昇華し、開発者のギルズ・ゴダード氏がプログラムしたという。

本格的な開発は1994年9月7日に始まり、約15〜20名という少人数体制で進められた。驚くべきことに、企画初期には等角投影の固定カメラを想定したゲームデザインも検討されており、最初は『マリオRPG』のようにキャラが一定のルートを進むアイソメトリックな案だったという。

しかし試行錯誤の末、プレイヤーが自由に走り回れる広大な3D空間へと舵を切る。

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開発の舞台裏

カメラとキャラクターの試行錯誤

当時の3Dゲームは視点が固定されている作品が多く、任天堂は「ゲーム内にカメラが存在する」という発想を持ち込む。宮本さんは「3Dゲームの基本は、どうカメラを作るかだ」と考え、映画の演出のように複数のカメラを使ってキャラクターを客観的に見せるシステムを構築した。

そこで『マリオ64』の序盤では、雲に乗ったジュゲム(ラキトゥ)がカメラを構える姿を見せ、プレイヤーがカメラを動かせることを自然に理解させる演出が用意されたという。

開発チームは視点と操作感の研究に何か月も費やし、最終的にアナログスティックを使って360度自由に動ける操作系を採用した。しかしアナログスティックの感覚は当時のプレイヤーには新しく、1995年秋の業界展示会では「操作がフワフワしていて扱いにくい」と言われたという。

それでもスタッフは「文化を変えようとしているのだから当然」と信念を貫き、最終的にゆったりとした加速感を持つ独特の操作になった。

無数のアニメーションと物理計算

マリオの動きが自然に見えるのは、担当スタッフの細かなこだわりのおかげである。コースデザインを手がけた小泉歓晃さんとプログラマーの西田尚美さんは、「できるだけ多くの動きを作ろう」と決め、最終的に193種類ものアニメーションを作成した。

未採用分も含めると約250にもなり、しゃがみジャンプから昼寝の動作まで、あらゆる状況に対応したアニメーションが仕込まれている。西田さんは、プレイヤーがボタンの組み合わせを試したとき「何も起こらないと寂しいから」と全ての組み合わせに動作を用意したと振り返っている。

その裏では物理計算にも膨大な調整が必要だった。宮本さんは「マリオが車のように走る時や飛行機のように飛ぶ時、それぞれ違う物理計算が必要でとても大変だった」と語っている。

実際の物理法則通りにするとゲーム性が損なわれるため、スタッフは重力や摩擦を意図的に変更し、「ゲームとして気持ち良い浮遊感」を作り上げたという。

ステージは粘土細工のように作られた

レベルデザインは緻密な設計図ではなく、メモとラフスケッチから始まった。ディレクターの宮本さんとコース担当の山田洋一さんは大まかな地形を決め、川や山などを配置した原型を作る。

しかし、実際にマリオを走らせてみると川の流れが速すぎたり、登り坂が難しすぎることに気付くため、粘土細工のように手で形を変えて調整したと言う。

例えばキングボム兵のステージでは、元々は川を渡って山を登る構造だったが、川がプレイヤーを流してしまうため砂漠の谷に変更された。

また、レースイベントのアイデアとして最初はウサギと競走する案があったが、「ウサギが速すぎてストレスになる」と判断され、最終的にはゆるい動きのノコノコ(クッパ軍団のカメ)と競争する形に落ち着いた。

遊びの余白と子どもテスト

開発チームは「ただ歩き回るだけでも楽しい世界」を目指し、メインの目的とは直接関係ない遊び要素も多数盛り込んだ。

ペンギンの子供を抱いて母親の元へ連れて行くイベントや、城の外を泳いだり走ったりするだけでも気持ちよく感じるように設計されているのはそのためである。

宮本さんは「ゲームが上手くなくても遊べること」を重視し、中学生を集めたプレイテストを行い、クリアに結び付かない行動でも楽しめているか観察した。この試みから「結果が出なくても遊ぶ過程そのものが面白い」という手応えを得た。

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技術とこだわり

当時のNINTENDO64は、Zバッファという機能によって前後関係を正確に描き分けることができ、開発者は「ジオラマの中でマリオを動かすような実験」が楽しめたと語っている。このハードのおかげで、敵や地形が重なってもちらつきや重なりの問題が起きにくく、自由なレベルデザインが可能になった。

ただし、宮本さん曰く『マリオ64』はN64の性能の40〜60%しか使っていないとされ、「まだまだやりたいことがたくさんあった」と振り返っている。

3Dになったことで、マリオの表情も豊かになった。宮本さんは、マリオペイントの続編として開発されていた『マリオペイント3D』のプロトタイプから表情アニメーションを流用し、スキンアニメーション技術をゲームに初めて導入したと語っている。また、アニメーション制作では、マリオの腰に大きなジョイントを設け、走るときや曲がるときの重心移動をリアルに表現している。

宮本さんはゲームデザインの哲学として「キャラクターが生きているように感じられること」を重視した。彼はペットのハムスターを部屋に放し飼いにして観察し、その自由奔放な動きをマリオの動作に反映したと語っている。

プレイヤーが3D空間で距離感をつかみやすいよう、すべてのオブジェクトの直下に常に影を描く工夫も取り入れられた。「現実的ではなくても遊びやすさを優先する」という信念が伺える。

宮本さんは3Dカメラシステムの重要性を強調し、マリオの後ろからだけでなく横や上からも見えるように複数のカメラを切り替える仕組みを採用した。この考え方は後に『ゼルダの伝説 時のオカリナ』へと受け継がれ、ロックオンシステムや塔の周囲を回るカメラなどに発展する。

宮本さん自身も「マリオとゼルダは常に並行して開発していて、良いアイデアをお互いに活かしている」と述べている。

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発売までの道のりと反響

プロトタイプと発売延期

『スーパーマリオ64』は1995年11月の「Nintendo Space World」で試遊展示されたが、この時点で完成度は50%ほどで、テクスチャもわずか数%しか貼られていなかったという。

当初は32コースを予定し、宮本さんは40コースまで増やしたいと考えていたが、最終的には15コースに絞られた。

コース数を増やすために任天堂64本体の発売を1995年クリスマスから1996年夏へ延期する案もあり、当時の山内溥社長は「ユーザーは妥協をすぐ見抜く。宮本が2か月欲しいと言うなら無条件で与える」と支援した逸話が残っている。

発売と売り上げ

ゲームは1996年6月に日本で発売され、北米では同年9月、欧州・豪州では翌年3月にリリースされた。アメリカでは発売後3カ月で200万本以上を売り上げ、1億4千万ドルの売上を記録したと報じられている。

2008年までに全世界で約1180万本を売り上げ、NINTENDO64ソフトの中で最も売れたタイトルとなった。

レガシーと影響

本作は3Dアクションゲームの礎を築き、多くの開発者に影響を与えた。開発者のデュラン・カスバート氏は「ジャンプ動作の前例がない中で試行錯誤した」と語り、小泉さんは後にワシントン・ポストの取材で「難しかったが新しい分野を開拓する喜びが勝った」と振り返っている。

また、開発中に使われた金色のウサギ“MIPS”はN64のMIPSアーキテクチャにちなんだテスト用キャラクターで、最終的にはパワースターを持つ敵としてゲームに登場した。

『マリオ64』は同時期に開発されていた『ゼルダの伝説 時のオカリナ』へも多くのアイデアを提供し、3Dゲームのカメラや操作の基礎を確立したと評価されていた。

その後もNINTENDO64版以降にリメイクやバーチャルコンソール版が登場し、2020年にはNintendo Switch用の『スーパーマリオ 3Dコレクション』にも収録されていた。

2024年以降もスピードランや研究が盛んで、ゲーム愛好者の間で語り継がれている。

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あとがき – マリオが教えてくれること

『スーパーマリオ64』の開発秘話を追うと、ゲーム制作が自由な発想と膨大な試行錯誤の積み重ねであることが伝わって来る。1つのジャンプの裏には193ものアニメーションと厳密な物理調整があり、1つのコースの裏には粘土細工のような繰り返しのテストがあった。

そして、「難しいけれど誰もが遊べる3Dゲームを作る」という熱意が、アナログスティックやカメラ演出など新しい文化を生み出した。

マリオが壁を駆け回り、宙返りで高所に飛び、星を集めていく姿は、開発陣自身が未知の領域に挑戦した姿そのものである。発売から年月が経っても色褪せない魅力は、彼らの情熱と創意工夫が詰まっているからである。

この記事を読み終えたら、あの城の玄関にもう一度足を踏み入れ、マリオ64の世界を自由に駆け回ってみて欲しい。きっと新たな発見があるはず。

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