1889年、京都の一角にひっそりと誕生した一軒の花札屋。大きな工場も、派手な看板もない小さな店だったが、その物語はいつしか世界を変えることになる。
誰もが一度は触れたことのある“遊びの文化”は、すべてこの小さなお店から始まった。任天堂の130年以上にわたる歴史は、挑戦と失敗、そして大逆転の連続であったという。
創業者・山内房治郎の決断、3代目・山内溥の天才的な眼力、玩具の天才・横井軍平のひらめき、マリオを生んだ宮本茂の想像力、そして岩田聡の優しさと改革。
彼らが紡いだ”冒険の物語”は、一企業の歴史を超えて、世界中の人々の思い出になった。
この記事では、そんな任天堂の全貌を、創業期から現代のSwitch世代まで、一気にわかりやすく、物語のように解説していく。
あなたの知らない任天堂の顔に、きっと出会えるはずだ。
任天堂株式会社 会社概要

任天堂株式会社(Nintendo Co., Ltd.)は、京都に本社を置く世界的に有名なゲーム企業。
マリオやゼルダなど数々の人気キャラクターと、革新的なゲーム機で広く知られている。
1889年に創業してから現在に至るまで、「独創的な娯楽」で世界中の人々を楽しませ続けている。
基本情報
任天堂は1889年(明治22年)9月に花札の製造・販売で創業された。任天堂の創業者は山内房治郎氏です。
その後、1947年(昭和22年)11月に法人として設立され、現在では家庭用エンターテインメント機器(ゲーム機)の開発・製造・販売を主な事業としている。本社所在地は京都府京都市南区上鳥羽鉾立町11番地1。
資本金は約100億円、連結従業員数は2025年9月時点で約8,572名にのぼる。任天堂は東証プライム市場に上場している公開企業(証券コード:7974)であり、1962年に初めて株式を公開した。
グループ体制
任天堂グループは、日本国内外に多数の子会社・関連会社を擁し、ゲーム機やソフトの開発・販売、サービス展開を支えている。日本国内では、以下のような開発・サービス関連の子会社がある。
- ニンテンドーシステムズ株式会社
- 任天堂とDeNAの協業によって2023年設立。ネットワークサービスなどデジタル事業を支えるシステム開発を担う。
- 任天堂販売株式会社
- 国内向けの流通・営業を担当し、ゲーム機やソフトの販売網を支える子会社。
- ニンテンドーキューブ株式会社(NDキューブ)
- マリオパーティシリーズなどゲームソフトの開発を手がけるスタジオ。
- マリオクラブ株式会社
- 任天堂ソフトのデバッグや品質テストを専門とする子会社。
- 1-UPスタジオ株式会社
- 元ブラウニーブラウン社を前身とするゲーム開発スタジオで、任天堂タイトルの開発に携わっている。
- 株式会社モノリスソフト
- 「ゼノブレイド」シリーズなどで知られるゲームソフト開発会社で、任天堂の子会社。
- 株式会社SRD
- 任天堂作品のプログラミングを長年支援してきたソフトウェア開発会社で、現在は任天堂の完全子会社。
- ニンテンドーピクチャーズ株式会社
- 旧ダイナモピクチャーズを2022年に買収し設立。ゲーム映像やCGアニメーションなど映像コンテンツ制作を担う。
- ニンテンドースターズ株式会社
- 2025年に旧ワープスター社を再編して発足。任天堂IPを用いた映画におけるライセンス管理や「星のカービィ」シリーズのIP管理を行う子会社。
- 株式会社ポケモン
- 任天堂が株式の一部を保有する関連会社で、「ポケットモンスター(ポケモン)」ブランドの管理・関連商品展開を行っている。
また、任天堂はグローバル展開のため各国に現地法人を置いている。主要な海外子会社として以下が挙げられる。
- Nintendo of America Inc. – アメリカ合衆国における地域本社。米州市場向けの販売・マーケティングを統括している。
- Nintendo of Europe SE – ドイツ(フランクフルト)に本拠を置く欧州地域本社で、ヨーロッパ全域の販売・業務を担当。
- Nintendo of Canada Ltd. – カナダ向けの販売子会社。
- Nintendo Australia Pty Ltd. – オーストラリア・ニュージーランド地域向けの販売子会社。
- 韓国任天堂株式会社(Nintendo of Korea) – 韓国市場向けの現地法人。
- 任天堂(香港)有限公司 / 台湾任天堂股份有限公司 / Nintendo Singapore Pte. Ltd. – 東アジア・東南アジア地域でのビジネス展開を担う子会社群。
事業内容
任天堂の事業は、大きくハードウェア事業とソフトウェア事業、そしてライセンス/IP事業に分けられる。中核となるのは自社開発の家庭用ゲーム機とゲームソフトの提供で、ハードとソフトを一体で展開する戦略を取っている。
1983年に家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(海外名:NES)」を発売して以来、ゲーム専用ハードとソフトの両面で数多くのヒットを生み出して行く。
携帯型ゲーム機ゲームボーイや据置型のWii、そして最新のハイブリッド型ゲーム機Nintendo Switchなど、世代を代表するハードを次々と投入し、それに対応するソフトウェアを開発・販売している。
これまでに任天堂は世界累計で8億6000万台以上のゲーム機本体と59億本以上のゲームソフトを販売しており 、「スーパーマリオ」「ドンキーコング」「ゼルダの伝説」「メトロイド」「どうぶつの森」「ピクミン」「スプラトゥーン」など数多くの人気ゲームシリーズIPを生み出してきた。
主な拠点
任天堂の本社は京都府京都市。京都には本社機能のほか開発拠点としての「本社開発棟」や、ハードの生産管理などを行う宇治工場(京都府宇治市)も構えている。また、東京都千代田区神田に東京支店を設置しており、主に首都圏での営業・渉外や開発連携を担う拠点となっている。
海外拠点としては、北米のアメリカ本社(米ワシントン州レドモンド)に広大なオフィスキャンパスを構え、現地での販売戦略や顧客サポートを実施している。
欧州ではドイツ・フランクフルトのヨーロッパ本社を中心に各地域でのマーケティングを展開している。その他、カナダ(ブリティッシュコロンビア州バーナビー)やオーストラリア(ビクトリア州スコーズビー)にも現地法人オフィスがあり 、アジアでは韓国・ソウル、香港、台湾・台北、シンガポールにも拠点を置いている。
こうした世界各地の拠点ネットワークによって、任天堂はグローバルな市場で安定した製品供給とサポートを実現している。
歴史・沿革

任天堂(Nintendo)の詳しい歴史については『なぜ任天堂は世界一のゲーム会社になれたのか?歴史・創業秘話・前身企業・失敗と復活』で詳細に紹介しています。

開発組織と経営体制

任天堂は自社開発スタジオによるゲーム作りが伝統であり、その組織体制も独特。もともと1970年代〜80年代には開発第一部~第四部といった研究開発部署が存在し、横井軍平氏が「開発第一部」(R&D1)、宮本茂氏が「情報開発本部(Entertainment Analysis & Development, EAD)」のトップを務めるなど、部署ごとに個性的なゲームを生み出して行った。
EADは『マリオ』『ゼルダ』など主力ソフトを数多く開発し、任天堂最大の開発部門となった。
2015年、任天堂は組織再編を行い、従来のEAD(情報開発本部)とSPD(企画開発本部=ソフト企画開発)を統合して新たに『Entertainment Planning & Development(EPD)部』を設置(日本語では企画制作本部とも呼ばれます)。
同時にハードウェア関連の開発部門も統合され、『Platform Technology Development(PTD)部』として一本化されている。この再編により任天堂のゲームソフト開発リソースは一つの部門に集約され、据置機と携帯機で分かれていた開発ラインも統合された。結果として一本化された開発組織の下、Switch向けソフトに注力できたことが、Switch世代のソフト充実とヒットに繋がったと評価されている。
EPDには複数の開発チームが存在し、『スプラトゥーン』シリーズを手掛けるチームや『ゼルダ』シリーズのチームなど、プロジェクトごとにグループが編成されている。(EPD傘下に10以上のグループがあるとも言われる。)。
総合プロデューサー的立場として高橋伸也氏がEPD総合開発本部長を務め、宮本茂氏は「フェロー(特別顧問)」としてクリエイティブ面で関与する体制。また、任天堂企画制作部(EPD)は自社タイトル開発だけでなく、他社との共同開発や外部スタジオ管理も担い、任天堂IPの品質維持と育成に貢献している。
経営体制の面では、君島達己社長(第5代、2015〜2018年)を経て、2018年から古川俊太郎社長(第6代)がトップに立っている。
古川社長は岩田時代から国際本部などで経営に関わった経歴を持ち、若手時代にドイツに駐在経験もある国際派である。現経営陣は「集団指導体制」を重視しており、岩田社長以降は重要事項を取締役会で決定するスタイルに移行している。
これは岩田氏が「今後はワンマンでなくチームで経営判断すべき時代だ」と考えたためで、以降の社長もその方針を継続している。
また任天堂には宮本茂フェローのほか、技術フェローとして元開発者の竹田玄洋氏(Wii等ハード開発を主導)が在籍し、経営を支える体制である。取締役には小泉歓晃氏(『マリオオデッセイ』プロデューサー)や高橋伸也氏(EPD本部長)など開発畑の人材も名を連ね、クリエイター出身者が経営に関与する割合が高いのも特徴的。
更に任天堂はセカンドパーティーと呼ばれる開発パートナー企業との協業にも強みがある。
HAL研究所(星のカービィ)、インテリジェントシステムズ(ファイアーエムブレム)、ゲームフリーク(ポケットモンスター)など、任天堂と密接に協力する外部スタジオが多数存在し、多彩なソフトラインナップを支えている。近年ではモノリスソフト(ゼノブレイド)などとも連携している。
このように任天堂の開発組織・経営は、自社IPとクリエイターを大事に育てる社風と、時代に応じて柔軟に組織再編する経営判断で支えられている。離職率1割未満とも言われる高い社員定着率も特徴で、長年働き続ける開発者が多い点もゲーム作りの強みにつながっていると言える。
任天堂のIP戦略(テーマパーク・映画・グッズ・スマホ)

近年、任天堂はゲーム以外の分野でも自社キャラクターIP(知的財産)を積極展開している。マリオをはじめとする人気キャラクターの魅力をゲーム機の外でも発揮し、新たなファン獲得や収益源につなげる戦略。その主な取り組みを紹介していく。
テーマパーク展開

任天堂はユニバーサル・スタジオと提携し、自社キャラクターをテーマにしたエリア『スーパー・ニンテンドー・ワールド』を開設。
2021年には大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに世界初のお披露目 。マリオやヨッシーの世界を再現したアトラクションは大きな話題となり、連日多くの来場者で賑わっている。
その成功を受けて、2023年2月には米ハリウッドのユニバーサル・スタジオにも海外初の任天堂テーマエリアがオープン。日本国外での開園はこれが初で、今後はフロリダ州オーランドにも世界3箇所目となる任天堂パークを建設予定と発表されている。
テーマパーク事業はゲームファン以外の一般層にも任天堂IPを訴求できる場となっており、任天堂にとって新たな収益と宣伝の柱になりつつある。
映画(映像化)展開

長年「自社キャラの映像化」には慎重だった任天堂だったが、近年その姿勢を転換した。その象徴が、2023年公開の長編アニメ映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』 。
イルミネーション(『ミニオンズ』で有名な米アニメスタジオ)と任天堂が共同制作したこの映画は、世界興行収入が13億ドルを超える空前のヒット作となり 、ゲーム原作映画で歴代1位、アニメ映画としても歴代2位という記録的成功を収めた。任天堂にとっては1993年の実写版マリオ映画の失敗以来の本格映像化挑戦だったが、大成功を収めIPビジネスの可能性を示した。
宮本茂もプロデューサーとして参加しており、「今後も積極的に映像展開を検討する」とコメントしていた。今後はマリオ映画の続編や他の任天堂IPの映画化(例えば『ゼルダの伝説』や『カービィ』など)が噂されており、映像分野でも任天堂ワールドが広がるかも…?
グッズ・ライセンス展開
任天堂キャラクターのグッズ展開も近年活発。以前からマリオなどの玩具、文具、衣料品などライセンス商品はあったが、近年は特にコラボ企画が増えている。
例えば、ユニクロとコラボしたマリオ・スプラトゥーンなどのデザインTシャツ、LEGOとの協業による「レゴ スーパーマリオ」シリーズ(マリオのフィギュアが電子音と液晶で反応するレゴ玩具) など、幅広い層にアピールする商品展開が見られる。
また東京・渋谷には任天堂公式ストア「Nintendo TOKYO」が2019年にオープンし、マリオやどうぶつの森などの限定グッズを求めるファンで賑わっている。
このようにライセンシングによるグッズ収入やブランド露出は、任天堂IPの価値を高める重要な戦略となっている。
スマホゲーム展開
スマートデバイス向けゲームへの参入は、任天堂が2010年代後半から本格化させた新事業である。岩田社長時代に慎重だった方針を転換し、2016年に『Miitomo』でスマホアプリ市場に参入。
その後も『スーパーマリオラン』(2016)、『ファイアーエムブレム ヒーローズ』(2017)、『どうぶつの森 ポケットキャンプ』(2017)、『マリオカート ツアー』(2019)など自社IPのモバイルゲームを次々投入している。とりわけFEヒーローズは課金収入が好調で、任天堂のスマホゲームでは最も稼いでいるタイトルとされている。
また『Pokémon GO』(2016)も任天堂の持分会社であるポケモン社のタイトルとして大ブームを起こし、任天堂の株価が急騰する一因にもなった。もっとも、任天堂はスマホゲームを直接の収益よりIP露出・新規顧客開拓の手段と位置付けており、家庭用ゲームほどは力を入れていないとも言われている。
実際、スマホゲーム事業の売上は任天堂全体の数%程度に留まっている。ただし「任天堂IPに触れる人口の拡大」という戦略の下、スマホアプリを通じてマリオやどうぶつの森の世界観に触れた層がSwitch本編ゲームに興味を持つ、といった好循環も生まれている。
2023年にはDeNAと共同出資で「ニンテンドーシステムズ」というデジタル事業会社を設立し、アプリやアカウントサービスの強化も図っており、今後もスマホ分野を含めたクロスプラットフォーム展開が進むだろう。
海外展開(Nintendo of America / Europe 他)
任天堂は日本発の企業だが、海外市場での成功抜きに現在の地位は語れない。アーケードゲーム『ドンキーコング』(1981年)が米国でヒットしたのを皮切りに、本格的な海外展開を進めて来た。その歴史と体制を概観する。
北米展開
任天堂は早くも1980年にアメリカ・ニューヨークに現地法人『Nintendo of America (NOA)』を設立している。
当初はゲーム&ウオッチの北米販売などを担っていた。1981年のドンキーコング・ブームで急成長。1982年には本拠をワシントン州シアトル近郊に移し、米国法人を拡充した。NOA初代社長には山内溥の女婿である荒川實氏が就き、アーケード筐体の貸し出しビジネスなどで成果を上げる。
その後、1985年に任天堂は家庭用ゲーム機NES(海外版ファミコン)を北米発売。ビデオゲーム不況に陥っていた米市場を復活させる大成功を収めた。NESは一時、北米で90%の市場シェアを占めるほど普及し 、マリオやゼルダはアメリカの子供たちのアイコンとなっていった。
NOAはその後も任天堂米州部門の中枢として機能し続ける。例えば1990年代にはセガとのシェア争い、2000年代にはWiiやDSのマーケティングなど、現地ニーズに合わせた戦略を展開した。
NOA社長は2000年代以降、レジー・フィサメィ氏(ユーモラスなE3プレゼンで有名)など米国人経営者も登場し、任天堂の「現地化」を推進している。
現在のNOAはシアトル近郊レドモンドに本社を構え、マーケティング・ローカライズ・顧客サポートから、任天堂ツリーハウスと呼ばれる部署での現地向けゲーム翻訳・調整まで幅広い機能を担っている。
北米は任天堂売上の4割以上を占める最大市場であり、その成功はNOAの地道なブランド育成の賜物と言える。
欧州展開
欧州市場への本格進出は少し遅れ、1990年にドイツ・グロースオストハイムに『Nintendo of Europe (NOE)』を設立したのが始まりである。
それ以前は各国の代理店に販売委託したが、ゲームボーイやスーパーファミコンの時代からは自前で欧州展開を強化した。NOEは現在フランクフルトに本部を置き、ヨーロッパ全域の販売戦略を統括している。
欧州は多言語・多文化市場のため、NOE傘下にイギリス、フランス、スペイン、イタリアなど各地域の現地法人や支社があり、それぞれの市場に合わせたPR活動を行っている。例えばフランスでは『マリオ』人気が高いなど国ごとの嗜好もあり、NOEはゲームのローカライズ(欧州主要言語への翻訳)やパッケージデザインの調整などにも注力している。
欧州で任天堂は特にハンドヘルド(携帯機)の人気が高く、DSやSwitchも好調だった。一方で据置機はPSやXboxのシェアが強い地域もあるが、欧州全体でもSwitchは世代トップクラスの販売を記録している。
NOEのマーケティング努力(例:任天堂スター俳優を起用したCMなど)も奏功し、マリオやポケモンは欧州の子供たちにも広く浸透している。
その他地域
任天堂はこの他、アジア・南米などにも展開している。例えば、オーストラリアや韓国にも任天堂現地法人があり、販売網を築いている。
中国本土では長年ゲーム機ビジネスに制限があったが、騰訊(テンセント)と提携して2019年からSwitchを正式展開するなど、チャレンジも始まっている。
また東南アジアや中南米では、現地パートナーとの協業でゲーム販売やイベント展開を行っている。グローバルではPlayStationやXboxとの競合もあるが、任天堂は自社ハード+自社ソフトの独自路線で差別化し、市場における存在感を維持している。
こうした海外展開の結果、任天堂の売上のうち約7〜8割は海外から生み出されている。(特にアメリカの比率が高い)。
任天堂のゲームは世界中の言語にローカライズされ販売されており、マリオやピカチュウは国境を超えた人気キャラクターとなった。Nintendo of AmericaやEuropeといった海外拠点の活躍によって、任天堂ブランドは真の意味でグローバルブランドへと成長したのである。
ビジネスの現状とデータ
任天堂のビジネス面について最新のデータや市場での位置づけを整理していこう。売上規模や株価、市場シェアなどを見ると、改めて任天堂の強さが浮き彫りになる。
売上高・利益
任天堂の業績はハード・ソフトのヒットに左右されるが、2020年代前半はNintendo Switchの大成功で過去最高水準に達した。例えば2020年度(Switch全盛期)、売上高は初の1兆7千億円超、営業利益も5,000億円近くを記録した。
そして2025年度上半期(4〜9月)には、Switchと新型Switch 2の好調により売上高1兆9,95億円・純利益1,989億円と前年同期比で大幅増収増益となっている。これは同期間として過去最高クラスで、任天堂は好況を謳歌している。加えて、2025年通期のハード販売予測も上方修正し、Switch 2を含めた業績見通しも非常に明るい状況。
市場シェア
任天堂はコンソール市場で世代によってシェアの浮き沈みがある。歴史的には、ファミコン(NES)は世界で圧倒的トップシェア(米国で90%以上)を誇り 、ゲームボーイも携帯機市場を独占した。Wiiも据置機世代でトップの販売を記録。
一方、ニンテンドー64やゲームキューブ期はソニーの台頭でややシェアを落とす。しかし現在のSwitch世代では、据置機・携帯機の枠を超えた独自路線が奏功し、年間販売台数で数年間トップを維持するなど、任天堂は再び存在感を高めている。特に日本国内ではSwitchが発売以来ほぼ毎年最も売れたゲーム機となり、一時は国内シェア9割以上がSwitch系という週もあったほど。
グローバルでもSwitchは累計1.5億台を超え、競合のPS4やPS5、Xboxシリーズの販売台数を上回っています。加えてSwitch 2も好調な滑り出しで、次世代でも有力なポジションを築きつつある。
株価・時価総額
任天堂は東京証券取引所に上場する公開企業である。株価はヒット商品に連動する傾向があり、Wii/DS時代の2007年頃には時価総額10兆円超え 、2016年のポケモンGO現象で株価急騰など幾度も話題になった。
そして最近ではSwitchの成功により株価が再び上昇し、2023〜2025年頃には時価総額が約10〜17兆円規模で推移している。特にSwitch 2発売成功後の2025年には時価総額17兆円に達し、東証プライム市場で第5位(第4位の日立に迫る)という位置に付けた。
これは日本企業全体でもトップクラスであり、トヨタなどの巨大企業に次ぐ規模である。
任天堂が単一のゲーム事業でここまでの企業価値を実現している点は特筆され、「日本発の真のグローバルエンタメ企業」「ゲーム帝国」と評される。株価の観点ではボラティリティ(変動)があるものの、近年は安定した収益基盤から配当金も増やしており、投資家からの評価も高まっている。
社員数・拠点
任天堂株式会社の連結従業員数は約8,000人(単体では約3,000人)で、主要開発拠点は京都本社と東京の制作センターにある。
海外子会社も含めると従業員は数万人規模になるが、ソフト・ハードの開発は主に日本国内で行い、海外は販売・マーケティングが中心です。本社は京都市南区(上鳥羽)にあり、創業の地である京都に根ざした企業文化も守られている。
総じて、任天堂は盤石な財務体質とブランド力を持ち、ゲーム業界において他社とは一線を画す地位を築いている。
そのビジネスモデルは「自社でハードを作り、自社IPのソフトで収益を上げる」という統合モデルであり、ソニー(PlayStation)やマイクロソフト(Xbox)とも異なる独自路線である。
こうしたモデルは一歩間違えばリスクもあるが、任天堂はイノベーションと強力IPによって高収益を実現して来た。
今の任天堂を創った重要人物

任天堂の歩みを語る上で欠かせないキーパーソンたちを紹介。創業者から伝説の開発者、名物クリエイター、経営改革を成し遂げたリーダーまで、それぞれの功績を見て行こう。
創業者:山内房治郎(やまうち ふさじろう)
任天堂の創業者である山内房治郎氏は1859年生まれの京都の実業家。
1889年(明治22年)、京都市下京区で花札の製造販売を始めたのが任天堂の起源である。当時、花札やトランプは職人が手作りするものだったが、房治郎は職人肌の商売人として全国規模で市場を開拓し、任天堂を日本一のカードメーカーに育て上げた。
1902年には日本初となる洋式トランプの製造にも乗り出し 、流通網の拡大にも尽力している。
1940年没。80歳で亡くなるが、堅実なカード事業で築いた基盤が、後の任天堂の発展に繋がった。
家業を継いだ経営陣と山内溥(やまうち ひろし)
創業者の後、任天堂は山内家で経営が引き継がれた。房治郎には息子がいなかったため、1929年に優秀な社員だった金田積良(山内積良)を婿養子に迎え、2代目社長とした。
その孫にあたるのが山内溥氏。山内溥は房治郎の曾孫として京都に生まれ、1949年、若干22歳で任天堂の社長に就任した。就任に際し「自分以外の山内家の者は会社に不要」と告げ、親族を退けてワンマン経営に乗り出した逸話も有名。第3代社長として約半世紀もの長期にわたり任天堂を率い、同社をカードメーカーから玩具・ゲームのトップ企業へ大きく転換させた。
1960年代にはウルトラハンド等のおもちゃ、1970年代に電子玩具やアーケードゲーム事業に進出し、1983年には家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」の発売を決断する。
山内溥は時に独断的とも言われたが、その決断力でファミコンやゲーム&ウオッチなど数々のヒット商品を成功に導いた。ファミコン開発時には「アーケード(ゲーム)はもうやめや」と発言し、社内リソースを家庭用ゲームに大胆に集中させたというエピソードもある。この判断が後の世界的なゲーム帝国への道を開いた。
山内溥はまた、人材を見抜く目にも優れ、後述する横井軍平や宮本茂といった天才開発者に自由に創造させる環境を整えた。「ファミコンの父」とも称される山内溥のリーダーシップの下、任天堂はスーパーファミコン、ゲームボーイ、ニンテンドウ64など次々とヒットハードを生み出し、ゲーム産業の王者として君臨。
2002年に社長を退任するまで任天堂を牽引し続け、退任後も相談役として会社を支えた。
2013年に85歳で逝去した際には「ゲームを世界的産業に育てた立役者」と報じられ、その功績が改めて讃えられた。
“ゲームボーイの父” 横井軍平(よこい ぐんぺい)
横井氏は任天堂の伝説的な発明家で、数々のヒット玩具・ゲームを生み出した人物。工業デザイナーとして入社後、玩具開発部門でウルトラハンド(伸縮アームのおもちゃ)や光線銃シリーズなどユニークな玩具を次々開発し、その後電子ゲームの開発第一部長としてゲーム&ウオッチ(1980年)やゲームボーイ(1989年)、果ては3D表示のバーチャルボーイ(1995年)まで手掛けた。
宮本茂と並んで任天堂を世界的大企業へ押し上げる原動力となった人物である。
横井氏は開発哲学として「枯れた技術の水平思考」を掲げていたことでも知られる。これは「成熟しきった安価な技術を、まったく新しい使い方で斬新な商品にする」という発想で、最新の高価なテクノロジーよりもローテクの活用を重視する考え方である。
この哲学はゲームボーイで見事に結実し、当時より高性能だった他社の携帯ゲーム機(ゲームギアやAtari Lynxなど)を低コストで打ち負かす原動力となった。ゲーム&ウオッチでは現在の十字ボタンを考案するなど基本的なUIにも貢献している。
1995年、バーチャルボーイの商業的失敗を受けて横井氏は任天堂を退社し、独立。翌1996年には新会社から「ゲームボーイポケット」を発売するなど精力的に活動。
しかし1997年、不慮の交通事故により56歳の若さで亡くなっている。
横井軍平の残したアイデアや哲学は、今なお「ゲームの神様」として語り継がれ、任天堂のイノベーションDNAの源流となった。
“マリオの生みの親” 宮本茂(みやもと しげる)
宮本茂氏は世界的に有名なゲームクリエイターで、マリオやゼルダの生みの親として知られている。
1977年に任天堂に入社後、美術畑からゲーム開発に携わり、1981年のアーケードゲーム『ドンキーコング』でゲームデザイナーとしてデビュー。この作品で生まれたキャラクターのジャンプマンが後にマリオと名付けられ、任天堂を代表するマスコットへと成長する。
その後も『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)や『ゼルダの伝説』(1986年)などを次々と生み出し、任天堂の各ハードを代表する名作タイトルを手掛けた。宮本が手掛けたゲームフランチャイズの累計販売本数は10億本を超えるとも言われ 、「ゲーム史上最も影響力のあるデザイナー」として国内外で評価されている。
実際、『マリオ』『ドンキーコング』『ゼルダの伝説』シリーズは世界中で愛される大ヒット作となり、2019年には宮本氏自身がゲーム業界出身者として初めて文化功労者に選出される快挙も成し遂げた。
宮本茂は長年にわたり社内のソフト開発部門(情報開発本部/EAD)を率い、多くの若手クリエイターを指導して来た。部下から「面白くなるまでゲームを作り直させる」「ちゃぶ台返し」といった逸話が語られるほど妥協しない姿勢で、ゲーム内容のクオリティに徹底的にこだわるスタイルでも知られる。
現在は任天堂の代表取締役フェロー(クリエイティブフェロー)という立場で、ゲーム開発のみならずテーマパークや映画など任天堂IP全般の監修にも関わっている。
マリオやゼルダの新作からユニバーサル・スタジオの任天堂エリア監修、2023年公開のマリオ映画の共同プロデュースまで、70代となった今も現役の“遊びの達人”として精力的に活動中。
“社長もゲーム開発者” 岩田聡(いわた さとる)
岩田氏は任天堂の第4代社長で、HAL研究所出身の異色のゲームクリエイター社長。元々はプログラマーとして『星のカービィ』シリーズなどの開発に携わり、HAL研究所では社長も務めた人物。
2000年に任天堂に入社し経営企画室長となった岩田氏は、2002年に山内溥から指名を受けて42歳で任天堂社長に就任。任天堂は1889年の創業以来ずっと山内家による同族経営だったが、岩田氏は初の山内家以外の社長となり、その抜擢は極めて異例であった。
岩田社長の時代、任天堂は「ゲーム人口の拡大」を掲げ、新しいユーザー層を開拓する戦略で大成功を収める。2004年末に発売した携帯ゲーム機ニンテンドーDS、2006年発売の据置機Wiiはいずれも斬新な操作法(タッチペンや体感リモコン)で大ヒットし、老若男女にゲームを広めた。
DSは脳トレやどうぶつの森など「Touch! Generations」と呼ばれる万人向けソフト路線で普及し、発売から短期間で累計1億台を超える空前のヒットとなった。Wiiも「Wii Sports」など直感的に遊べるソフトが支持され、全世界で1億台以上を販売している。
一方、2011年発売のニンテンドー3DSや2012年発売のWii Uの時代には業績が低迷し、任天堂は初の営業赤字も経験した。岩田氏は経営者として厳しい局面にも直面したが、その中で新たな戦略転換も行っている。
2015年にはディー・エヌ・エー(DeNA)との提携を発表し、任天堂キャラクターを使ったスマートデバイス向けサービス開発に乗り出すことや、次世代ゲーム機「NX」(後のNintendo Switch)の開発着手を明らかにする。これにより任天堂は専用ゲーム機ビジネスに加えて、スマホゲーム市場や新ハード準備へと動き出す。
岩田社長は経営者であると同時に開発者的視点を持ち、『社長が訊く』という開発者対談を自ら行いユーザーに情報発信したり、Nintendo Directで自らゲームの魅力をプレゼンするなど、ファンに近い経営者としても人気を博した。
残念ながら2015年、在任中に病に倒れ55歳で早逝。岩田氏の死去は世界中で大きく報じられ、多くのゲームファンが彼の功績を偲んだ。(本来、ライバル企業であるはずのソニーも偲びの言葉を発信した)
後任の社長には君島達己(第5代)、そして古川俊太郎(第6代)が就任し、岩田氏の路線を引き継いでいる。岩田聡が蒔いたWiiからSwitchへ繋がる発想やスマホ・IP展開の布石は、その後の任天堂の躍進に確実に活かされることになった。
ゲームハード(家庭用ゲーム機)の歴史

任天堂は1980年代以降、数々の家庭用ゲーム機(ハードウェア)を開発して来た。
- カラーテレビゲーム15/6(1977年)
- 任天堂初の家庭用ゲーム機。シンプルなテニスゲームなどが遊べる専用機。
- ゲーム&ウオッチ(1980年)
- 横井軍平考案の携帯型電子ゲーム機シリーズ。時計機能付きの小型ゲームで、世界的なヒットとなった。十字キーもここで初登場。
- ファミリーコンピュータ(1983年)
- 通称「ファミコン」。任天堂初の本格的な家庭用ゲーム機で、カセット交換式。日本で社会現象的ヒットとなり、米国版NESと合わせ世界中で空前のブームを巻き起こした。※任天堂は1990年時点で米国ゲーム機市場の90%以上を支配するほどの存在感だった。
- ゲームボーイ(1989年)
- 携帯ゲーム機の草分け。横井氏の手掛けた白黒液晶の携帯機ながら、「テトリス」ブームもあり全世界で1億台以上を販売。ロングセラーとなり後のポケモン人気の礎ともなった。
- スーパーファミコン(1990年)
- 16ビット時代の任天堂据置機。よりリッチな表現で『マリオ』『ゼルダ』『ストリートファイターII』などヒット作が続出。日本では絶大な人気を誇り、世界累計出荷台数は約5,000万台に到達。
- NINTENDO 64(1996年)
- 64ビットCPU搭載の据置機。3Dポリゴン表現を本格採用し、『スーパーマリオ64』や『ゼルダの伝説 時のオカリナ』など名作3Dゲームを生んだをスティック付きコントローラや4人同時プレイなど新要素も特徴。
- ゲームボーイカラー(1998年)/アドバンス(2001年)
- 携帯機路線の強化版。カラー液晶化や性能向上により、『ポケモン金銀』など人気シリーズを牽引。
- ニンテンドーゲームキューブ(2001年)
- 光ディスク媒体を採用した据置機(立方体デザインが特徴)。『大乱闘スマッシュブラザーズDX』など硬派なゲームが多く、販売はやや伸び悩んだ。
- ニンテンドーDS(2004年)
- 2画面(デュアルスクリーン)搭載の携帯機。タッチパネル操作を取り入れ、「脳トレ」や「Nintendogs」などゲームファン以外にも訴求するソフトがヒット 。全世界累計1.54億台を販売し、任天堂史上最多の販売台数を記録した。(後述のSwitchに抜かれるまで歴代1位) 。
- Wii(2006年)
- モーションコントロール(リモコン型コントローラ)で直感操作を実現した据置機。「Wiiリモコン」を振って遊ぶ『Wii Sports』が爆発的ヒットとなり、高齢者まで巻き込む社会現象に。世界で1億台超を販売し、Xbox360やPS3を抑えて世代トップの販売台数となった。
- ニンテンドー3DS(2011年)
- 裸眼で立体視できる携帯機。立ち上がりは苦戦したが、値下げ策やキラーソフト投入で盛り返し、シリーズ累計7,500万台以上を販売。すれちがい通信など携帯機ならではの遊びも話題に。
- Wii U(2012年)
- タブレット型コントローラー「GamePad」で2画面操作を可能にした据置機でしたが、キラータイトル不足や周辺機器の混乱もあり普及は振るわず、約1,356万台と任天堂据置機では異例の低迷に終わる。この反省が次世代機に活かされることになる。
- Nintendo Switch(2017年)
- 据置と携帯のハイブリッドというコンセプトで登場した現世代機。ドックに繋げばテレビでも、外して携帯機としても遊べる柔軟さが支持され、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』や『あつまれ どうぶつの森』などの大ヒットで販売台数を伸ばした。世界中で品薄が続く人気となり、累計1億5,400万台超を販売(2025年9月時点)し任天堂歴代ハード最多に達している。ソフト販売本数も累計14億5千万本以上と過去最高ペース。
- Nintendo Switch 2(2025年)
- Switchの後継となる新世代機。「Switch 2(仮称)」は2025年6月に発売され、発売4か月で世界累計1,036万台を販売する歴代最速スタートを切った。高性能化しつつもSwitchのコンセプトを踏襲し、引き続き好調なセールスを記録している。
各ハードともその時代のトレンドを捉えた特徴があり、任天堂は「誰でも遊べる直感的なゲーム体験」を重視したハード作りで市場を切り拓いて来た。
ファミコンやWiiのように市場を独占するケースもあれば、ゲームキューブやWii Uのように苦戦する世代もあったが、その都度新しいアイデアで巻き返すのが任天堂の強みと言える。
代表的なゲームソフト・シリーズ

任天堂と言えば、個性豊かなゲームキャラクターやシリーズの宝庫でもある。ここでは代表的なゲームソフトやフランチャイズをいくつか紹介して行く。
- マリオシリーズ
- 配管工のマリオが主人公のアクションゲーム。1985年の『スーパーマリオブラザーズ』から始まり、横スクロールアクションの金字塔に。 以降、3Dの『マリオ64』や対戦パーティゲーム、カートレース(マリオカートシリーズ)など派生作も多数。
- マリオは任天堂の顔ともいえる存在で、そのゲームは全世界累計数億本規模の売上を誇る。子どもから大人まで誰もが知る史上最も有名なゲームキャラの一人。
- ゼルダの伝説シリーズ
- 勇者リンクが姫を救うファンタジーアクションアドベンチャー。1986年の初作以降、謎解き要素と壮大な世界観で高い評価を受けている。
- 特に2017年発売の『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』はオープンワールドの自由度で絶賛され、続編の『ティアーズ オブ ザ キングダム』(2023年)と合わせ世界的な大ヒットとなった。ゲーム史に残る名作としてファンの支持が厚いシリーズ。
- ポケットモンスター(ポケモン)シリーズ
- 1996年にゲームフリーク開発・任天堂発売の『ポケットモンスター 赤・緑』でスタート。ポケモンを捕まえて育成し対戦するRPGで、子供たちを中心に社会現象を巻き起こした。
- 以降も毎世代新作が出るたびに大ヒットし、累計販売本数は4億本以上とも言われる。ゲームに留まらずアニメ・カード・グッズなどメディアミックス展開が世界的成功を収める、任天堂最大級のIPの一つ。(※株式会社ポケモンが管理し、任天堂は主要株主として関与)
- 大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ
- 任天堂オールスターキャラクターによる対戦アクションゲーム。1999年N64版の初代以降、マリオやリンク、カービィだけでなく、他社キャラも参戦する夢のクロスオーバータイトルとして人気。
- 最新作『スマブラSP』(Switch)は登場ファイター数が史上最多となり、全世界で2,900万本以上売れるシリーズ最大のヒットとなった。友達や家族とワイワイ遊べるパーティゲームとしても定番。
- どうぶつの森シリーズ
- 動物たちが暮らす村でスローライフを楽しむコミュニケーションゲーム。2001年N64版からスタートし、特に2020年発売の『あつまれ どうぶつの森』(Switch)は世界的な巣ごもり需要とも相まって記録的ヒットとなった。現実と同じ時間が流れる癒し系ゲームで、ゲームファン以外の層にも広がった代表例。
- スプラトゥーンシリーズ
- 2015年Wii Uでデビューした新世代のアクションシューティング。イカに変身するキャラクターたちがインクを塗り合う斬新なルールで人気を博し、国内外でヒットした。
- 任天堂のオリジナルIPとしては久々の大型新人で、最新作スプラトゥーン3 (2022) も発売後すぐに国内販売記録を塗り替えるなど、大きな盛り上がりを見せた。明るい世界観でキッズにもFPS的対戦の楽しさを提供した功績は大きい。
- 星のカービィシリーズ
- 丸くてピンクのカービィが主人公のアクションゲーム。敵を吸い込んでコピー能力を使う可愛らしいキャラクターとゆるい世界観が特徴で、1992年のゲームボーイ版から続くロングセラー。
- HAL研究所が開発し、岩田聡も初期にプログラムを手掛けた作品として知られる。小さい子でも遊びやすく、日本のみならず海外でも根強い人気がある。
この他にも任天堂には多数の人気シリーズが盛りだくさん。ドンキーコング、メトロイド、ファイアーエムブレム、ピクミン、マリオカート、マリオパーティ、など枚挙に暇がない。
任天堂のゲームは総じて「遊び心」にあふれ、幅広い年代にアピールするものが多い。また、自社IPを他社とのコラボにも活用しており、例としてはレゴ社からマリオのレゴブロック玩具が発売されたり、ユニバーサルとの映画化(後述)なども行われている。
いずれのゲームシリーズも、長年にわたり進化しつつ世界中のファンを楽しませている点で共通している。
最後に
任天堂の歴史は、失敗も挫折も巻き込みながら進んできた“挑戦の物語”である。
それでも立ち止まらず、何度でも新しい遊びを生み出し、世界に笑顔を増やして来た。
そんな姿勢は、ゲームの枠を超えて、私たちの日常にも小さな勇気をくれる気がする。
これからも任天堂という会社がどんな未来を描くのか、一緒に見続けて行こう。

