【特集】PlayStation 3(PS3)とは? 特徴・仕様・歴史・モデル比較を徹底解説

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「PlayStation 3」とは?特徴と歴史

  • 発売日:2006年11月11日(日本)
  • 開発:ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・SIE)
  • 定価:49,980円
  • 前世代ハード:PlayStation 2
  • 次世代ハード:PlayStation 4

PlayStation 3(PS3)はソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現SIE)が2006年11月11日に発売した家庭用ゲーム機。第7世代機として登場したPS3は、高性能なCell Broadband EngineプロセッサやBlu-ray Discドライブを搭載し、フルHD(1080p)の美麗な映像表現を実現した意欲作だった。

発売当時はライバルの任天堂WiiやMicrosoft Xbox 360と競合しつつも、PS1/PS2との下位互換(一部モデル)やオンラインサービス「PlayStation Network(PSN)」への対応など、家庭用ゲーム機の新たな可能性を示した。

この記事では、PS3の初期型モデルスリムモデルに焦点を当て、その特徴や開発の経緯、モデル間の違い、社会的な影響、そして発売当初の入手困難と転売騒動の背景について、カジュアルで分かりやすくご紹介して行く。

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第1章:特徴:デザイン・仕様・コントローラー

初期型PS3のデザインと存在感

初期型PS3(いわゆる“ファット”モデル)は、光沢のあるクリアブラックのボディに曲線を帯びた独特のデザインで登場した。筐体は非常に大型かつ重量級で、サイズは約325×274×98mm、重量は約5kgにも達し、まさに“重量級”の存在感だった。

正面には当時の映画「スパイダーマン」に似た書体で『PLAYSTATION 3』と大文字表記されたロゴがあしらわれ(※2009年までこのロゴが使われた)、高級感と威圧感を放っていた。ボタン類は電源・ディスクイジェクトともにタッチセンサー式で、本体背面には主電源スイッチも搭載。USB端子は前面に4ポート備え、60GBモデルではSDカード/メモリースティック/コンパクトフラッシュ対応のメモリーカードリーダーまで内蔵されていた。

まさに「あらゆる機能を盛り込んだ」意欲的設計でしたが、その分本体サイズや発熱・消費電力も大きく、後述するようにコスト面でも課題を抱えることになる。

コウ
コウ

ただ、個人的にはボディの光沢感が強すぎてあまり好みではなかったなぁ。やはりプレステはマットボディよな!皆はどっちが好み??

スリムモデルへの刷新とデザインの変化

発売から約3年後の2009年9月、SCEは初の大型リニューアルとなるPS3スリム(CECH-2000シリーズ)を発売。スリムモデルは初期型と比べて大幅に小型・軽量化され、その筐体サイズは約290×65×290mm、重量も約3.2kgと、およそ半分程度の重量・サイズに収まった。

表面仕上げも光沢からマットな質感へ変更され、指紋が付きにくく落ち着いた印象に。ロゴも従来の大文字表記から一新され、小文字混じりの「PlayStation」表記と新しい“PS3”ロゴが初めて採用されています。電源ボタン類はタッチ式から物理ボタンに変更され、本体背面のメイン電源スイッチは省略。USB端子も2ポートに減らすなど割り切った設計となりました。内部構造の見直しにより部品点数がおよそ2000点削減され、CPUやGPUの半導体プロセス微細化で発熱・消費電力も大幅低減(最大消費電力は初期型380Wからスリム250W程度まで削減)しています。こうした改良のおかげで、スリムモデルは静音性も向上し、リビングにも置きやすいスッキリとしたデザインとなりました。デザイン面では高級感の初期型、実用性のスリムと好対照であり、多くのユーザーがその変化に驚いたものです。

コウ
コウ

当時、筆者は恐ろしいほどの貧乏で新作ソフトも満足買えないくらいくらいの生活をしてたんだけど、「バイオ5」の発売と同時にどうしてもこれが欲しくて、家にあるあらゆる物を売って買ったのを覚えてる(笑)

圧巻のシステム仕様:Cellプロセッサと高性能グラフィックス

PS3の心臓部には、IBMや東芝と共同開発したCell Broadband Engine(Cell)プロセッサが搭載されている。Cellは8つのSPEと呼ばれる演算コア(うち1つは予備)を備え、3.2GHzで動作する異色のマルチコアCPU。当時「家庭用スーパーコンピュータ」とも評されたその性能は、Blu-rayビデオの最大ビットレート約48Mbpsの映像も難なく処理できるほどで、PS3を単なるゲーム機に留まらない強力なエンターテインメントマシンたらしめていた。

またグラフィックスチップにはNVIDIAと共同開発したRSX “Reality Synthesizer”を採用。RSXはNVIDIA社のPC向けGPU「GeForce 7800 GTX」を基にカスタマイズされたもので、550MHz駆動・約1.8 TFLOPS級の描画性能を持ち、専用のGDDR3ビデオメモリ(256MB)と高速接続されていた。

メインメモリには帯域の広い256MB XDR DRAMを採用し、GPU側メモリと合わせ計512MBのメモリを搭載。当時としては斬新な分散メモリアーキテクチャだったが、CPU・GPU間でのメモリ共有も可能になる設計で、マルチタスク性能を重視していた。

ストレージには全モデルHDD(2.5インチ SATA)を標準搭載し、発売時は20GBもしくは60GBの容量だった(後に80GB以上のモデルも登場)。光学ドライブは次世代規格のBlu-ray Discに対応し、従来のDVDやCDも利用可能。映像出力端子はHDMIを備えフルHD出力に対応、光デジタル音声や従来型AVマルチ出力も装備するなど、マルチメディア対応も万全だった。

初期型の一部機種ではSuper Audio CD再生にも対応しており、オーディオ愛好家から評価される場面もあった。このようにPS3は当時のコンシューマー機としては群を抜くハイスペックで、“次世代”を強烈に印象づける仕様だったのである。

SIXAXISからDUALSHOCK3へ:進化するコントローラー

PS3のコントローラーは、発売前に公開された試作デザイン(通称「ブーメラン」型)から一転し、最終的には従来のDualShockシリーズを踏襲した形状になった。製品版として同梱されたSIXAXIS(シックスアクシス)コントローラーは、PS2用DUALSHOCK2をベースにしつつ、以下のような変更が加えられている。

まず接続方式がワイヤレス(Bluetooth)となり、中央のPSボタンで本体電源ONやメニュー呼び出しが可能に。L2/R2ボタンはトリガー式に改良され、さらに「6軸検出システム」と呼ばれるモーションセンサーを内蔵し、コントローラーの傾きや動きをゲーム操作に取り入れられるようになった。

一方で従来備わっていた振動機能は訴訟問題(※1)も絡み搭載見送りとなったため(後述のとおり技術的制約ではなく戦略的判断だった)、SIXAXISは非常に軽量(約136g)である反面、振動フィードバックが無い点は賛否を生んだ。

2007年になると振動機能を復活させたDUALSHOCK 3が登場し(日本では2007年11月発売)、以降のPS3本体には標準同梱されるようになる。DUALSHOCK3は内部に振動モーターを2基搭載したため重量が約191gに増加したが、従来のタイトルで振動が再び楽しめるようになり、多くのユーザーに歓迎された。なおPS3では最大7台までのコントローラーをBluetooth接続できるのも特徴で、大人数プレイにも対応している。総じてPS3のコントローラーは、大幅な革新こそないものの、ワイヤレス化やモーション操作など時代に合わせた進化を遂げ、使い慣れた形状も相まってユーザーに受け入れられた。

※当初SCEは「モーションセンサーと振動の両立が難しい」と説明していたが、後に振動技術の特許問題(Immersion社との係争)やコスト上の理由で外したと認めている。

コウ
コウ

めちゃくちゃ直近なんだけど、友達から「PS3のコントローラー持ってない?壊れちゃって…」って言われて家中を探したら、たまたま小汚いのが見つかってあげってエピソードがある。今の時代でもPS3プレイヤーがいるんだなってことに凄さを感じた。

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第2章:開発の歴史:企画から発売、そして薄型モデルへ

2001年~:次世代機構想の始まりとCell開発プロジェクト

久夛良木健 氏

PS2の成功から間もない2001年頃、SCEは早くも次世代プレイステーションの構想を描き始める。2001年3月にはソニー・東芝・IBMの3社で「次世代並列プロセッサ」の共同開発に合意し、これが後にPS3の中核となるCellプロセッサ開発プロジェクトへと繋がった。

当時SCE社長だった久夛良木健氏は、「従来のゲーム機の枠に留まらないエンタテインメント特化の家庭用スーパーコンピュータ」を目指すと豪語し、自由なアプリ開発環境(Linuxによるサードパーティ製OSインストール機能など)をユーザーにも提供しようという大胆なビジョンを掲げていた。

このビジョンのもと、Cellは数年に及ぶ開発期間を経て完成。当初から高速インターネット時代や高精細テレビ放送の普及を見据え、HDMI端子(Ver1.3a対応)1080pフルHD映像、7.1chオーディオ出力など先進仕様も盛り込まれた。同時に次世代光ディスク規格としてBlu-ray Discの採用も決定し、PS3は「ゲームも映像も次世代」をキーワードに開発が進められた。

2005年~:E3での初公開と発売延期

2005年5月、米国ロサンゼルスで開催されたゲーム見本市E3にて、遂にPS3本体がお披露目された。この時展示された試作機は後の製品版と外観こそほぼ同じだったものの、背面の端子構成などに一部違いがあった(例えば試作機にはHDMI端子が2系統あったとも言われる)。

そして先述の通り、当初公開された試作コントローラは銀色で握り手部分が異様に長いブーメラン型で、来場者の度肝を抜いた。しかし最終的に製品版には従来型デザインのSIXAXISが同梱されることが後に発表される。

当初、発売時期は「2006年春」とアナウンスされたが、肝心のBlu-ray Disc規格策定の遅れや量産コストの再検討などが影響し、実際の発売は半年遅れの2006年11月へと延期となった。発売直前の2006年9月にはSCEから価格改定も発表され、日本国内では20GBモデルが当初予定より約1万円引き下げの税込49,980円で発売されることが明らかになった(60GBモデルはオープン価格)。

このように発売前から紆余曲折があったPS3だが、ファンの期待は高く、次世代機戦争への関心も日増しに高まって行った。

コウ
コウ

PS2の時点でグラフィック美がとんでもない次元のクオリティで「これ以上のCGは出てこないだろう」って思ってたんだけど、PS3では余裕でそれを超えて来たよね(笑)

2006年11月:日本先行発売と北米・欧州展開

2006年11月11日午前7時、ついにPS3は世界に先駆け日本国内で発売。東京秋葉原や大阪日本橋など各地の販売店には発売前夜から長蛇の列ができ、初回出荷分は全国で約8万台と少数だったこともあり、開店と同時に即完売となる店舗が続出した。

ある都内店では朝5時半の時点で行列の受付締切となり、購入を巡って店員と言い合いになる客が出るなど混乱も報じられている。日本に続き北米でも11月17日に発売されたが、こちらも初回出荷は約40万台程度と限られ、ごく短期間で店頭在庫は姿を消した。

NYやLAの大手店舗では何日も前からファンがキャンプを行い、深夜販売イベントも開催。行列客の中には抽選で本体がプレゼントされる幸運な人もいたが、一方で発売日の混乱からか強盗事件やトラブルも発生している。

欧州市場についてはBlu-ray部品の生産遅延などから発売が2007年3月に延期され、北米・日本に数ヶ月遅れてのスタートとなった。欧州発売時には早期購入者への特典としてPSN登録先着50万名に映画「007 カジノロワイヤル」のBlu-ray Discがプレゼントされるキャンペーンも実施されている。このようにグローバル展開初期のPS3は品薄状態が続き、期待の高さと生産の歯がゆさを象徴する船出となった。

発売当初のPS3は、その高価格(米国では60GB版が599ドル)高性能ゆえのソフト開発難度などから販売は緩やかな立ち上がりだった。実際、PS3の性能を引き出すにはCellの並列プログラミング知識が要求され、旧来の手法では十分な性能が発揮できない難しさがあった。このため一部サードパーティは当初参入に慎重で、結果として対応ソフトの数やバリエーションでもライバルに後れを取る。

それでも発売半年後には値下げやキラータイトル投入、ライバルHD DVD陣営の失速(後述)も追い風となり、徐々にPS3は販売ペースを上げていった。2007年末までに全世界累計出荷台数は約560万台に達し、2008年には累計1,000万台を突破。2009年に入る頃には次第に赤字だったハード製造コストも改善し始め、PS3事業は軌道に乗り始める。

2007年~:改良モデルの投入と「薄型」への進化

販売テコ入れとコスト低減を図るため、SCEは発売後もPS3本体の改良を続けた。まず2007年後半には、PS2互換機能を省いた廉価版(40GBモデルなど)が登場。初期型の基板上からPS2用のEmotion Engineチップなどを取り除き、部品コストを削減することで本体価格を引き下げた。

この結果、一部モデルではPS2ソフト非対応となったが、代わりに市場想定価格を引き下げ幅広いユーザーに手が届きやすくなる。また本体カラーにもバリエーションが増え、ホワイトシルバーのモデルも限定的に投入される。

内部的にもCellやRSXの半導体プロセス微細化(90nm→65nm化など)や冷却機構の改良が行われ、2008年頃までには本体重量は約4.4kgまで軽量化、最大消費電力も280W程度まで低減している。そして前述のとおり、2009年9月に待望の薄型モデル(PS3 Slim)が発売。HDD容量も120GB以上に増強され、価格は従来と同等ながら大幅な省電力・小型化を実現。筐体デザイン刷新とロゴ変更も相まって、市場からは「まるで新ハードのようだ」と好評をもって迎えられる。

薄型投入後、PS3の販売は再び加速し、累計台数はライバルXbox360に肉薄。2012年には全世界出荷7700万台に達し、発売7年目でついに累計台数でXbox360を逆転した。その後2012年末にはさらに小型化した『スーパー・スリムモデル(CECH-4000シリーズ)』も登場。ここでもデザイン変更とコスト削減が図られている(スライド式ディスクカバーの採用など)。

こうした改良を重ねながら、PS3は結果的に約11年という長期にわたり生産・販売が続けられ、2017年に全モデルの生産が終了となった。長寿命ハードとなったPS3の歩みは、激動の次世代ゲーム機戦争において試行錯誤を重ねた進化の歴史でもあったのだ。

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第3章:モデルごとの違い:初期型 vs. スリムを中心に

初期型モデルのバリエーション(20GB/60GBモデル他)

初期型PS3には、大きく分けてHDD容量が異なる20GBモデル(CECHB型番)と60GBモデル(CECHA型番)が存在した。日本発売当初は上位の60GB版が店頭販売され、20GB版はオンライン直販限定という扱いだったが、北米では両モデルが一般発売されている。それぞれ基本性能は同じだが、60GB版は前述の通りメモリーカードリーダー無線LAN(Wi-Fi)機能を内蔵し、本体前面の銀色のライン(装飾)など高級感ある仕様だった。

一方20GB版はそれらを省いた廉価モデルで、無線LAN非対応(有線LANのみ)で本体カラーの銀ラインも無しといった違いがある。また両モデルとも初期出荷分にはPS2との下位互換機能が搭載されていた。具体的にはハードウェア的にPS2用のEmotion Engine+Graphics Synthesizerチップを搭載しており、PS2ゲームがほぼ完全にプレイ可能だった。

しかしこの機能は高コスト要因でもあったため、SCEは2007年以降に発売した新型番の40GBモデル(CECHGxxなど)で思い切ってPS2互換を削除する。40GBモデル以降では下位互換の代わりにHDD容量増加や低価格化が図られ、PS2ソフトは遊べないもののPS3専用ソフトに特化した割り切り路線となった。

さらにPS2互換だけでなく、初期型に存在したSuper Audio CD再生機能や一部端子類も段階的に簡素化されている。例えば初期60GBのみ対応だったSACD再生は40GB以降非対応となり、USB端子も上述の通り4個から2個へ削減された。

また初期型ではLinuxなどサードパーティ製OSをインストールできる「Other OS機能」が公式に提供されていたが、2010年のシステムソフトウェアアップデートでセキュリティ上の理由からサポート終了となっている。このように初期型PS3は機能てんこ盛りだった反面、コスト削減や戦略変更に伴い発売後に徐々に仕様縮小が行われた経緯がある。

薄型PS3(CECH-2000シリーズ)の変更点

PS3スリム(CECH-2000/2100シリーズ)は、初期型から内部構造まで刷新されたモデル。最大の特徴は物理的な小型・軽量化で、重量約3.2kgと初期型(5kg前後)の約6割程度、体積も半分以下に収まっている。内部のCell Broadband EngineとRSXはともに45nmプロセス版に変更され、発熱と消費電力が大幅に低減した。

冷却ファンの静音化や排熱構造の最適化により、動作音も初期型より静かになっている。機能面では、初期型で削減されていた部分以外に新たな機能追加も行われた。例えばスリムではHDオーディオ(Dolby TrueHDやDTS-HD MA)のビットストリーム出力に対応し、対応AV機器への音声パススルーが可能となった。

さらにソニー製テレビとの連携機能であるブラビアリンク(HDMI機器制御)にも対応し、テレビのリモコンでPS3の基本操作ができる便利さが加わった。一方で初期型に存在したOther OS機能やPS2互換といった特殊機能は引き続き省かれている。

外観デザインの変化については前述した通りで、ロゴ変更や質感以外にも、例えば本体前面の電源ランプ/ディスクランプが省略されるなど細かな簡略化も見られた。総合すると、スリムモデルは初期型と比べ機能の取捨選択が明確になったモデルと言える。必要十分な機能を残しつつコストとサイズを圧縮し、市場に再アピールすることでPS3プラットフォーム全体の延命と普及拡大に貢献した。

後期モデル(スーパー・スリム)とその他のバリエーション

PS3には薄型モデル以降もいくつかのマイナーチェンジ版が存在する。2010年~2011年にかけて発売されたCECH-2500/3000シリーズでは、内部部品のさらなる省電力化・軽量化が図られ、重量はついに約2.6kgまで減少した。

筐体表面の素材変更や一部LEDの省略など、外観上の微調整も行われている。さらに2012年9月に発表された『スーパー・スリム PS3(CECH-4000シリーズ)』は、従来のスロットローディング式ディスクドライブを廃し、天板を手動でスライド開閉するトップローディング構造を採用したモデル。

内部ストレージにフラッシュメモリ12GBを搭載した低価格版が欧州で発売されたほか、日本国内でも250GB500GB HDD搭載モデルが発売された。スーパー・スリムは本体重量約2.0kg台とシリーズ最軽量で、縦置きスタンドなしでも安定しやすいフラットなデザインが特徴。機能面の大きな変化はないが、細部のコストダウンにより価格が一層手頃になり、発売から6年以上経過したタイミングでの販売テコ入れとなった。

総じてPS3のモデルバリエーションは、初期の高機能路線から徐々にコスト最適化・スリム化へシフトしていったことが分かる。それぞれのモデルに一長一短があり、用途や好みに応じてユーザーが選択できる幅広さもPS3ならではの魅力と言えるだろう。

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第4章:社会的影響:ゲーム業界とユーザー体験へのインパクト

ゲーム業界への影響と第7世代機戦争

PS3の登場はゲーム業界に大きなインパクトを与えた。前世代王者であったPlayStationブランドの新型ということで注目度は抜群だったが、現実には熾烈な第7世代機戦争の真っただ中に投入される形となった。

ライバルのXbox 360は1年先行して市場を開拓し、任天堂Wiiは新しい操作体系でカジュアル層を取り込んで大ヒットする中、PS3は高性能路線ゆえの高価格とソフト開発難で序盤は苦戦を強いられる。とくにCellの扱いづらさからマルチプラットフォームタイトルで劣化版と評されたり、かつてPS独占だった大作シリーズが他機種とマルチ展開になるなど、SCEにとって試練の時期が続いた。

それでも、時間の経過とともにSCEとデベロッパ各社はノウハウを蓄積し、Cell/RSXのポテンシャルを引き出すタイトルが増加する。例えば「アンチャーテッド」シリーズや「メタルギアソリッド4」、「The Last of Us(ラスト・オブ・アス)」など、後年になるほどPS3の性能を生かした高品質な独占タイトルが登場し始めた。

これによりプラットフォームとしての魅力が高まり、最終的には世界累計8700万台以上を売り上げるまでに至っている。またPS3時代には、ゲームエンジンの汎用化やマルチプラットフォーム前提の開発が業界標準となった時期でもある。開発効率化の潮流の中、Cellの並列計算思想は後のGPGPU時代に先鞭を付けた先進性があり、結果的にゲーム開発技術の進歩に寄与した面もあるだろう。

さらにPS3のBlu-ray採用は大容量メディアのおかげでゲーム内コンテンツのリッチ化を促し、HD時代におけるゲーム表現の底上げに繋がった。総じてPS3は苦戦も経験したが、それを乗り越えて据置ゲーム機市場を盛り上げ、第7世代ゲーム体験の進化に大きく貢献したと言える。

ユーザー体験の変革:HDグラフィックとマルチメディア機能

PS3はユーザーのゲーム体験にも様々な変革をもたらした。まず第一に、PS3によって家庭用ゲームがフルハイビジョン時代に突入。HDMI経由で美麗な1080p解像度の映像出力が可能になり、対応テレビさえあれば従来のPS2では考えられない鮮明で迫力のあるグラフィックが楽しめる。

これは映画鑑賞やデジタル写真のスライドショーなどにも恩恵を与え、PS3は単なるゲーム機に留まらずオールインワンのAV機器として活用された。内蔵HDDに動画や音楽、画像を保存して再生するメディアプレーヤー機能や、DVDのアップコンバート再生機能、さらにはインターネットブラウザ搭載によるウェブ閲覧まで、PS3一台で多彩なデジタルコンテンツを扱えた。

こうしたマルチメディア機能は当時のゲーマーにとって新鮮で、「ゲームもできる高性能パソコン」のような位置付けでリビングに置かれるケースも見られた。またソフト面では、PS3中期以降からゲーム内でのオンライン要素が飛躍的に拡充した。例えば協力・対戦プレイのオンライン化、大規模アップデートによるコンテンツ追加、トロフィー機能による実績システムの導入(2008年~)など、現在では当たり前となった要素がPS3時代にかけて次々導入されている。

さらにユニークな試みとしてPlayStation Homeと呼ばれる仮想3D空間サービスも提供され(2008年開始)、アバターを介して他のプレイヤーと交流したりゲーム連動イベントに参加できるなど、新しいユーザー体験が追求された。

総じてPS3は「It Only Does Everything(できないことはほとんどない)」という北米のキャッチコピーが示す通り、ゲーム体験の幅を広げユーザーの生活に様々なデジタルエンターテインメントを融合させた存在だった。

Blu-ray普及への大きな貢献

PS3がゲーム以外に与えた大きな影響として見逃せないのが、Blu-ray Discの普及への貢献。発売当時、次世代光ディスク規格はBlu-ray陣営とHD DVD陣営に二分され競争状態にありました。ソニーは自社が推進するBlu-rayを普及させる“切り札”としてPS3を位置付けており、実際にPS3は市場で最も安価なBlu-ray再生機として注目を集めた。

PS2が当時普及途上だったDVDプレーヤーを兼ね安価なDVD再生機として普及を後押ししたように、PS3もまた多くの家庭にBlu-ray再生環境をもたらした。事実、PS3発売直後にはBlu-rayソフトの売上がHD DVDを上回り始め、映画会社各社もBlu-ray支持へと傾いて行った

決定的だったのは2008年初頭、映画大手のワーナーがBlu-ray専念を発表し次世代ディスク戦争の趨勢が決したことだが、その背景には「普及台数で勝るPS3がBlu-ray陣営を押し上げた」ことが一因とされている。

またPS3自体も初期ロットに映画「Talladega Nights(日本未発売)」のBlu-rayディスクを同梱し、ユーザーに新世代の高画質映画を体験してもらう施策を行った。結果的にHD DVDは市場撤退し、Blu-rayが次世代ディスクの標準フォーマットとなったのは周知の通り。

PS3はゲーム機でありながら、この規格争いにおいて*勝利の立役者”とも呼べる存在だった。加えて、大容量メディアを使える強みはゲームソフトにも活かされ、開発者はより多くのHDデータを詰め込んだリッチなゲーム体験を提供可能となった。

以上のように、PS3はBlu-rayという次世代フォーマットの普及と定着に大きく寄与し、ゲーム業界のみならず映像エンターテインメント業界にも影響を与えたのである。

PlayStation Networkの進化とオンラインプレイの定着

PS3時代におけるもう一つの革命は、ソニーのオンラインサービスPlayStation Network (PSN)の本格展開である。PS3発売と同時にスタートしたPSNは、無料でアカウント登録することでオンライン対戦や協力プレイ、PlayStation Storeからのゲーム配信ダウンロードなどが利用できる統合プラットフォームだった。

これはそれまでのPS2時代のオンライン環境(ゲームごとに独立したネットワーク対応が必要)とは大きく異なり、SCEが一元的にインフラを用意することでユーザーはシームレスにオンライン機能を享受できるようになった。

PSN上のPlayStation Storeでは、フルプライスのゲームソフトだけでなく昔のレトロゲーム(後述のゲームアーカイブス)やインディータイトル、追加ダウンロードコンテンツ、映画・アニメの映像配信など多岐にわたるコンテンツが販売されるようになる。特にゲームアーカイブスは初代PSやPCエンジンなど往年の名作を数百円程度で購入・ダウンロードしPS3上で遊べる人気サービスとなり、懐かしのタイトルを手軽に楽しめる環境を提供した。

また2010年には定額制サービス「PlayStation Plus」も開始され、加入者向けに毎月厳選タイトルの無料提供やオンラインストレージ、特別割引といった特典を付与するビジネスモデルが導入される。現在主流のサブスクリプション型サービスの先駆けとも言えるPS+の登場で、PSNはSCEにとって重要な収益源となり、ユーザーにとってもオンラインを活用したお得なサービスとして定着して行った。

しかしPSNは便利さと引き換えに課題も抱えていた。最大の事件は2011年4月に発生したPSN個人情報流出事件で、外部からのハッキングにより世界中のPSN利用者の情報が漏洩、サービスが長期間停止する事態となった。

結果としてソニーは無料ゲーム提供などで謝罪し、以降セキュリティ強化に努めることになります。この事件はオンラインサービス運営の難しさを露呈したが、一方でそれだけPS3が「ネットワークと繋がったゲーム機」として生活に浸透していた証でもある。

PSNを通じてフレンドと繋がりいつでも対戦・協力ができる、新作ゲームや体験版を家にいながらダウンロードできる——そうした現在では当たり前の環境がPS3世代で花開いたことは、ゲームの遊び方そのものを変えた社会的変化と言えるだろう。

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第5章:転売騒動と入手困難の背景

発売直後の品薄と高額転売ブーム

PS3発売当初の話題として欠かせないのが、深刻な品薄とそれに伴う高額転売の発生。先述の通り日本では初回出荷約8万台と需要に対して極端に供給が少なく、一瞬で店頭から姿を消したPS3だが、手に入れられなかった人々はネットオークションや中古市場に殺到した。

発売直後にはヤフオクやeBayでPS3が新品定価の倍以上、時には15~20万円相当の高値で取引される事例も報じられている。米国でも状況は同様で、行列の先頭で購入した若者が「売るか遊ぶか迷う」とコメントしつつ、当時eBayで2000ドル以上もの値が付いている状況に驚いたというエピソードもあった。

実際、発売日にPS3を購入した人の中にはそのままオークションに出品し転売益を得る者も続出し、これにはメーカーのSCEも頭を悩ませた。北米SIEのジャック・トレットン副社長(当時)は「春頃までは店頭在庫が何秒も持たないだろう」と述べ、当面の入手困難が避けられない見通しを示していた。このようにPS3は発売と同時に深刻な品不足となり、それが高額転売という社会現象を引き起こした。

なぜPS3は入手困難だったのか

では、なぜここまでPS3は入手困難に陥ったのだろうか。その背景にはいくつかの要因が指摘されている。

まず最大の理由は、Blu-rayドライブの部品生産の遅れ。次世代DVD規格戦争の最中でBlu-rayの量産体制が万全でなかったことから、PS3本体の製造ペースにブレーキがかかった。ソニーは当初「全世界2006年末までに200万台出荷」を目標に掲げていたが、生産現場では光ピックアップ部品の供給が追いつかず、実際の初回出荷は世界合計でも50万台程度に留まったとの分析もある(日本8万台・北米約40万台)。

第二に、PS3本体の高コスト構造も要因でした。CellやBlu-ray、PS2互換チップなど最先端を詰め込んだ結果、1台あたりの原価が販売価格を上回る逆ザヤと言われ、そう簡単に増産できる状況ではなかった。

さらに発売前の想定を超える需要の高まりもあった。前世代PS2が1億台超えの大ヒットだったことで、多くのユーザーが発売日に殺到することは予想されていたものの、競合ハードとの競争や発売延期による話題性も相まって、蓋を開ければ供給の何倍もの予約希望が殺到したと言われる。こうした需給ギャップが「幻のPS3」状態を生み、転売価格の高騰につながったのである。

その後の供給改善と初期型プレミア化現象

転売騒動が続く中、ソニーは生産体制の強化に努めた。2007年になるとBlu-rayドライブの量産も軌道に乗り、春以降は店頭在庫が徐々に潤沢になって行く。発売から半年~1年ほどで品薄は解消し、転売価格も沈静化していった。

一方で、皮肉にも初期出荷の60GBモデルは後にプレミア化する現象も起きる。というのも、前述したとおり初期の60GB版はPS2互換やSACD再生など後発モデルにはない機能を持っていたため、これを求めるコアなファンやコレクターが中古市場で高値を出すケースが見られたのである。

特にPS2互換については、後年PS3が主流になってからも「PS2名作を高画質で楽しみたい」「PS2と本体を切り替えずに一本化したい」という需要が根強く、一時期は中古美品の60GBモデルが新品時以上の価格で取引されることもあった。

もっとも初期型は故障率(YLOD問題など)や発熱も高めであったため、実用性では後期型に軍配が上がった。このようにPS3は、その時期ごとに希少価値が語られる特殊なハードでもあった。

当初は品薄ゆえの高騰、後には初期型固有機能ゆえの再評価と、常に話題に事欠かなかった点もまたPS3の存在感を示すエピソードと言えるだろう。

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終章:PS3が残したもの

PlayStation 3」というハードは、決して順風満帆な道のりばかりではなかった。発売延期や出足の苦戦、ライバル台頭への焦り、そしてネットワーク時代の荒波――そうした困難を乗り越えつつ、最終的には全世界8000万台以上の普及を達成し(2014年時点)、家庭用ゲームのHD/ネットワーク時代を切り開いた功績は計り知れない。

PS3がもたらしたCellやBlu-rayといった先進技術の数々、オンラインサービスやマルチメディア機能の広がりは、後継機PS4以降や現在のゲーム体験にも確実に引き継がれている。

10年戦える」と豪語して本当に約10年の長寿を全うしたPS3は、まさに現代ゲーム機の礎を築いた1台だったと言えるだろう。初期型とスリム型、それぞれに個性と魅力があり、多くのユーザーにとってPS3はゲームのみならずBlu-rayで映画を観たり音楽を楽しんだりと生活の一部となった思い出深い存在だろう。

もし押し入れに眠っているPS3があれば、ぜひ久しぶりに電源を入れてみて欲しい。当時の名作ゲームや懐かしいクロスメディアバーのメニュー画面が、きっと鮮やかに当時の記憶を呼び覚ましてくれるはず。

そしてPS3が築いたものの上に、今なおPlayStationの物語は続いている。

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