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【特集】ゲーム業界を動かしたクリスマス商戦の歴史|ファミコンからPS5まで

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コウ
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この記事は、筆者の気合いが入りすぎてトータル約27,000字もございます(笑)気合いを入れてお読みください。

家庭用ゲーム機とゲームソフトのクリスマス商戦の歴史(1980年代~2020年代)

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はじめに

家庭用ゲーム機の市場では、クリスマスから年末年始にかけての「ホリデーシーズン」は年間最大の商戦期である。

1980年代から2020年代まで、この季節に多くのゲーム機や人気ソフトが発売され、品薄や行列、社会現象となるブームが各年代で繰り広げられて来た。

本稿では、各年代ごとの主要な家庭用ゲーム機とクリスマス商戦にまつわる代表的なトピックを振り返り、その時代のマーケティング戦略や流通の工夫、消費者行動の変化に加え、日本と海外(特に米国)の違い、そして成功例・失敗例を考察して行く。

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1980年代:ファミコンブームと家庭用ゲーム復活の黎明期

1983年

1983年に任天堂のファミリーコンピュータファミコンが発売されると、日本の玩具店はゲーム機とソフトを求める子どもたちで溢れた。

発売から2年で350万台を売り上げたファミコンは社会現象となり、特にクリスマスから正月にかけての玩具販売シーズンには品切れ店が続出するほどの人気だった。

実際、1985年末にはゲーム攻略本が年間ベストセラーになるなどゲーム熱は高まり、ファミコン本体も人気ソフトも入手困難な状態が続いたと報じられている。当時の東京・新宿のヨドバシカメラには子供たちが集まり、ファミコン本体の「品切れ」表示が掲示されるほどだった。

家庭用ゲーム市場はこの時期、一度は1983年のアタリショックで冷え込んだものの、ファミコンと任天堂ソフトの成功で劇的な復活を遂げ、ホリデーシーズンはおもちゃ業界における一大イベントとして定着した。

コウ
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ちなみに筆者はこの頃はまだ全然生まれていなく、まさに父親がこの世代ど真ん中だったという。当時、父親もファミコンを購入したらしいんだけど、歳の離れた妹とよくプレイしていたようだ。微笑ましい(笑)

1988年

Screenshot

日本でのファミコンブームを象徴する出来事が1988年の「ドラクエ3」の発売である。発売日は2月だったが、社会現象的ヒットとなり全国の店で購入希望者の長蛇の列ができた。

ファミコン用ソフトとして歴代3位(日本)となる約380万本を売り上げ 、ゲームソフト単体の爆発的需要がマスコミで大きく報じられた。あまりの人気ぶりに、中高生が発売日に学校を欠席する社会問題も起き、以降「ゲームソフトの発売日は週末にする」という業界の自主規制が語られるほどだった(※実際に公式に決まったルールではないが、噂として広まったという)。

コウ
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「ドラクエ3」に関しては、筆者を含め現代で遊んでも相当面白く、未だに評価が高いことから、当時のユーザーの熱狂ぶりがよく分かる。

このように1980年代後半には、ハードとソフトの双方でクリスマス商戦時の需要過熱が見られ、任天堂はファミコンに続き1989年には携帯型のゲームボーイを発売し、新たな市場を開拓して行く。

一方、米国では1980年代後半に任天堂エンターテインメントシステム(NES)が空前の人気を博していた。1985年に北米でNES(ファミコン)が発売されるとビデオゲーム業界は復興し、1988年頃にはNESが子どもたちのクリスマスの定番ギフトとなる。

とはいえ、1988年のホリデーシーズンには半導体メモリ不足による生産遅れでNES本体や人気ソフトが品薄となり、任天堂は一部の旧作ゲーム生産を打ち切って新作にチップを回すなどの対応を迫られた。

任天堂米国法人のマーケティング担当ピーター・メイン氏は「年末までに需要の10~15%に供給が追いつかないだろう」と述べており 、実際に子どもたちがクリスマスプレゼントに任天堂商品を手に入れられない事態も起きている。

この品薄は「1988年の任天堂チップ不足騒動」としてニュースにもなり、米国の親たちは店頭でNESやソフト『ゼルダの伝説』などを探し回ることになった。

また同時期、米国のおもちゃ業界ではキャベツ畑人形1983年)やティッケル・ミー・エルモ(1996年のようにゲーム以外のホットな玩具も現れ、店頭での奪い合いや報道が過熱する文化が醸成されていった。

こうした中でNESは「子どもが欲しがる代表的プレゼント」となり、ファミコンと並んで80年代後半のホリデー商戦を席巻した。

💬父親に「オヤジもやっぱりゲームを買うのに並んだりしたの??」って聞いたら、「金が無さすぎてそもそもゲームを滅多に買えなかった」という返答が来ました。

マーケティング戦略と流通・消費者動向

1980年代の前半はテレビCMや玩具店でのデモプレイが主な宣伝手法で、任天堂は「マリオ」「ゼルダ」など自社キャラクターを前面に出してファミコンの普及を図った。

流通面では玩具問屋を通じた供給が中心だったが、需要爆発に生産が追いつかず品薄が恒常化する中で、小売店は入荷分を抽選販売にしたり、長蛇の列を整理券でさばいたりと試行錯誤した。

当時はインターネットがないため、消費者は店頭に直接並ぶ以外に入手手段がなく、朝早くから行列するのが普通だった。日本では年末商戦と言えば子ども向け玩具のイメージが強く、ファミコンも主に低年齢層へのプレゼント需要が牽引した。

一方米国では、両親だけでなく祖父母世代まで巻き込み「孫に任天堂製品を買ってあげたい」という動きが見られ、ホリデーシーズンにおけるテレビゲーム=子どもの夢のプレゼントという図式が確立した。

また、ゲーム攻略本のヒット やゲームセンター人気(スペースインベーダーなど)の家庭移植により、大人も交えてゲーム談義が盛り上がるなど、ゲームが一家の話題になる文化がこの頃に芽生えたことも特筆される。

日本と海外の違い

80年代当時、日本ではクリスマスは主に子供向けのイベントで、プレゼント商戦はおもちゃ業界主体だった。

ファミコンはその中でも突出した存在だったが、日本ではクリスマス直後の「お年玉🧧」も含めた年末年始が販売ピークだった。一方アメリカでは感謝祭翌日の「ブラックフライデー」からクリスマスまでが最盛期で、大規模セールも行われた。

NESはホリデーに合わせた広告キャンペーンやテレビ番組とのタイアップ(例:映画『ウィザード』でのマリオ3のお披露目など)も仕掛けられ、任天堂は世界各国で戦略を変えていた。

また、日本で社会問題化した発売日の学校欠席問題(ドラクエ3)などは、日本ならではの現象だった。海外では発売日よりもクリスマス当日に向けた需要集中が大きく、在庫奪い合いの報道が多かったのが特徴。

成功例と失敗例

この時代の成功例は何と言ってもファミコン/NESの世界的大成功だろう。ファミコンは全世界6,000万台以上を売り上げ 、ホリデー商戦ごとに記録を更新した。

ソフト面でも『スーパーマリオブラザーズ』『ゼルダの伝説』『ドラゴンクエスト』などが社会現象となり、「ゲームはクリスマスプレゼントの王道」というイメージを定着させた。一方、失敗や課題もありました。需給予測のミスによる品不足はメーカー・小売双方の問題として顕在化し、消費者の不満も招いた。

任天堂は1988年のチップ不足で痛手を負い、増産対応を迫られています。また、他社ではセガ・マークIII(マスターシステム)PCエンジンなども存在したが、ファミコンの独走に埋もれがちだった。

アメリカでは1980年代初頭のゲーム市場崩壊(いわゆるアタリショック)という失敗も経験しており、その反省から任天堂は厳しい品質管理とライセンス制度で市場信頼を回復させた。総じて80年代は、家庭用ゲーム産業が冬から再生し、クリスマス商戦がその中心舞台となった時代と言える。

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1990年代: 次世代機戦争とゲーム市場の拡大

1990年代に入ると、ファミコン世代の子供たちが成長するのに合わせて次世代のゲーム機が続々と登場し、クリスマス商戦も熾烈さを増した。

16ビット機への移行や3Dグラフィックスの登場など技術革新が起こり、マーケティングや消費者層にも変化が現れる。この時代は、日本ではスーパーファミコンスーファミPlayStation、米国ではSega Genesis(メガドライブ)Nintendo 64などがホリデーシーズンの主役となり、「次世代ゲーム機戦争」が各クリスマスに展開された。

前半:16ビット機とスーパーファミコンの戦略

1990年、任天堂はついにスーパーファミコンSuper Famicomを発売する。発売日は11月21日で、明らかにクリスマス商戦を狙ったタイミングだった。正式発表から発売まで半導体不足で時間を要したものの、発売開始後はその年のクリスマス際注目商品となり、ファミコンに続く大ヒットを記録した。

当時玩具店で働いていた人の証言によれば、発売直後は「スーパーファミコンありませんか?」という問い合わせが毎日殺到し、入荷は週に数個あるかないかという希少さだったという。

そこで店舗によっては、少数ずつ入荷する本体をすぐ売らず倉庫にため込み、クリスマス直前に山積み陳列するという作戦も取られた。これは「品揃えの良さ」を演出して口コミを呼ぶ狙いがあり、実際その店ではイブ前の日曜日に積み上げたスーファミが即日完売し、さらなる客足を呼び込む効果を上げたそうだ。

このように、高額商品となったゲーム機をめぐり予約や小出し販売など流通面での工夫が凝らされるようになったのも90年代の特徴。

スーパーファミコン発売当時、日本ではファミコン後期から続くゲームブームが定着しており、子供から大人までが新ハードの登場を待ち望んでいた。発売日当日は全国の店で行列ができ、任天堂が用意した初回出荷約30万台(発売日当日分は約10万台強)も即日完売している。

一部店舗では他の商品販売を止めゲーム機販売に専念したとの報道もあり、深夜から徹夜組が出る盛況ぶりだった。それでもファミコン時代の「ドラクエ3」のような大混乱には至らなかったが、品薄ゆえにスーファミを買えなかった親子が代わりに前年発売のゲームボーイ+『テトリス』を購入していくという微笑ましい光景も見られたという。

この現象は、ゲームボーイがまだ普及し始めの時期だったこともあり、「代替需要」で一気に裾野を広げる結果となった。

また1990年の日本市場では、ゲーム機以外にも玩具では「SDガンダム」などヒット商品があったが、クリスマスはゲーム関連が主役になっていったのがこの時代の傾向である。

米国では、16ビット機としてセガ・ジェネシス(メガドライブ)が任天堂に先んじて1989年から展開され、ソニック・ザ・ヘッジホッグなどのヒットで人気を博した。

任天堂は北米版スーファミとなるSuper NES1991年秋に発売($199)し、最初のクリスマス商戦で約200万台を北米で販売している。

この時期、北米では任天堂とセガが熾烈なマーケティング合戦を展開し、セガは「Genesis Does What Nintendon’t(ジェネシスにできて任天堂にできないこと)」という攻撃的な広告で注目を集めた。

結果的に16ビット機市場は任天堂VSセガの二強時代となり、クリスマスには両社の新作ソフトや周辺機器(例:Sega CDやスーパーゲームボーイなど)が競い合った。

日本と違い、北米の消費者層にはティーンエイジャーも多く、スポーツゲームや格闘ゲームを好む層をセガが取り込み、任天堂はマリオやゼルダといったオールターゲット向けタイトルで対抗した。

マーケティング戦略の違いも鮮明で、セガは派手なテレビCMや有名人起用(歌手マイケル・ジャクソンのゲーム開発など)で話題づくりをし、任天堂はディズニーなどファミリー向けコンテンツとの提携で信頼感を打ち出した。

この競争は「16ビット戦争」とも呼ばれ、消費者の選択肢が広がった一方で、ホリデー商戦時にはどちらのハードを買うべきか家庭内で議論になることもしばしばだった。

中盤:32ビット・64ビット世代と熾烈なクリスマス戦争

1994年末から1995年にかけて、ゲーム業界は32ビット機の時代に突入する。日本では1994年のクリスマス直前にソニーの「PlayStationプレイステーション」とセガの「セガサターン」が相次いで発売され、市場は未曾有の盛り上がりを見せた。

プレイステーションPS)の発売日は1994年12月3日で、当日は全国で徹夜組が出るほどの大行列となり、用意された約10万台の初回出荷は即日完売している。

一方、セガサターンはそれに先立つ11月22日に発売されており、こちらも初回出荷20万台が発売直後に完売する人気ぶりだった。

つまり1994年末の日本では、約2週間差で登場した新ハード2機種がどちらも品薄&即完売状態となり、文字通り「次世代機戦争」がホリデー商戦で勃発した。この年は任天堂の新ハードはなく(任天堂64は1996年まで発売延期)、ソニーとセガの一騎打ちだった。

プレイステーションはソニー初の家庭用ゲーム機ということで当初は未知数だったが、その豊富なサードパーティ参入(240社以上)と3DCG表現力への期待感から発売前から大きな話題となった。発売当日の行列や盛況ぶりにメディアも注目し、「ソニーがゲーム市場に本気参入」「任天堂天下に風穴」という論調で報じられた。

一方セガサターンはキラータイトルとして業務用で人気の『バーチャファイター』を同時発売し、1994年内に50万台、発売半年で100万台出荷というセガ史上かつてないスピードで普及した。

セガサターンの成功は、特に日本市場ではセガに追い風をもたらし、1995年のクリスマス商戦ではセガサターン用の『バーチャファイター2』がミリオンヒットを飛ばすなど勢いを見せる。

このように中盤90年代の日本は、複数のプラットフォームが競う群雄割拠の様相を呈し、クリスマス商戦期には各社が有力ソフトや値下げキャンペーンでシェア争いを行った。

海外(特に米国)でも1995年後半のホリデーシーズンは大きな転換点だった。ただし展開は日本と異なり、セガとソニーの明暗が分かれる。セガは本来北米では1995年9月にサターンを発売する予定だったが、競争先取りのため1995年5月のE3で電撃的に「今日から一部店舗で発売」と前倒し発売をしてしまう。

しかしこの戦略は混乱を招き、限られた小売店にしか在庫がなく多くの消費者が買えず、しかもローンチに目玉の『ソニック』新作が間に合わないという失策もあった。

一方ソニーは北米では予定通り1995年9月9日にPSを$299で発売(サターンより$100安い価格 )し、大々的な広告展開と十分な初期在庫で市場に送り出した。

その結果、ホリデー1995にはPlayStationが約80万台以上売れ、セガサターンは追随できず、以後米国市場での差は決定的となる。クリスマス商戦ではPSの『リッジレーサー』『バトルArena Toshinden』などが注目され、若年層から大人までソニーのブランドイメージが定着して行った。

任天堂はというと、次世代機Nintendo 64N64を満を持して1996年6月に日本発売する(当初はクリスマス95に出す計画でしたが延期)。発売日は夏だったが、それでも全国で抽選販売を行う店が出るほど希望者が殺到し、1人1台制限でも即完売が続く人気ぶりだった。

N64のキラータイトル『スーパーマリオ64』は発売直後から品薄となり、1996年末までに日本で約200万台、北米でも9月の発売から年末までに約150万台超を販売する。

特に1996年の米国ホリデーシーズンではN64が「最も欲しいクリスマスギフト」と称される人気となり、業界外でも話題になった。しかし同時に供給不足も深刻で、感謝祭明けのブラックフライデーには店頭に行列ができ、Best Buyの担当者が新聞インタビューで「見つけたら即買うべき」と語るほどだった。

玩具店Targetのチラシには「需要の高まりとメーカーの出荷不足により数量限定」とのお詫び広告が掲載され 、小売店はN64本体に雨降りの日の遊園地のようにレインチェック(後日の優先購入券)を配布して対応した。

それでも捌けない需要はクリスマス直前に$199の定価が$600以上に吊り上がる転売(当時はeBay黎明期だったため新聞の売買欄が利用)に現れ 、この年は同じく品薄だった人気人形「ティッケル・ミー・エルモ」(定価$30が$400以上)と並びニュースで報じられるホリデー商戦狂騒曲となった。

結果的にN64は長期的な普及台数では前世代より伸び悩んだものの(全世界約3,293万台 )、発売初年度の熱狂ぶりは90年代後半を象徴する出来事だった。

💬筆者はクリスマスにサンタさんから64をもらいました。ソフトだけ寝床にあって「64持ってなーい!」って叫んでたら、コタツの中から包装された64が出てきたのをよく覚えてる(笑)

後半:ポケモン現象と多様化するゲーム商戦

1990年代後半には、ゲームソフト側のブームもクリスマス商戦を彩りました。特に1996年以降の「ポケットモンスター(ポケモン)」現象は世界的ヒットとなり、関連ゲームや玩具がホリデーシーズンに飛ぶように売れた。

日本では『ポケットモンスター 赤・緑』(ゲームボーイ用, 1996年2月発売)は発売当初こそ地味だったが、口コミでじわじわ人気が拡大し、1997年末には社会現象化。98年には『ポケモンスタジアム』『ピカチュウ版』なども登場して子どもたちの関心を独占し、クリスマスにはゲームだけでなくカードゲームやキャラクター玩具まで品薄になる総合的ブームとなった。

米国でもポケモンは1998年にゲームボーイ版が発売されるや爆発的人気となり、1999年のクリスマス商戦では「ポケモンカードやゲームが今年一番のホットなおもちゃ」と報じられている。

実際、1999年末には親がPokémonグッズを求めて店を駆け回り、eBayに数千件の出品が殺到、カードが定価$3のものに$100以上の値が付くような「狂乱状態」になったとも伝えられた。

アメリカではティッケル・ミー・エルモ(1996ファービー(1998)など毎年話題の玩具が出現し「ホットトイ」の概念が定着したが、1999年はゲーム発のポケモンがファービー以上の熱狂を起こした年として記憶されている。

また、日本発の携帯ゲーム・デジタル玩具のヒットもこの時期の特徴です。1996年発売の「たまごっち」(携帯育成ゲーム玩具)は小学生中心に空前のブームを起こし、97年のクリスマス商戦でも入手困難だった。

ゲームボーイ向けでは『テトリス』『ゲームボーイポケット』(1996)などで再ブームが起き、1998年にはカラー画面のゲームボーイカラーが発売されこちらもホリデーで品薄となった。これらは携帯ゲームがクリスマス商戦の主役に躍り出た例であり、据置型ゲーム機だけでなく様々な形態のゲームデバイスが市場を賑わせ始める。

💬「たまごっち」に関して母親が鬼ほどハマっていて、当時の品薄状態を嘆いていた。でもその状況で3個も持っていた母は一体何者だったのか…

マーケティング戦略と消費者行動

90年代はメディアミックス戦略が本格化し、テレビCMに加え雑誌展開やタイアップが積極的に行われた。ソニーのPlayStationはスタイリッシュなCMや雑誌広告で若者・大人向けを打ち出し、「PlayStationする?(ゲームしよう)」というキャッチコピーを流行語にした。

一方、任天堂は依然として子供とファミリー重視で、『マリオ』『ゼルダ』はアニメやグッズ展開も行い低年齢層への訴求を続けた。セガはその中間で、アーケード移植やマニア向けタイトルを強みにコアゲーマー層へアピールした。

流通面では、予約制度の普及が顕著。ドラクエ3騒動以降、日本ではゲームソフトの事前予約が定着し、ハードも発売前予約が一般化した。これにより行列の分散が図られたが、それでも人気商品は発売日当日に行列や完売が相次いだ。

また小売店独自の販売イベント(深夜販売や抽選会)が登場したのも90年代後半。消費者行動としては、より広い年代層がゲームを楽しむようになり、家族で遊べるパーティーゲーム(例:マリオパーティ、ボンバーマンなど)もクリスマス向けに売れた。

同時に、暴力表現のあるゲームや18歳以上対象の作品も出始め、これらはホリデーシーズンに子供が欲しがるが親が悩むケースもあり、ゲームのレーティング制度(CERO/ESRB)の導入に繋がって行く。

日本と海外の違い

この時代、日本では新ハード発売をクリスマスにぶつける戦略が顕著だった。スーパーファミコン(1990年11月)、プレイステーション(1994年12月)、セガサターン(1994年11月)と立て続けに年末商戦期に登場している。

任天堂64だけは延期のため夏発売となったが、それでも初年度の年末商戦で大きな話題となった。海外(米国)では逆に、新ハード発売は秋までに済ませてホリデーに備える傾向が強かったようだ。

例えば、プレイステーションとN64はいずれも北米では9月発売でホリデーに市場に行き渡らせている。これはブラックフライデーからクリスマスまでの商戦に照準を合わせるためで、日本よりも発売タイミングを前倒しするケースが多い(もっともPlayStation 2以降は日本の発売が先行するケースも出て来る)。

また消費者の興味にも若干の差があった。日本ではRPGなどストーリー重視の作品(ドラクエ、FFなど)が牽引していたのに対し、米国ではアクションやスポーツゲーム(例えばNBAやNFLのゲーム、格闘ゲームなど)のホリデー売上が強かった傾向がある。

さらに販売チャネルも差があった。日本では玩具店に加え家電量販店がゲーム販売を強化し始め、ソニーは自社ブランドショップでの展開も行った。

米国では玩具チェーン(トイザらスなど)に加え、新興のゲーム専門店(エレクトロニクスブティック、後のGameStop等)が力を付け、ホリデー限定セールや大人向け深夜販売などを仕掛けるようになる。

文化的には、日本ではお年玉需要もあるため新年まで商戦が続くが、米国はクリスマス当日で一段落し、年明けは返品やギフトカード消化が中心になる点も相違点である。

成功例と失敗例

90年代の成功例としては、ソニーのPlayStationの大成功が挙げられる。PS1は全世界で1億台を突破し、任天堂・セガを抑えてトップシェアを獲得した。ホリデー商戦では『FF7』『メタルギアソリッド』など話題作が牽引し、ゲームが子供だけのものではなく若者文化として定着するきっかけを作った。

また「ポケモン」はゲームソフト発のブランドとして史上最大級の成功例で、ゲームボーイという旧世代機種をホリデーの主役に返り咲かせた点でも特筆すべき である。

逆に失敗例としては、セガサターンの戦略ミスがよく指摘される。北米市場での拙速な前倒し発売とソフト不足 により、せっかく日本で善戦した勢いを持続できず失速した。結果的にセガは次世代機ドリームキャスト(1999年)の途中で家庭用撤退に至り、これはホリデー商戦の戦い方を誤った一例とも言われる。

またN64の供給不足も任天堂にとって痛手だった。1996年の米国では需要予測が甘く、ホリデー期に在庫切れ続出で一部ファンを他機種(当時値下がりしていたPSやサターン)に流してしまったとも言われる。

他方、ソフトではいくつかの失敗作もあった。フィリップスCD-iや3DO(松下電器)は90年代中盤に高価な次世代機として登場したが、マーケティング不足や価格の高さからホリデー商戦で存在感を示せず消えて行った。

これらの教訓から、大手各社は適切な発売時期設定と十分なソフトラインナップの準備、そして需給調整の重要性を再認識することになった。

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2000年代: 新世代コンソールの登場と世界的ブーム

2000年代に入ると、ゲーム業界はDVD時代・インターネット時代を迎え、家庭用ゲーム機も高性能化・多機能化した。

PlayStation 2XboxWiiニンテンドーDSなど、現在に続く主要ハードがこの時期に登場し、それぞれのクリスマス商戦で激しい競争とブームを巻き起こしている。

マーケティング手法もグローバル規模となり、消費者層は子供から大人・高齢者にまで広がった。またインターネット通販の普及や転売市場の顕在化など、新たな課題も浮上した時代である。

前半:PlayStation 2の熱狂と次世代機の競演

2000年3月、ソニーは日本でPlayStation 2PS2を発売し、当初から150万台以上の需要予約が入るなど大きな注目を集めた。PS2はDVDプレーヤー機能を備えていたこともありゲームファン以外からも人気を呼び、発売日の店頭には長蛇の列ができている。

日本では発売初週だけで約98万台を販売し(初回出荷は約100万台 )、直後に深刻な在庫不足となった。

PS2は同年秋に北米・欧州でも発売されたが、世界的な需要過多と製造上の部品調達遅延が重なり、2000年末のホリデーシーズンにかけても慢性的な品薄が続いた。

米国では発売(2000年10月)の際にソニーが当初計画の半分の出荷しか用意できず 、年末商戦では「多くの買い物客が失望して帰宅する羽目になった」と報じられている。

実際、PS2不足の影響で米ゲーム業界全体の2000年売上が前年割れになるほどで「ソニーの新ハード不足が業界の足を引っ張った」とまで言われた。このようにPS2は大成功を収めつつも発売当初は深刻な供給不足を露呈し、クリスマスに商品が手に入らない消費者の不満が噴出する結果となった。

💬スーファミの発売日時なども行列に並ぶことがなかった父親だが、このPS2だけは発売日に並んで買った模様(笑)

それでもPS2累計1億5,500万台以上を売る史上最も普及したコンソールとなり(後年の集計)、クリスマス商戦でも長期にわたりキングの座に君臨する。2001年末には大作ソフト『グランツーリスモ3』『メタルギアソリッド2』などが発売され、PS2は十分な在庫も整ってホリデーシーズンの売上記録を更新した。

ソニーはこの成功で得た潤沢な資金をマーケティングに投入し、ハリウッド映画ばりのTVコマーシャルやイベントを打って「PlayStation=スタイリッシュな大人の娯楽」というブランドイメージを確立した。

PS2にはDVD映像再生目的の購買層も多く、家電量販店ではクリスマスに「PS2を家族へ、DVDも見られます」のような売り文句が踊った。まさにゲーム機が総合エンターテインメント機器へ進化し、販売戦略も従来の玩具・ホビー売り場中心から家電売り場やネット通販へと拡大したのである。

Xboxをプロモーションするビル・ゲイツ氏

2001年には新たな競争相手として、任天堂のゲームキューブ(GC)と米マイクロソフトのXboxが登場。ゲームキューブは日本では9月、北米では11月とホリデー直前に発売され、性能よりも低価格と任天堂IPソフトにフォーカスした戦略を取った。

発売当初は『大乱闘スマッシュブラザーズDX』などキラーソフトで一定の売上を出したが、PS2の勢いには及ばず、2001年末商戦の主役は依然PS2だった。

一方Xboxは2001年11月に北米発売(日本は2002年2月)され、こちらは米国ホリデー史上初の新規参入ハードということで話題になる。初回生産100万台以上を用意し、北米発売3週間で約75万台を売り上げ(年末までに150万台)と、まずまずのスタートを切った。

クリスマス商戦期のXboxは、ソフト『Halo: Combat Evolved』のヒットもあり若年男性層を中心に人気を得る。とはいえPS2の独走状態に変化はなく、Xboxもゲームキューブも「追随する挑戦者」というポジションだった。

日本市場ではXboxは苦戦し、発売時も小規模な行列に留まったが、北米ではMicrosoftが潤沢な広告費を投じて「Xboxが新しいホリデーの必需品」であるかのように宣伝し、クリスマスギフトガイドに載るなど存在感を示した。

2004年末には携帯ゲーム機分野で大きな動きがあった。任天堂が11月(日本は12月)にニンテンドーDSを発売、ソニーも12月に初の携帯機PSPを発売して直接対決が始まる。日本の2004年末商戦では、12月2日発売のDSと12月12日発売のPSPが年末需要を巡って競争していた。

DSは2画面やタッチペン操作という独創性が支持され発売4日間で約50万台を販売、PSPも映像美やメディア機能を武器に初回20万台が即完売。両機種とも出荷が追いつかず、年明けまで品薄状態が続いたため、この年の正月は携帯ゲーム機を求める人が多くの店頭に行列した。

特にDSは発売直後から在庫切れが頻発し、脳トレブームなども後押しして2005年末まで断続的に入手困難となるほど売れ続ける。任天堂は当時の岩田聡社長が謝罪コメントを出すほど需要を読み違え、2005年のクリスマス商戦で増産対応する事態となった。

一方PSPも、初年度は「モンスターハンター」シリーズのヒット(2005年以降)で盛り返すまでやや伸び悩んだが、ホリデー時期には値下げや限定色モデルでテコ入れし競争に参入。このように2000年代前半から中盤にかけては据置型と携帯型の双方で新旧交代が進み、クリスマス商戦でも多様なハードがしのぎを削った。

💬ちなみに筆者はこの頃、ほとんどゲームから離れていたのだが、友人の影響でDS Liteを購入したのがキッカケで再びゲームにハマってしまう…。

後半:Wii vs. PS3争奪戦とカジュアルゲーマーの台頭

2006年末はゲーム業界に残る伝説的なクリスマス商戦となった。この年、ソニーは11月にPlayStation 3PS3を、任天堂は12月にWiiをそれぞれ発売し、米国では両機種とも11月中旬にローンチしている。

まずPS3は高性能ゆえの生産難から発売を延期し、北米向け初回出荷台数は40万台程度、日本はたった約10万台という極少量でのスタートだった。

11月17日の北米PS3発売日、各地の店舗には数日間前から徹夜で並ぶファンが詰めかけ、発売直前には「列を狙った武装強盗」まで発生する騒ぎとなった。深夜販売の行列を2人組の強盗が襲い現金を奪おうとし、抵抗した青年が銃撃され負傷する事件(コネチカット州)や、開店ダッシュで怪我人が出る事例、さらには行列客のインタビュー中に模倣犯がエアガンを乱射するというハプニングまで起きている。

警察が出動し店を一時閉鎖する店舗もあったほどで、米メディアは「PS3発売はそのソフトのFPSゲームさながらの暴力沙汰と大混乱に見舞われた」と皮肉った。

発売直後、入手困難なPS3はeBayで定価の4倍近い2000ドル以上の高値を付け、一部の購入者は転売益目当てでキャンプしていたとも報じられている。欧州発売が翌春に延期されたこともあり、世界中の需要が北米と日本に集中した2006年末、PS3は深刻な品不足と混乱を露呈したのである。

対照的だったのが任天堂のWiiである。Wiiは11月19日に北米、12月2日に日本で発売された。性能こそPS3やXbox360より抑え目だったが、直感的なモーション操作と「誰でも遊べる」コンセプトが幅広い層に受け入れられ、発売と同時に空前のブームを巻き起こす。

Wiiもやはり発売日には即完売となり、その後も需要に対して供給が全く追いつかなかった。米国では2006年末までに約125万台を販売したが 、それでも毎回入荷のたびに一瞬で売り切れ、2007年のクリスマスにかけても「Wii難民」が続出する。

クリスマスの朝に子供へWiiを用意できなかった親が困惑する様子もジョーク交じりに報じられた。北米では2007年12月時点でもWiiは「普通の店で手に入れるのはほぼ不可能」と言われ、オークションでは定価250ドルが400~600ドルで取引される異常事態だった。

あまりの品薄に「店頭に少数出たWiiをめぐって殴り合いになりかねない」とメディアが伝えるほどで 、任天堂関係者も「こんな状況は見たことがない」と需要過熱に驚きを隠さなかった。

任天堂は予想外の人気に慌てて増産し、生産台数を月産100万台から180万台に引き上げたが、それでも「需要の増加に生産が全く追いつかない」とコメントしている。本来ホリデー需要に備え夏に在庫を積むところ、Wiiは一年中売れ続けて季節性の常識を覆したとも言われた。

米Wedbush証券の著名アナリスト、マイケル・パクター氏は「Wiiは5歳児からシニアまであらゆるタイプの消費者が買い求めている」と分析し 、実際「Wiiは子を持つ親には絶対のプレゼントだが、大人自身も欲しがっている」と評した。

Wiiのカジュアル路線のゲーム(例えばWiiスポーツのような体感ゲーム)は家族や高齢者にも受け入れられ、とりわけ米国では老人ホームでのボウリング大会にWiiが使われるなどの現象がニュースになった。このようにWiiは「ゲーム=若者の物」という固定観念を崩し、全年齢にリーチした成功例として歴史に残る。

日本国内でも、PS3とWiiの明暗ははっきり分かれた。PS3は初回出荷台数の少なさから発売日に買えない人がほとんどで、ヤマダ電機やビックカメラなどでは抽選販売で対応した。

秋葉原では深夜販売が行われ何百人もの行列ができたが、当選整理券方式だったため大きな混乱はなかったものの、多くのファンが涙を飲んだ。

一方Wii発売日には任天堂・岩田社長自ら出陣して抽選会を行うなど盛り上がりを見せ、こちらも当日完売。以降の品薄状態は日本でも続き、2007年のお正月になってもWiiは入手困難で、任天堂は増産を表明している。

Wii Sports のTVCM

日本では特に『Wii Sports』『はじめてのWii』といった初心者向けソフトが家族団らん用に売れ、Wiiは「家族みんなのクリスマスプレゼント」として定着ふる。また2007年末にはWii向けに『Wii Fit』が発売されフィットネスブームを巻き起こすなど、ゲームが健康器具代わりになる現象も話題となる。

2007~2009年にかけては、据置機ではPS3WiiXbox360の三つ巴が続いた。マイクロソフトのXbox360は2005年発売だったが北米では値下げ戦略やオンラインサービス(Xbox Live)の充実で徐々に巻き返し、2007年のホリデーに「Halo 3」効果で一時Wiiに次ぐ売上を記録する。しかし日本市場では低迷し、クリスマス商戦の主役にはなれなかった。

一方、ソニーはPS3の立ち上がり苦戦を受け2007年に廉価版(40GBモデル)投入や2008年の本体小型化(PS3スリム)で再起を図り、2009年末には『FF13』発売に合わせ大々的キャンペーンを打って販売を伸ばした。

2009年の年末商戦では、Wiiがなおトップを走りつつもPS3が値下げ効果で急伸し、Xbox360も一定のシェアを保つという形で、据置3機種がほぼ均衡する状態になる。

携帯機では、ニンテンドーDSが2006年以降も『Newスーパーマリオブラザーズ』や『どうぶつの森』、『脳トレ』『ドラクエ9』など多数のヒット作で牽引し続け、2006~2007年頃にはDS Liteの品薄も記憶に新しい。

ソニーのPSPも『モンスターハンターポータブル2nd G』(2008)の大ヒットで2008年末に販売台数を伸ばし、ホリデーシーズンに本体同梱版が飛ぶように売れた。

2000年代後半は、据置機 vs 携帯機という市場の二極化も進む。クリスマス商戦でも、「子供にはDS、大人にはWii」あるいは「兄にPS3、弟にポケモンDS」といった家族内で複数ハードを購入する例も珍しくなくなった。販売店もクリスマスの目玉商品を年齢層ごとに用意するようになり、例えば家電量販店の広告には「今年はWiiで家族団らん」「彼氏には最新PS3」といったコピーが並ぶようになった。

💬ちなみに筆者は、当時付き合っていた彼女からクリスマスにWiiを頂きました……。

マーケティング戦略と消費者行動

2000年代はインターネットの普及に伴い、マーケティングもオンライン重視に変化した。公式ウェブサイトやネット広告、さらにユーザー口コミが売上に大きく影響するようになる。

特に任天堂Wii」はターゲット層がゲーム未経験の大人まで広がったため、従来とは異なるPRが行われた。任天堂は宮本茂氏ら開発者自らテレビ出演してWiiを紹介したり、シニア層向け雑誌に健康効果の記事を出したりした。

またWiiリモコンを模したグッズを配ったり、「Wiiでボウリング大会」と称した体験イベントを高齢者施設で開催するなど、非ゲーマー層への地道なマーケティングが功を奏した。

一方ソニーやマイクロソフトは、ハードスペックやBlu-ray/HD-DVDといった最新技術の優位性を前面に出し、テック系メディアでの露出やコアゲーマー向けイベント(東京ゲームショウ、E3など)に注力。流通面では、ネット通販(Amazon等)が本格化し、クリスマスプレゼントもオンラインで購入する人が増えた。

これにより発売日の行列は緩和されたが、代わりにネット上で瞬時に完売する「カート争奪戦」や高額転売が問題となった。消費者の行動も変化し、ネット掲示板や価格比較サイトで在庫情報を共有したり、オークションサイトでプレミア価格で買うケースも出た。

小売店側は対策としてお一人様1台や抽選販売を導入し、公平性の確保に努めた。この頃から、日本でも「転売ヤー」という言葉が生まれ、人気ゲーム機を買い占めて転売する人々が社会問題化していく。

日本と海外の違い

2000年代はゲーム市場のグローバル化が進んだが、それでもなお地域差は存在した。例えば、Xboxの成功は北米中心で、日本や欧州では限定的だった。

任天堂Wiiは世界的にヒットしたが、その普及ペースは日本・米国・欧州で若干異なり、米国で最も在庫不足が長く続いたと言われる。これは米国市場の方がファミリー層の取り込みが大きく需要が読みにくかったためとも分析されている。

Wii Fit

またゲームソフトのヒット傾向にも違いがある。日本では『脳トレ』『Wii Fit』など独自色の強いソフトがミリオン連発しましたが、米国では依然『Madden NFL』『Halo』など従来型ゲームがホリデー売上トップに立つ傾向があった。

ただし、『ギターヒーロー』や『Rock Band』のようなカジュアルゲームも米国で2000年代後半ブームとなり、楽器コントローラ付きセットがクリスマスに家電量販店を中心によく売れた。

これは音楽ゲームという新市場が生まれた瞬間で、全世界的にも流行したが、特に米国で大ヒットした例である。また日本では携帯電話向け簡易ゲーム(いわゆるガラケーアプリ)が2000年代後半に台頭し始めたが、本格的に市場を侵食するのは次の10年代以降となる。

日本の消費者は依然として年末商戦では家庭用ゲーム機とソフトを重視しており、お年玉需要も見越して1月上旬まで売れ行きが維持された。海外ではホリデー後は返品ラッシュとギフトカード消費があり、クリスマス当日までに買い切る文化の差が見られた。

成功例と失敗例

2000年代最大の成功例は任天堂Wiiの世界的ブームだろう。Wiiはゲーム業界歴史上でも稀なほど幅広い顧客層にアピールし、結果的に1億台超を販売して任天堂史上最高のヒットハードとなった。

PlayStation Move

マーケティング面でも「Wiiリモコン一振りで誰でもゲーマー」というコンセプトを浸透させ、他社も後にKinect(Xbox用モーションカメラ)PlayStation Move(PS3用モーションコントローラ)といった追随デバイスを出すほど影響を与えた。

ソフト面でも『Wii Sports』は実質同梱ソフトながら世界8,000万本以上という驚異的普及を見せ、ゲームが社交ツールになる可能性を示した。

一方、失敗例としてはソニーPS3のローンチのつまずきが挙げられる。価格設定の高さ(日本で税込6万円台)や発売延期、初期不良報道などネガティブ要因が重なり、PS2ほどの独走には至らなかった。

特に日本では、2006年末商戦でPS3の台数不足により市場の主役をWiiに奪われたことが、その後のシェア逆転(任天堂が据置市場トップに返り咲き)につながった。

またハード以外では、セガの家庭用事業撤退も2001年の大きな出来事である。ドリームキャスト1999年に華々しくデビューし、北米での初動売上は順調だったが、2000年末PS2に圧され販売不振となり在庫が山積みになった。

セガは2001年頭にハード製造を断念すると発表し、以後サードパーティ専業に転換する。これはクリスマス商戦で大手が凌ぎを削る中、シェアを取れなかったハードの退場を意味し、消費者にとってもプラットフォーム淘汰の現実を見せつけた。

その他、ゲームソフトでは期待外れに終わった大作(例:宣伝過熱したが低評価だったゲーム)も散見されたが、全体として2000年代は業界が急成長した時代であり、売上の面では成功が多かった時代と言える。

💬そういえば弟によると、3年ほど前に父親が唐突にドリームキャストを購入してきたらしく、「シェンムー」と「シーマン」を遊んでいたらしい(笑)

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2010年代: デジタル時代の成熟と新たな挑戦

2010年代は、家庭用ゲーム機がさらにオンラインサービスやデジタルダウンロードと融合し、市場が成熟期に入った時代である。この頃になるとスマートフォンゲームの台頭も著しく、ゲーム産業全体の構造が変化し始めた。

しかし依然としてクリスマス商戦は家庭用ゲーム機メーカーにとって最大の勝負所であり、PlayStation 4Nintendo Switchといった新ハードの登場、そしてそれらをめぐる品薄・行列といった現象は続いて行く。

またマーケティングもYouTubeやSNS、ライブ配信など新手法が加わり、グローバル同時プロモーションが当たり前になった。2010年代のクリスマス商戦を、主要トピックごとに振り返っていこう!

前半:新旧交代と市場再編の動き

Kinect

2010年前後は、据置型ではPlayStation 3Xbox 360Wiiという前世代機がそれぞれ後期に差し掛かっていた。技術的ブレイクスルーとしては2010年にマイクロソフトが体感型デバイスKinectを発売し(11月北米発売)、これはコントローラー不要で体の動きを直接検知するもので、発売直後のホリデーシーズンに800万台以上を売り上げギネス記録にもなるヒットになった。

Kinectは家族向けタイトル『Kinect Sports』などとともにクリスマスパーティーの余興として歓迎され、Wiiに続く体感ゲームブームを盛り上げた。ただ、このブームは一過性で終わり、数年後には沈静化する。

2011年には任天堂が新たな携帯機ニンテンドー3DSを発売(2月:日本、3月:欧米)。当初価格が高めで販売が伸び悩んだが、8月に異例の大幅値下げを断行し、ホリデー商戦に向けて『マリオカート7』『スーパーマリオ3Dランド』といったキラーソフトを投入していく。

その結果、2011年末には3DS本体が品薄になるほど販売が復調し、日本では年末年始で一気に累計400万台を突破。この戦略転換は成功例として語られ、「クリスマスまでに値下げと目玉ソフト投入で巻き返す」という手法は後年にも踏襲された。

PS VitaのTV-CM

一方ソニーは2011年末に携帯機PlayStation Vitaを発売(12月:日本、翌年2月:欧米)したが、3DSほどの勢いは得られず、ホリデー商戦でも限定版販売など小規模な展開に留まった。携帯機市場はスマートフォンゲームに押され始めていたこともあり、2010年代前半は任天堂が辛うじてDS/3DSで盛り上げた形である。

2012年には任天堂が次世代据置機Wii Uを発売(11月北米、12月日本)し、久々に据置機戦争に先手を打った。発売直後のホリデーでは初週で北米40万台を販売し 、任天堂ファンを中心に一定の人気を見せた。

しかし、Wii UはWiiほどの新規性がなく、キラータイトル不足もあって、その後販売が失速。2013年末までには在庫過多となり、逆に年末商戦で値引き販売される状況だった。Wii Uはクリスマス商戦での失敗例とされ、任天堂にとって苦い経験となる。

後半:PlayStation 4とNintendo Switchの成功、次世代への布石

2013年末、据置ゲーム機は再び大きな世代交代を迎える。ソニーのPlayStation 4PS4とマイクロソフトのXbox Oneが11月に相次いで発売された(PS4はまず北米・欧州で、Xbox Oneも北米中心。

日本はPS42014年2月、Xbox Oneは2014年9月と遅れ)。北米ではPS4が$399という手頃な価格設定も功を奏し、発売24時間で100万台以上を売り上げる爆発的スタートを切った。

発売から2週間で全世界210万台を突破し 、年末までには累計420万台超を達成している。この数は当時の新ハード記録で、需要に対し供給も比較的順調だったため、大きな品薄騒動には至らなかった。

もっとも一部地域ではPS4は即完売で在庫切れも起き、クリスマス直前には「欲しい人は見つけたらすぐ買え」との声もあった。実際、2013年末の米国市場ではPS4が売れ行きトップだったが、Xbox Oneもわずか差で追い、両機種合計で700万台以上という非常に活況なホリデー商戦となった。

PS4は性能と価格のバランスが良く、ロンチソフトの評価も高かったため、「PS4に軍配」と報じるメディアが多かったものの、Xboxも独占タイトル(例えば『Forza Motorsport 5』)で健闘し、据置機市場が盛り上がりを取り戻したクリスマスであった。

日本ではPS4の発売が翌年にずれこんだため、2013年末はやや空白感があった。Wii Uが低迷する中、『ポケットモンスターXY』(3DS用)や『パズドラZ』(3DS用)など携帯機ソフトが売上トップとなり、据置機不在の年末とも言われた。ただし2014年2月PS4が日本発売されると初週30万台を販売し、同年末にはようやく日本でも次世代機ブームが訪れる。

2014年末にはPS4の世界販売台数が初年度で1,500万台に達し、Xbox Oneは約800万台となった。この世代からはデジタルダウンロードが普及し始め、クリスマス商戦でも小売店だけでなくオンラインストアでゲームを購入する人が増えた。

ソニーやMSはホリデー限定のデジタルセールを実施し、「ブラックフライデーのダウンロードセール」「クリスマス当日のオンライン課金」など、新しい消費行動も生まれる。

海外版ファミコンミニ(NES Classic Edition)

2016年には任天堂が「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」(海外名NES Classic Edition)を発売し、これがホリデーシーズンのサプライズヒットとなった。往年の名作ゲームを30本内蔵した手のひらサイズの復刻ハードで、当初は生産数が少なく発売直後から品薄となり、北米では定価60ドルの商品が300ドル以上で転売される異常事態となった。

これもまたクリスマスプレゼント需要を読めなかった例だが、任天堂は追加出荷を発表し対応した。翌2017年には「スーパーファミコン ミニ」も発売され同様に人気を博した。

レトロゲーム機の復刻ブームはこの時期の特徴で、ゲームファンだけでなく親世代にも刺さり、親子二世代で楽しむクリスマスギフトとして歓迎された。

2017年3月、任天堂は据置・携帯両対応の新ハードNintendo Switchを発売する。このSwitchこそが、2010年代後半のゲーム市場を大きく塗り替える存在となった。

発売当初から需要が供給を上回り、特に本体発売後初のホリデーとなる2017年末には世界中でSwitchが売り切れ状態となる。任天堂は年間出荷計画を引き上げたが追いつかず、日本では抽選販売の応募が殺到しヨドバシカメラでは数十台の在庫に数千人が応募、店頭でも定期入荷日に長蛇の列ができ抽選券が配布される状況だった(※具体的な報道としては、2017年夏に秋葉原ヨドバシで250台入荷に3000人以上が並んだ事例などがあります)。

Switchは発売から9ヶ月で全世界累計1,000万台を突破し、その初年度ホリデーシーズンの人気ぶりは90年代のN64を彷彿とさせた。実際「2017年はSwitchが買えないクリスマス」と言われ、欲しがる子供に親が頭を悩ませる場面もあった。

任天堂は品薄を謝罪し増産に努めたが、半導体調達や輸送の問題もあり、供給が安定したのは翌2018年頃。それでもSwitchは『スプラトゥーン2』『スーパーマリオ オデッセイ』『マリオカート8DX』などキラーソフトが連発し、2018~2019年のクリスマス商戦でも世界的にトップセールスを記録した。

ソニーとマイクロソフトも2010年代後半にそれぞれハードの強化版を投入する。ソニーは2016年に高性能版PS4 Proを発売、マイクロソフトも2017年にXbox One Xを発売し、4K解像度対応や性能アップを図った。

いずれも既存機の中間世代的モデルで、発売当初はコアゲーマーを中心に売れたが、従来機種との互換性を活かした買い替え需要がメインで、クリスマス商戦での爆発的ヒットというよりは緩やかな普及だった。

2010年代後半はソフト面では『フォートナイト』(2017)のような基本無料ゲームが世界的ブームとなり、これらはクリスマスにハード販売を牽引するというよりオンライン上で人々が集うイベントを起こした。例えば、2018年末にはFortnite内でホリデーイベントが開催され、世界中のプレイヤーが自宅から参加する新しい「お祭り」の形が見られた。これもデジタル時代ならではの現象。

💬当時のSwitchの人気っぷりは最近のSwitch 2以上で、発売から1年以上経っても「店頭に置いてあったら奇跡」というレベルだった。

マーケティング戦略と消費者行動

2010年代はソーシャルメディアと動画プラットフォームがマーケティングの主戦場になった。各社はE3など大型イベントをストリーミング中継し、任天堂は2011年以降Nintendo Directと呼ぶオンライン発表を定期的に行って、ファンとの直接コミュニケーションを深めた。

クリスマス商戦向けの新作紹介も、テレビCMからYouTube動画やTwitterキャンペーンへとシフトしている。ユーザー側も情報収集はネットが基本となり、ゲーム系YouTuberやTwitchストリーマーの影響力が商品のヒットに直結するようになった。

例えば、新ハード発売時には一般ユーザーの「開封の儀」動画が何百万再生もされ、発売日前から期待感が醸成された。

流通面では、ダウンロード版の普及によって店舗に行かずとも新作ゲームを遊べるようになったため、ゲームソフト販売の季節波動は若干緩やかになった。大作タイトルも発売直後にセールをしたり、追加コンテンツ商法(DLC)で収益を分散化するようになる。ただし、ハード(本体)に関しては依然パッケージ商品であり、在庫の潤沢さがクリスマス商戦成否を握る。

2010年代後半、任天堂はSwitchの品薄対応で学んだ教訓から、2019年に廉価版Switch Liteを発売して製造ラインを拡充し、ホリデー需要に応えた。ソニーもPS4については早期から増産体制を整え、2013年PS4ローンチ時はPS3の反省を踏まえ「出来るだけ売り切らさない」供給を目指したと言われる(実際には一時欠品もあったが、比較的早期に店頭在庫が潤った)。

また消費者行動としては、事前予約・事前決済が当たり前になった。人気商品の場合、発売日前にほとんどの在庫が予約で埋まるため、行列は発売日前夜の受取待機列くらいという状況も増えた。

日本と海外の違い

2010年代は各社ともグローバル展開を重視し、発売スケジュールの地域差が縮まった。例外もいくつかあり、PS4の日本発売遅れ(欧米より3ヶ月後)などは日本のファンから不満の声も上がったが、これはソフトラインナップ準備のためだった。

Switchでは日本と海外で発売日が数日程度しか違わず、在庫配分も世界的な需給状況を見ながら行われた。それでも地域ごとの人気ソフトの差は存在し、例えば日本では『スマブラSP』(2018)がクリスマスに社会現象となる売れ行きだったが、海外では同年は『レッド・デッド・リデンプション2』や『コールオブデューティ』の方が売上トップだった。

またブラックフライデー文化が欧米では引き続き大きく、感謝祭週末にハードやソフトの値下げが行われ売上が跳ね上がる。日本でも2010年代後半から「ブラックフライデーセール」を一部量販店やAmazonなどが行うようになったが、欧米ほど定着せず、年末商戦は12月中旬からクリスマス前がピークである点は従来通り。

興味深いのは、店舗での行列風景の違い。日本では前述のように抽選や予約制が中心となり整然としてきたが、米国では依然としてブラックフライデーの開店ダッシュや行列がニュース映像で見られた。

ただし2010年代後半には米国でもオンライン購入が主流化し、2019年頃には「もはや店頭に行列はPS5くらいしか作らない」とも言われるようになる。実際、2019年ブラックフライデーに筆者が滞在したLA郊外でも、早朝から目立った行列はゲーム販売では確認できず(代わりにPS5予約の列が2020年には出現する)。

成功例と失敗例

2010年代の成功例としては、PlayStation 4の堅調な普及が挙げられます。PS4は結果的に全世界1億台超を販売し、PS2・Wiiに次ぐ歴代クラスの成功を収めた。

特に2013年のロンチ戦略の巧妙さ(適切な価格設定と需要に見合った出荷)により、ホリデー商戦を制したことが長期的成功に繋がった。

またNintendo Switchのクロスプラットフォーム戦略も大成功でした。Switchは据置と携帯の垣根をなくすことで両需要を取り込み、2017年以降のホリデーでは常にトップクラスの売上を記録している。

加えて、Switchはソフト面でも『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』『あつまれ どうぶつの森』(2020年3月発売だがホリデーまでロングヒット)など魅力的タイトルが続き、スマホゲーム全盛の中でも家庭用機に人々を呼び戻したとの評価がある。また2016年にはスマホゲーム「ポケモンGO」ブームがあり、これがスイッチ版『ポケモン』への関心を高めるなどクロスメディア効果も見られた。

失敗例としては、Wii Uの商業的不振が目立つ。Wii Uは前世代Wiiから大きく路線変更したためファンの戸惑いを招き、またタブレット型コントローラのコスト増で販売台数を伸ばせず、全世界累計約1,350万台という任天堂据置機では最低クラスの結果に終わった。

クリスマス商戦でも目立った活躍はなく(発売初年の2012年ホリデーを除けば)、任天堂はSwitchでの再起を図ることになる。またソニーの携帯機PS Vitaも3DSの陰に隠れ販売的には低調で、ホリデーシーズンの存在感は薄かった。

ソフト面では、2010年代後半に大作の発売延期や品質問題が相次ぎました。例えば『No Man’s Sky』(2016)は発売前の期待が高すぎて発売後批判を浴び、ホリデーシーズンには中古市場で大量に出回るなどネガティブな話題となった。

また『Fallout 76』(2018)はバグだらけで発売され年末商戦で値崩れし、ブランドイメージを傷つけた。こうした失敗はクチコミが瞬時に広まる時代ならではであり、企業は品質管理と情報公開の重要性を再認識した。

総じて2010年代は、デジタル化とグローバル化が進む中でゲーム専用機が生き残りをかけて進化した時代だった。クリスマス商戦の在り方も、従来の「店頭で売って終わり」から「発売後もオンラインで盛り上げる」形に変わり、リアルとデジタル両面でファンを巻き込むイベントへと発展した。

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2020年代: 現代のクリスマス商戦 – パンデミックと次世代機

2020年代に入ると、世界は新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックに見舞われ、ゲーム業界も大きな影響を受けた。在宅需要が急増しゲーム利用者自体は増えたが、一方でサプライチェーンの混乱から家庭用ゲーム機の深刻な品不足が発生する。

そんな中で2020年末にはPlayStation 5Xbox Series X|Sという次世代機が発売され、これらをめぐる争奪戦が新たなクリスマス商戦のドラマを生んだ。またデジタル化が一層進み、ゲーム配信やeスポーツなど新しいゲームの楽しみ方も拡大しています。この節では2020年代序盤のホリデーシーズンの様子を概観する。

次世代機発売とパンデミック下のホリデー

2020年末、ソニーとマイクロソフトは満を持して新世代の据置ゲーム機を投入した。PlayStation 5PS5は11月12日に日米ほかで、Xbox Series X|Sは11月10日に全世界で発売される。しかしこの年はコロナ禍で店頭販売イベントが軒並み中止となり、発売日は主にオンライン予約や抽選販売のみという異例の状況だった。特にPS5は需要が殺到したため、ソニーが「当日販売なし」を宣言し、実店舗での行列は発生しなかった。

それでもネット上では予約開始と同時に瞬時完売が相次ぎ、強力な購入ボット(自動購入プログラム)を駆使する転売業者が大量に買い占めたことで、発売直後から入手困難が深刻化する。この品薄は半導体不足による生産制約と重なり、結果的に2年以上にわたり慢性的な供給不足となった。

PS5は発売から1年後の2021年末になっても入手難が続き、希望者が抽選に何十回も落選するケースが話題になるほどだった(例えばあるユーザーは50回以上抽選に外れたとSNSで嘆く、といった現象)。

2020~2021年のクリスマス商戦では、店頭に人だかりはないものの、オンライン上での在庫争奪戦が苛烈を極め、「PS5は幻のプレゼント」と言われたほどである。アメリカではブラックフライデーに一部店舗がPS5を限定入荷すると聞きつけたファンが久々に行列を作り、現地紙に「プレイステーション5は2020年で唯一実店舗に人を並ばせる希少な商品」と書かれた。

一方、Xbox Series X|Sも当初は需要超過だったが、マイクロソフトがサービス重視戦略(Xbox Game Passによるサブスク)にシフトしていたこともあり、市場の熱狂はPS5ほどではなかった。

それでも高性能モデルのSeries Xは転売の対象となり、PS5と同様に不足した。2021年以降は廉価モデルSeries Sの潤沢供給もあって、Xboxは北米中心にシェアを少し伸ばす。とはいえ、2020年代前半の据置機市場はPS5の品薄問題が象徴的であり、これは90年代の任天堂や2000年代のWii以上に長期化した異例の事態だった。

そうした中で、任天堂Switchは発売から数年経っていたが、コロナ禍特需もあり依然絶好調だった。2020年3月に発売された『あつまれ どうぶつの森』が世界的ヒットとなり、巣ごもり需要でSwitch本体も売上急増。

しかし、工場稼働の停滞で一時生産が追いつかず、2020年春から夏にかけてSwitchも一時品薄となった。その後増産体制が整い、2020年末商戦ではPS5が足りない中、Switchが米国で月間販売記録を更新するほど売れた。

NPD(米調査会社)の発表では、2020年11月の米コンソール売上はSwitchが台数・金額ともトップで、PS5は初月台数こそPS4を上回ったものの供給制限で2位に留まった。

2021年末も状況は似ており、PS5/XSXは相変わらず品薄、Switch(有機ELモデル追加)は比較的潤沢という構図だった。結果、2021年の米ホリデー売上もSwitchが勝利しています。日本でも2020~2021年はSwitchが牽引し、特に『桃太郎電鉄 昭和平成令和版』や『リングフィットアドベンチャー』などファミリー向けソフトが売れ、コロナ禍で帰省や集まりが減る中でもオンラインで一緒にゲームを楽しむという需要を捉える。

マーケティング戦略と消費者行動

パンデミック下ではリアルイベントが中止となったため、各社はオンライン発表・コミュニティ施策に注力した。2020年のE3は開催中止となり、代わりにソニーはYouTubeでPS5発表イベントを開き、任天堂やMSも独自デジタルイベントを実施した。

消費者もネットで情報を摂取し予約もオンラインに集中したため、従来のような徹夜行列は見られなくなった(前述のようにPS5発売日に行列ゼロは象徴的でだった)。

その反面、購入ボットや転売ヤー対策が大きな課題となり、小売各社はカートに画像認証を導入したり、抽選応募に会員登録必須とするなど工夫した。それでも人気商品を巡る攻防は熾烈で、SNS上では「○○店で在庫復活!」という情報が飛び交い、ゲーマー達が秒単位でサイトを更新する姿が日常化した。

また宝くじさながらの当選報告(「◯◯の抽選でPS5当たった!」)がネット上でトレンドになるなど、ゲーム機購入が一種のイベント化した面もある。

日本と海外の違い

この時期、日米欧の市場トレンドは概ね共通しており、PS5Xboxの品薄、Switchの安定供給という状況だった。

ただ、米国では感謝祭商戦に小売店がPS5やXboxのセット販売(転売対策でゲーム同梱やサービス加入付きバンドル)を行い、それを目当てにブラックフライデーで早朝から並ぶ光景が2021年に一部復活した。

日本では引き続き店頭抽選が主流で、行列はあまり見られなかった。興味深いのは、2020年頃から欧米でも抽選販売(lottery system)が導入され始めたことである。

任天堂はSwitch後継機に向けて日本での抽選販売ノウハウを公開し、それが話題になるなど、各地域で情報交換が行われている。また日本ではPS5発売時に転売問題が社会ニュースとなり、経産省が転売対策ガイドラインを出すなど行政も動いたが、海外ではそこまでの介入はまだ見られない。

成功例と失敗例

2020年代前半の成功例としては、PlayStation 5の好調な需要がまず挙げられる。供給難にも関わらず、2022年末までに全世界3,000万台以上を販売し(PS4より速いペース)、ファンの熱意が非常に高いことを示した。

ソニーは2023年に入りようやく供給改善を発表し、ホリデーシーズンに向け在庫潤沢化を図っている。任天堂Switchも引き続き成功例で、発売から数年経てもクリスマス商戦の売上トップに立つロングセラーとなった。

特に『あつ森』効果で2020年にSwitchが社会現象的ヒットを飛ばしたのは、コロナ禍という特殊事情も相まって歴史に残る出来事。一方、失敗例・課題としてはサプライチェーン問題が挙げられる。

パンデミックで露呈した半導体不足や物流停滞は、ゲーム業界にとって初めての大規模供給危機であり、ホリデー商戦にも影を落とした。消費者の不満も大きく、「お金があってもハードが買えない」という状況はメーカーにとっても機会損失だった。

今後への教訓として、生産ラインの多元化や需要予測精度向上などが求められている。またクラウドゲーミングやデジタル専売機の動きもあったが、市場の主流には至らず、この点は過渡期の挑戦に留まった。

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おわりに

1980年代から2020年代に至る家庭用ゲーム機・ゲームソフトのクリスマス商戦の歴史を振り返って来た。各年代ごとに技術革新や社会的環境の変化があったが、「ホリデーシーズンにゲームで盛り上がる」という根本の姿は一貫して続いている。

80年代のファミコンフィーバーから始まり、90年代の次世代機戦争、2000年代の世界的ゲームブーム、2010年代の多様化とデジタル化、そして2020年代の新たな挑戦へと、ゲーム業界は常に年末商戦に照準を合わせ進化を続けて来た。

この期間には数多くの成功物語があった。ファミコンの爆発的普及 、PlayStationの市場革命 、Wiiの常識破りのヒット 、Switchの復活劇など、それぞれの時代でゲームが人々にもたらす驚きと喜びが語られている。

同時に、失敗や課題も歴史の一部。品薄によるユーザーの落胆 、競争に敗れ去ったハード、供給トラブルや転売問題など、乗り越えるべき壁も現れた。しかし業界はその度に学習と適応を重ね、マーケティング戦略や流通手段、消費者との向き合い方を進化させてきた。

日本と海外の違いにも触れたが、近年では市場のグローバル化で互いに影響し合い、ノウハウやトレンドが共有されつつある。それでもなお、国ごとの文化や消費者気質は完全には消えず、例えば日本の正月商戦や米国のブラックフライデーといった独自色が残っている。この多様性もゲーム市場の面白さと言えるだろう。

ホリデーシーズンはゲーム業界にとって最大の稼ぎ時であると同時に、新規ユーザーを取り込むチャンスであり、ゲーム文化が社会に広がる契機でもある。実際、親子でゲームを楽しむ風景、クリスマスにゲーム機を貰って歓喜する子供、行列に並んで語り合うファン同士の交流など、数え切れない物語がこの季節に生まれてきた。

そしてそれはこれからも続いていくだろう。未来のクリスマスにはどんなゲームが話題になっているのか――その時また、本稿の続きを書ける日が来るかもしれない。

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