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【特集】ドット絵って何?なぜ生まれ、なぜ愛され続けるのか|ゲーム業界の歴史から紐解く

この記事は約17分で読めます。

皆さんは『ドット絵』(ピクセルアート)は好きですか??

筆者はドット絵ゲームのど真ん中世代に生まれたゲーマーなので、やっぱり大好きだなぁ🤤

FFRKのガーランド

特に好きなのは、渋谷員子さんが描くファイナルファンタジーシリーズのドット絵キャラが大好きかな☺️

画像はFF1に登場するガーランドのドット絵なんだけど、限られたドット数でここまで表現されたクオリティの高いキャラクターを生み出せるのが本当にすごいなって思う。

その他、初代ポケモンやドラクエシリーズ、マリオシリーズなど魅力的なドット絵がこの世界には溢れている。

そこで今回は、全世代に向けて「ドット絵とは何か」というテーマで、歴史などを紹介して行こうと思う。

1980〜90年代ゲーム業界に見るドット絵文化・技術・進化の歴史

ファミコンスーパーファミコンで遊んだ世代には、ドットで描かれたゲームキャラクターたちは今でも特別な存在である。当時のゲーム画面は、細かなCGではなく色とりどりの“小さな点”の集合によって表現されていた。

こうしたドット絵(ピクセルアート)のグラフィックは、限られた技術の中から生まれた創意工夫の結晶であり、1980〜90年代にはゲーム業界を支えた重要なアートスタイルだった。

その後、3D表現の台頭により一時は表舞台を退くが、近年になって再び注目を集め、インディーゲームやスマホゲームでも活用されている。

この記事では、1980〜90年代の日本を中心としたゲーム業界におけるドット絵文化・技術の進化の歴史を振り返り、現代におけるドット絵の役割や再評価の流れ、インディーゲームやモバイルゲームでの活用について解説して行く。

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ドット絵とは?昔のゲームで使われた理由

「ドット絵」とは、コンピュータ上でピクセル(画素)を一つ一つ打ち込んで描かれたグラフィック表現のこと。肉眼でピクセルの粒が確認できるほど解像度の低いビットマップ画像とも言える。

昔のテレビゲーム開発では基本的にドット絵=2DCG。見た目はシンプルでも、ドット単位で絵を作るのは高度な職人技が要求される作業である。制限されたピクセル数と色数の中で、キャラクターらしさや世界観を表現するために、当時のゲーム制作者たちは知恵を絞った。

なぜ1980〜90年代のゲームでドット絵が使われたかというと、当たり前ながら当時のハード性能では精細なグラフィックを描画できなかったからである。

1970年代〜80年代初頭のコンピュータやゲーム機は、現在のように写真のような画像を表示できる解像度や色数を備えていなかった。

例えば、任天堂のファミリーコンピュータファミコン1983年に発売された時点でも、画面解像度は横256×縦240ドット程度が限界だった。一つの画面を256×240のマス目に区切り、その小さなドットを塗りつぶしていくことでしか映像を表現できなかった。

したがって、ゲーム画面に複雑なキャラクターを細かく描いて動かすのは困難で、必然的にブロック崩しのようなシンプルな図形中心のゲームが主流となっている。

それでも制約がある中で人々を楽しませるため、開発者たちは点の集まりでキャラクターや世界を描く方法=ドット絵を生み出した。カクカクと粗い見た目の中に想像力を働かせてもらうことで、ゲームの魅力を表現した。

荒い絵だから仕方なく」ではなく、むしろ制限が生む味わいに価値を見出す文化が育まれ、後に「ピクセルアート」という芸術ジャンルとしても認知されるようになる。

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1980年代:黎明期のドット絵文化と技術

アーケード&ファミコン時代の幕開け

1978年『スペースインベーダー

1970年代後半から1980年代にかけて、ビデオゲーム産業が本格的に立ち上がる。中でも1978年タイトーから登場した『スペースインベーダー』は社会現象的な大ヒットとなり、ドットで描かれたインベーダーキャラクターは今なおタイトーの象徴的マークとして使われるほど有名になった。

当時はドットで描かれたエイリアンたちが画面を埋め尽くす光景自体が新鮮で、ゲーム=ドット絵というイメージを世間に浸透させたと言える。

1980年『パックマン

1980年代前半には、アーケードゲームや家庭用ゲーム機で数々の名作ドット絵ゲームが誕生した。1980年にはナムコの『パックマン』が登場し、その黄色いピザ形のキャラクターは極めてシンプルでありながら愛らしく、多くのユーザーを魅了した。

パックマンの大成功により、「シンプルなドット絵キャラクターでも世界的な人気者になり得る」ことが証明された。

実際パックマンは全世界で大ヒットし、キャラクターグッズやポップカルチャーにまで影響を与えた(※1980年代初頭までに売上35億ドル以上とも言われる)。パックマンが迷路を進みドットを食べていくゲーム性は「ドットイートゲーム」というジャンル名まで生み出した。

💬PS2PS3が主流だった時代に、筆者は初めてパックマンをプレイしたんだけど、あまりの面白さに驚愕したのを覚えている。

ファミコン(8ビット機)の時代には、一度に扱える色数や表示オブジェクト数が限られていた。例えばファミコンは内部的に最大52色のパレットを持ちながら、一度に使える色は各スプライト毎に3色+透明(背景色)程度という厳しい制約があった(背景も4色×4パレット程度)。

そのため、輪郭を黒で描いて色を塗りつぶすなど工夫しながらキャラクターを見やすく表現していた。またドットのチラつき(スプライトの表示限界超過による点滅)も起きやすく、そうした制約も込みでレトロゲームらしい味として受け入れられて行く。

ドット職人たちの活躍と創意工夫

黎明期のゲーム開発現場では、「ドッター」と呼ばれる2DCG専門職が誕生し始める。ファミコンが大ヒットしてゲームソフトの需要が高まる中、ゲームの見た目を担うグラフィッカーの重要性が増した。

当時はまだ汎用的なグラフィックエディタが普及しておらず、方眼紙にドットを手描きして設計し、16進数の数値データを入力してキャラクターを表示するといった手法も使われていたという(まさに職人芸の世界)。

各ゲーム会社は独自に開発ツールを用意し、X68000パソコン上で動く社内製ドット絵エディタや、時にはライトペンで直接描画できる専用機まで用いて、効率的にグラフィック制作を行っていた。

例えば、テクモは「エディピューター」という2画面式の専用筐体を用意し、下画面にペンで描いたドット絵を上画面で実寸確認しながら制作するというユニークな環境を整えていた模様。こうした道具の助けも借りつつ、ドット職人たちは日々腕を磨いて行った。

当時のゲーム制作で鍵を握っていたのは、まさにこの優れたドット職人の存在だった。グラフィックに大きな制約があった時代だけに、各社とも「いかに少ないドットでそれらしく見せるか」の技術力が問われる。

1983年『ゼビウス』

例えばナムコでは、小野浩氏(通称Mr.ドットマン)のように多数の名作タイトルのドット絵を手掛けた伝説的デザイナーも現れた。小野氏は1979年にナムコ入社後、『ギャラクシアン』『ラリーX』『ディグダグ』『ゼビウス』など80年代前半の看板タイトルでグラフィックを担当し、限られたドットで金属の輝きを放つメカやキャラクターを描き出す卓越した腕前で知られた。

特に1983年の『ゼビウス』では、ドットの集合で表現された鋼鉄的な敵キャラや背景オブジェクトが「まるで画面が光っている」ように見えると評判になり、ゲームの魅力を一段高める要因となった。こうしたビジュアル面での貢献により、ドット絵デザイナーはゲームの売れ行きを左右するほど重要な存在だった。

各ゲーム会社には一握りの「ドット職人」が在籍し、彼らはゲーム開発の主力として活躍した。第一印象のほとんどはグラフィックで決まるため、優秀なドット絵担当がいるかどうかはゲームのヒットに直結したのである。

当時から既に「ドット絵の神様」「魔術師」などと呼ばれる伝説的クリエイターが生まれており、ゲームファンからもその名が称えられていた。彼ら職人たちの努力と工夫があってこそ、限られた色と解像度の中でも魅力的なゲーム世界が描き出され、多くの人々をゲームの虜にしていった。

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1990年代:ドット絵技術の進化と黄金期

16ビット機による表現力向上

1994年『ファイナルファンタジーⅥ』

1990年代に入ると、ハードウェアの進歩に伴いドット絵で描ける表現の幅が飛躍的に広がった。スーパーファミコンスーファミが1990年に発売されると、従来の8ビット機とは一線を画す性能で、解像度・発色数とも大幅にアップした。

スーファミでは標準解像度こそ256×224ドット程度だったが、モードによっては512×448ドットの高解像度表示も可能となり、同時発色色数も最大256色(※32768色中から選択)まで拡大した。また拡大縮小回転(モード7)や透過処理、疑似3D表現など、新しいグラフィック機能も多数搭載され、ドット絵で描かれるゲーム画面の表現力は飛躍的にリッチになった 。

『ファイナルファンタジーVI』(1994年)

スクウェア(現スクウェア・エニックス)からスーパーファミコン向けに発売されたRPGで、「ドット絵の最終到達点」とまで呼ばれる傑作。

世界観やキャラクターをドット絵で極限まで描き込み、発売当時その精巧さが大きな話題となった。例えばキャラクターの表情変化や細やかなドットアニメーション、広大なマップ上の演出など、当時の2D表現の粋を集めている。

当時を知らないファンからも「スーファミ版のドット絵には味があって良かった」という声が今も根強く、後年スマホ向けに高解像度リマスター版が出た際にもオリジナルの味わいを推す意見があるほど。

『ストリートファイターII』『ストリートファイターIII』(1991年、1997年)

カプコンの対戦格闘ゲームシリーズ。特にアーケード向け基板CPS-IIIで動く『ストIII』は、キャラクターのドットアニメーションが非常に滑らかで、ドット絵として非常に細かく作り込まれている。

当時3Dゲームが台頭し始めた時期にも関わらず、「ドット絵2D格闘ゲーム」の究極系として評価が高いタイトルである。キャラクターデザインそのものは地味との声もあったが、1フレーム単位まで丁寧に描かれたドットは職人技の賜物だった。

『メタルスラッグ』(1996年)

SNKのネオジオ向けに登場した横スクロールアクションシューティング。コミカルかつミリタリー調のドット絵グラフィックが非常に緻密で美麗であり、発売当時プレイヤーから驚嘆された。手描きアニメのように細かく動く戦車や兵士のドット絵、爆発や火炎放射のエフェクトなど、そのドット表現のクオリティは伝説級

シリーズ作品(1〜3)のドット絵を手掛けた開発者akio氏が2023年に当時の未公開ドット素材をSNSに投稿したところ、「今見ても凄い」と大反響を呼んだ。四半世紀以上経った現在でも多くのファンの心に焼き付いており、「芸術的ドット絵」として再評価され続けている証と言える。

『タクティクスオウガ』(1995年)

クエスト社のシミュレーションRPGで、後にスクウェアからも移植発売。イラストレーター吉田明彦氏の手による緻密なドット絵キャラクターが戦場を駆け巡る。

戦士や魔法使い等のユニット一体一体が細部まで描き込まれ、戦闘中のドットアニメも凝っている。当時の戦略RPGでは群を抜くグラフィック品質で、ファンタジー世界をドットで美しく表現した名作。


これら以外にも『クロノ・トリガー』(1995年)や『聖剣伝説3』(1995年)、『ロックマンX』シリーズなど、90年代中頃まで数多くの名ドット絵ゲームが生まれた。

スクウェアやカプコン、SNKなど各社の2Dドット表現技術がピークに達した時代であり、当時の作品は今見ても色褪せない魅力を放っている。近年、それらのタイトルがリマスターやミニ復刻機で遊べるようになり、改めて当時の職人技に驚かされるという声も多く聞かれる。

「昔のドット絵はすごかった」という評価が国内外で定着しているのは、この黄金期の積み重ねがあったからこそである。

3D時代の幕開けとドット絵需要の減退

ドット絵社会にも革命を起こしたPlayStation

1990年代後半になると、ゲームグラフィックの主流は徐々に2Dドットから3Dポリゴンへと移り変わって行く。

1994年にソニーのプレイステーションやセガのセガサターンといった「次世代機」が登場し、3DCGを活用したゲームが家庭用でも増え始めた。発売当初、「このままでは2Dドット絵のゲームが消えてしまうのでは?」と噂されるほど業界全体が3D志向に傾いて行く。

もっとも、すぐに2Dゲームが無くなったわけではない。アーケードでは依然としてドット絵の2D格闘やシューティングが人気を保ち、家庭用にもそれらが移植された。

また完全3Dゲームであっても、体力ゲージやUI表示など2D描画部分にはドット技術が使われ続けたため、2DCGデザイナーの需要自体はすぐには消え去らなかった。しかしキャラクターをドット絵で描くゲームの新作は徐々に減っていき、ドット職人の仕事は縮小傾向となって行く。

特に家庭用ゲーム機が表現力を増し3D全盛になると、若手のゲームデザイナー達も「ドット絵より3Dモデル制作スキルを身につけたい」という流れが強まった。

結果として1990年代終盤には、純粋なドット絵キャラをゲーム制作で経験したことがない新世代デザイナーも珍しくなくなる。ドット絵の技術自体に興味を示さない人も増え、2Dドットのノウハウが業界から失われつつある時期でもあった。

一方で、ハード性能が低めだった携帯型ゲーム機では引き続きドット絵が活躍した。任天堂のゲームボーイ(1989年発売)はモノクロ2色表示だったが、ドット絵ならではの表現で『ポケモン』など大ヒット作が生まれている。

また1998年発売のゲームボーイカラー2001年ゲームボーイアドバンスではカラー表示が可能となり、多くの優秀な2DCGデザイナーが家庭用から携帯機の開発に活躍の場を移した。この頃、据置では減ったドット絵文化が携帯機で一時的に命脈を保ったとも言える。

さらに1999年にNTTドコモのiモードが開始され、携帯電話で簡単なゲームが遊べるようになると、新たなドット絵需要が生まれた。ところが当時すでに業界全体でドット職人が減少していたため、携帯電話ゲームの黎明期には「ドット絵が描ける人材が足りない」という問題も起きている。

家庭用で3Dへの移行が進む中、多くの2Dデザイナーがそちらへ移ってしまったためです 。一部では「2D職人の待遇改善」を掲げる動きもあったが、携帯電話自体の性能向上が早く、すぐにモバイルでも3D表示が可能になっていったため(※実際2003年には携帯で3D版『リッジレーサー』が動くようになった )、ドット絵専門職の需要低下に歯止めはかけられなかった

こうして2000年代に入る頃までに、大手ゲーム開発におけるドット絵文化はひとまず一段落する形となった。しかしこれはドット絵の終焉を意味したわけではない。この後、思わぬ形でピクセルアート復権の波が訪れることになる。

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現代におけるドット絵:復活と新たな展開

インディーゲームで甦るピクセルスタイル

2000年代後半から2010年代にかけて、インディーゲーム(独立系の小規模ゲーム開発)が世界的に台頭すると、ドット絵表現が再び脚光を浴びるようになった。

大手がフォトリアル路線を突き進む中、インディーの開発者たちはレトロゲーム風のドットグラフィックに新鮮さと独自性を見出した。代表的な例が全世界で大ヒットした『Minecraft』(2009年)や『UNDERTALE』(2015年)だろう。『Minecraft』はあえてテクスチャ解像度を低く抑えたブロック世界を特徴とし、素朴ながら中毒性のあるゲーム性で史上最も売れたゲームとなった。

一方『UNDERTALE』は、日本の任天堂のRPGMOTHER』シリーズを彷彿とさせる懐かしいドット絵スタイルを採用し、これが若い世代にも「かえって新鮮」と受け止められて大ヒットしている。

こうしたインディータイトルの成功によって、現代のユーザーもむしろローポリゴンやドット絵に新鮮さを感じる土壌ができたとも指摘されている。リアルな3Dに見慣れた目には、逆に昔風のピクセル表現が目新しく映ることもある。

結果的に「レトロなグラフィックもアリだ」と評価しやすいムードが醸成され、往年の名作が見直されたり、ミニ復刻ハードが受け入れられる下地にもなった。

インディーゲームの世界では、ドット絵は小規模チームでも制作しやすいアートスタイルとしても支持されている。3Dモデルやハイエンド2Dイラストを用意するより、ピクセルアートなら比較的少ないリソースで魅力的なビジュアルを作れるケースも多いからである(※ただし高度なドット絵を作るには専門スキルが要るため、一概に低コストとは言えないという指摘もあります )。

実際、多くのインディーデベロッパーがドット絵のゲームを世に送り出し、一定の成功を収めている。例えば日本発のインディーでは洞窟探検アクションの『洞窟物語』(2004年、開発者名義も「Pixel」氏)が海外で高い評価を受け、海外産ながら日本でも人気の『ショベルナイト』(2014年)や『Celeste(セレステ)』(2018年)などもレトロ調ドット絵で大ヒットした。

これらは「昔ながらの2Dゲーム体験」を現代に蘇らせた作品として、若いゲーマーにも広く受け入れられている。

モバイルゲームとドット絵の再活用

スマートフォン全盛の現代においても、ドット絵は懐かしさを演出するデザインとしてしばしば利用されている。高性能スマホなら3DCGも難なく描画できるが、あえてドット絵調にすることで他との差別化や独特の雰囲気作りを狙ったタイトルも多い。

特にドット絵RPGやドット絵アクションは一つのジャンルとして定着しており、アプリストアでも「ドット絵」で検索すれば数多くのゲームがヒットする。これは主に20〜30代以上のユーザーに「懐かしい」「温かみがある」と感じてもらえる利点があるからである。

ドット絵を見るだけで昭和〜平成初期の空気感を思い出し、レトロゲームの世界にタイムスリップしたような気持ちになれる、というわけである。

具体例を挙げると、スクウェア・エニックスはスマホ向けに『ファイナルファンタジー レコードキーパー』(2014年)というRPGを配信し、歴代FFシリーズのキャラクターをわざわざドット絵に描き起こして多数登場させた。

これはスーパーファミコン時代のFF(例えばFFVI)のドットキャラを彷彿とさせるデザインで、往年のファンから「懐かしい!」と好評を博した。最新作のリアル頭身キャラをドットにデフォルメすることで、作品の枠を超えたクロスオーバー感とレトロな可愛さを両立させた好例である。

また、Cygamesの『ドット勇者』(2023年)や、海外発のローグライクゲーム『Soul Knight』など、ここ数年もドット絵風のスマホゲームが次々と登場し人気を集めている。中には8ビット風の極端にレトロな画面にすることで逆にSNS映えを狙うものや、シンプルゆえに老若男女遊びやすいカジュアルゲームとして企画されるものもある。

オクトパストラベラーⅡ

さらに、コンシューマーゲームの世界でもドット絵回帰の動きがみられます。スクウェア・エニックスは2018年に発売したRPGオクトパストラベラー』で、ドット絵キャラクター+3DCG背景の融合による「HD-2D」と銘打った新たな表現手法を打ち出した。

ドット絵で描かれた人物やモンスターが立体的なエフェクトやライティングの中で動く映像は「懐かしいのに新しい!」と評判を呼び、HD-2Dはピクセルアートと現代技術の融合の代名詞ともなっている。

オクトパストラベラーの成功以降、同社は『トライアングルストラテジー』や往年の名作『ライブ・ア・ライブ』リメイク版など複数のHD-2D作品を展開し、この路線は一定の人気ジャンルとなった。

昔の16ビットRPGを現代の解像度で作ったら?」というコンセプトは国内外のファンに受け入れられ、ドット絵の持つノスタルジーと現代技術による美麗さを両立させた好例と言えるだろう。

一方、インディーゲームから生まれたピクセルアート自体の再評価も進んでいる。ゲームグラフィックの一手法に留まらず、ドット絵をアート作品として鑑賞したり、自ら描いてSNSに公開する人も増えている。

「#ドット絵」「#pixelart」といったハッシュタグで作品投稿が盛んに行われ、海外ではピクセルアートのギャラリー展示やグッズ販売も行われている。

日本国内でもドット絵をテーマにしたイベントや書籍が登場し、業界OBによるドット絵回顧インタビュー本なども出版されている(例えば『ヘボくて最高にクール!懐かしきゲームグラフィックの話』朝日新聞出版 )。もはやドット絵は「古いゲームの残り香」ではなく、世代を超えて楽しめるポップな表現手法として文化的な復権を遂げたと言えるだろう。

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最後に:ドット絵が残したものと未来

1980〜90年代、日本のゲーム史はドット絵とともに歩んで来た。計算されたピクセルの配置が命を吹き込んだキャラクターたちは、ゲームという新しい娯楽に魂を与え、多くのファンの心に刻まれた。

限られた技術の中で最大限の表現を追求したドット職人たちの情熱と工夫は、今なお語り草。3D全盛の時代になって一度は表舞台を退いたドット絵だが、その独特の味わいは決して色褪せることなく、インディーゲームやレトロブームを通じて現代に息を吹き返した。

ドット絵の魅力は、「制約があるからこそ広がる想像の余地」と「懐かしさが喚起する暖かみ」にある。粗いドットの向こうに表情や物語を思い描く体験は、最新のリアルCGでは得られないゲームならではの味わいがある。

また、人間が一点一点手で打ち込んだドットには、どこかアナログ的な温もりが宿っている。それは例えるならば職人が織りなす刺繍やモザイク画のように、細かなピースの集合で大きな絵を描く行為でもある。ドット絵はデジタルでありながら人間味を感じる表現だからこそ、多くの人を惹きつけ続けるのだろう。

令和の時代に入った今も、新作インディーゲームやファンコミュニティによってピクセルアートの火は灯り続けている。過去を知らない若い世代がドット絵を新鮮に感じ、過去を知る世代はそこに思い出と安らぎを見出す──ドット絵は世代間のギャップすら埋める不思議な力を持っている。

ゲーム業界における一つの文化遺産とも言えるドット絵の歴史と魅力を、これからも語り継ぎ、楽しんでいきたい。

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