
1996年、『ポケットモンスター赤・緑』が発売された当時、ゲームボーイ片手に友達と通信ケーブルでポケモン交換や対戦に熱中した記憶が蘇る方も多いのではないだろうか。
攻略本の隅々まで読み込み、学校の休み時間には「あのポケモンを出現させる裏技があるらしい」などという噂で盛り上がった世代にとって、幻のポケモン「ミュウ」の存在は特に衝撃的であった。
当時はインターネットも普及しておらず、雑誌や友人から伝え聞く情報が全て。ゲームには存在しないはずのポケモンが現れるという都市伝説は、まさに90年代の子どもたちを熱狂させるには十分だった。
本記事では、そんな幻のポケモンの先駆けとなった「ミュウ」の誕生秘話と、それにまつわるエピソードを解説して行こうと思う。
これを読むだけで、あなたの大好きな「ポケモン」への理解度がより深まるはず。
当時の思い出に浸りながら楽しんでもらえたら幸いである。
ちなみに筆者の地域にもミュウの噂は流れて来ていたけど、バグまみれになるそれはそれは稲川淳二さんの怪談話級に恐ろしいものであった。
第1章:開発中の偶然から生まれたミュウと森本茂樹氏の関与

『ポケモン赤・緑』におけるミュウ誕生の裏には、ゲームフリークのプログラマー・森本茂樹氏の遊び心があった。
開発末期、デバッグ用の機能を削除したことでわずか 300バイト程度の空き容量が生まれ、森本氏はその“隙間”にミュウのデータを忍ばせた。森本氏自身「デバッグ用のプログラムを除いてできた300バイトの隙間に入れた」「今では考えられないことだ」と当時を振り返っている。
この追加は任天堂にも秘密の“イタズラ”で、ゲーム発売直前の土壇場で滑り込ませた隠し要素だった。もともとミュウは「存在するけどゲーム中には現れないポケモン」として、プレイヤーの間で噂になることを狙った開発者の発案により生まれた経緯がある。
ゲームデザイナーの田尻智氏は昔のゲームにあった隠し要素や都市伝説から着想を得て、“幻のポケモン”ミュウの構想を温めていたと言われている。
そのアイデアを森本氏が遊び心で実装し、スタッフだけが存在を知る151番目のポケモンが極秘裏に誕生した。
第2章:ゲーム中に存在しないはずのポケモン?広がったミュウの都市伝説

ゲーム発売後しばらくして、プレイヤーたちの間で「見たことのないポケモンがいるらしい」という噂がじわじわと広がり始めた。それは、本来図鑑に掲載されるポケモンは150種類のはずが、“151番目”の存在が示唆されていたためである。
実際、ゲーム中の【ポケモン屋敷】に残された研究員の日記には「南米ギアナで新種のポケモン『ミュウ』が発見された」「ミュウは子を産んだ。それがミュウツーだ」といった記述があり、物語上にもミュウの存在がほのめかされていた。
にもかかわらずゲーム内では決して遭遇できないポケモンであったため、子どもたちは「もしかして特定の条件を満たせば出現するのでは?」と胸を躍らせた。
こうしてミュウを巡る数々の都市伝説が誕生した。なかでも有名なのが、「クチバシティの港に停まっているトラックの下にミュウが隠れている」という噂。
通常プレイでは行けない場所にポツンと存在する謎のトラックを見たプレイヤーたちは、「あのトラックをどかせばミュウに出会えるらしい」と信じ込み、雑誌の裏技コーナーや友人同士の会話でこの情報が広まった。
もちろん実際にはトラックの下にミュウなどおらず、ただの背景オブジェクトに過ぎなかったのだが、それでも当時の子どもたちは真偽を確かめようと躍起になった。
この他にも「特定のアイテムを100個集めると出現する」「四天王を○回倒すと現れる」など数えきれない噂話が飛び交い、ミュウは次第に伝説化していった。
やがて、「ゲーム中には存在しないはずのポケモン」が本当に現れたという報告がぽつぽつと出始める。ミュウは公式には入手不可能なはずだったが、あるバグ技(グリッチ)を使えば遭遇できてしまうケースがあった。
当時この事実をいち早く知る者はごく一部だったが、「友達の兄ちゃんが通信交換でミュウを持っていた」「ゲームコーナーのバグを利用するとミュウが出たらしい」といった形で断片的な情報が伝わり、子どもたちの間に大きなどよめきを起こした。
中には任天堂に直接「ミュウの出し方」を問い合わせる猛者も現れたが、肝心の任天堂スタッフですらその存在を把握しておらず困惑するばかりだったという。
実際、ミュウは任天堂に無断で仕込まれていたため発売当初、任天堂側はミュウの存在を知らなかったのである。
第3章:バグ技で手に入るミュウ?発見された裏技と社会的反響

一部のプレイヤーたちが発見したミュウ入手の裏技(いわゆる「ミュウのバグ技」)は、当時のゲーム業界にちょっとした波紋を広げた。
先述の通り、ごく限られた状況下でプログラムの不具合を突くと野生のミュウと遭遇できてしまうことが判明する。
具体的には、特定のトレーナーとの戦闘やテレポートのタイミングを利用してゲーム内部の数値を書き換えるという高度な方法だったが、これを使えば本来あり得ないはずのミュウとバトルし、捕まえることすら可能だった。
この手法は後に「ミュウ入手グリッチ」として詳細が解析され、2000年代に入って広く知られるようになる。しかし当時はまだインターネット掲示板も黎明期。限られた好事家やゲーム雑誌経由で噂が広がる程度だった。
それでも、「裏技を使えば幻のミュウを自分の手で捕まえられるらしい」という話は子どもたちに計り知れない興奮を与えた。「ミュウを持っている」こと自体がステータスとなり、学校では半信半疑の情報交換が行われたり、ゲームショップでは非公式の攻略情報が飛び交った。
当時の社会現象を振り返ると、ゲームにおけるバグ技による隠し要素がこれほどまで大規模な話題を呼んだ例は他にない。ミュウ入手の噂は「幻のポケモン」という言葉のインパクトも相まって、ポケモンブームを更に過熱させる燃料となった。
一方で、公式にアナウンスされていない隠しポケモンの存在は、任天堂にとってリスクでもあった。もし事態を放置すれば「ゲーム管理の不備」だと受け取られかねず、企業イメージに影響する恐れがあったからである。
そこでポケモン生みの親である田尻智氏は、この幻のポケモンを正式に公開し子どもたちにプレゼントしようと提案する。こうして密かに仕込まれたミュウは、いよいよ公の場でその姿を現すことになった。
第4章:任天堂・小学館による正規のミュウ配布イベントとその反響

ゲーム中に「幻」とされたミュウを公式に配布するという前代未聞のイベントは、当時としても画期的な試みだった。任天堂と小学館(雑誌『コロコロコミック』の出版社)は協力し、1996年4月15日発売の『コロコロコミック』5月号で「幻のポケモンプレゼント」と題した企画を発表。
内容はシンプルで、「抽選で20名にミュウをあげる」というもの。読者はハガキで応募し、当選した幸運な20名だけが自分のゲームカートリッジを任天堂に送り、特別にミュウのデータを入れて返却してもらえるというものだった。
公式にミュウを入手できる唯一のチャンスとあって応募は殺到し、約7万8000通ものハガキが小学館に寄せられています (当選確率はわずか0.03%程度)。これは当時の子どもたちの関心がいかに高かったかを物語る数字であり、まさに社会現象と言える反響だった。
当選者20名には開発者である森本氏自らがPC上で生成したミュウがゲームに配布された。ミュウのオリジナルトレーナー名は「コロコロ」、IDナンバーは00001〜00020が割り振られ、まさに世界で20人しか持ち得ない“公式のミュウ”となった。
落選した子どもたちは羨望の眼差しでこの幻ポケモンを見つめることになったが、その熱狂的な反応を受けて急遽第2弾のミュウ配布企画も実施されることになる。
同年夏の『コロコロコミック』8月号では当選枠を100名に拡大した追加募集が行われ、こちらも約8万通もの応募が殺到した。
さらに8月下旬の次世代ワールドホビーフェア会場では、抽選で2日間合計700名もの規模でミュウ配布イベントが催されるなど 、任天堂および小学館は社会の熱気に応えるべく次々と正規の配布企画を打ち出していった。
これら公式イベントは大きな話題となり、テレビや新聞でも取り上げられるほどの注目を集めました。当時『コロコロコミック』誌面には「ゲームボーイと赤緑のカセットを持って会場に来るといいことあるよ」とだけ告知され、「ミュウがもらえる」とストレートに書かれなかったことも語り草(ミュウ欲しさにプレイヤーが殺到し混乱を招かないよう配慮したと言われている)。
それでも蓋を開けてみれば長蛇の列ができ、森本氏曰く「(隠しても)バレバレ」だったそうだ。幻のポケモンを巡る熱狂は、こうして公式の場でも大きなムーブメントとなって表れた。
第5章:ミュウの存在がもたらし『ポケモン赤・緑』人気への影響

発売当初はゆるやかなスタートだった『ポケモン赤・緑』だったが、ミュウを巡る一連の出来事が転機となって爆発的なブームを生み出した。
実際、ミュウ配布の企画以降、ゲームの売上は急上昇し、「月間売上が週販に追いつき、さらにそれまでの3倍4倍に跳ね上がった」とも伝えられている。
当時ポケモン開発に関わっていた石原恒和氏も「コロコロのミュウ企画への反響がポケモン人気を一気に押し上げた」と振り返り、岩田聡氏(後の任天堂社長)もその劇的な効果に驚いたと語っている。
事実、ミュウの存在を巡る謎と興奮が子どもたちの好奇心を掻き立て、ゲームの販売本数を大きく伸ばしたことは間違いない。ミュウを手に入れるために通信ケーブルや攻略本を買い求めるプレイヤーも増え、関連商品まで売れる好循環が生まれた。
振り返れば、ミュウは単なる1匹の隠しポケモンに留まらず、ポケモン現象そのものを象徴する存在だった。幻のポケモンをめぐる秘密と驚きは、「ゲームの中にまだ何か隠れているかもしれない」というロマンを子どもたちに植え付け、ポケモンという作品に一層の厚みを与えた。
発売から25年以上を経た今でもポケモンシリーズが世界的な人気を保っている背景には、当時ミュウが巻き起こしたあの熱狂と、それによって築かれたファンの思い出が大きく貢献していると言える。
子ども心に刻まれたミュウの伝説は、ノスタルジーとともにこれからも語り継がれていくに違いない。
