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【特集】1996年の日本ゲーム業界総|次世代機戦争とヒット作が生んだ黄金期

この記事は約23分で読めます。

1996年――この年は、日本の家庭用ゲーム史において大きな転換点となった一年だった。

プレイステーションセガサターンによる次世代機戦争が本格化し、そこへニンテンドー64が参戦。

さらに、後に世界的コンテンツへと成長する『ポケットモンスター 赤・緑』の誕生や、『バイオハザード』による新ジャンルの確立など、ゲームの価値観そのものを変える出来事が次々と起こった。

それまで「子どもの遊び」と見られがちだった家庭用ゲームは、この年を境に、大人も本気で熱中するエンターテインメントへと進化して行った。

3D表現の本格化、物語性の強化、ジャンルの多様化――1996年は、現在のゲーム文化につながる“原型”が一気に形作られた年でもある。

本記事では、1996年の日本ゲーム業界の動きを軸に、当時の市場環境、ハード戦争の裏側、話題となったエピソード、そして今なお語り継がれる代表的な発売タイトルを振り返って行く。

あの頃、何が起きていたのか」を改めて整理しながら、90年代後半へと突入していくゲーム業界の熱量を、今一度体感してみよう。

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  1. 第1章:市場拡大と「次世代機」戦争の幕開け
  2. 第2章:プレイステーション快進撃の年
  3. 第3章:セガサターンの奮闘と苦戦
  4. 第4章:任天堂の巻き返し – NINTENDO64とポケモン旋風
  5. 第5章:業界を賑わせた主なニュース・トピックス(1996年)
    1. スクウェアのPlayStation移籍発表(1月)
    2. ハード価格競争と新規参入
    3. 東京ゲームショウ’96 開催(8月)
    4. 業界内の話題あれこれ
  6. 第6章:1996年発売の主な注目ゲームタイトル
    1. PlayStation発のヒット作・新ジャンル
      1. 『バイオハザード』 (3月22日発売、PS/カプコン)
      2. 『鉄拳2』 (発売:ナムコ)
      3. 『クラッシュ・バンディクー』 (12月6日発売、PS/SCE)
      4. 『アークザラッドII』 (11月発売、PS/ソニー) & 『ポポロクロイス物語』 (発売:SCE)
      5. 『女神異聞録ペルソナ』 (9月20日発売、PS/アトラス)
      6. 『パラッパラッパー』 (12月6日発売、PS/SCE)
    2. 任天堂(N64・SFC・ゲームボーイ)の話題作
      1. 『スーパーマリオ64』 (6月23日発売、N64/任天堂)
      2. 『マリオカート64』 (12月14日発売、N64/任天堂)
      3. 『ウェーブレース64』 (9月発売、N64/任天堂)
      4. 『ポケットモンスター 赤・緑』 (2月27日発売、GB/任天堂)
      5. 『星のカービィ スーパーデラックス』 (3月21日発売、SFC/任天堂)
      6. 『スーパーマリオRPG』 (3月9日発売、SFC/任天堂・スクウェア)
      7. 『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』 (5月14日発売、SFC/任天堂)
      8. 『ダービースタリオン’96』 (7月発売、SFC/アスキー)
      9. 『スターオーシャン』 (7月19日発売、SFC/エニックス)
      10. 『牧場物語』 (8月6日発売、SFC/パック・イン・ビデオ)
    3. セガサターンの名作タイトル
      1. 『サクラ大戦』 (9月27日発売、SS/セガ)
      2. 『NiGHTS(ナイツ)』 (7月5日発売、SS/セガ)
  7. 第7章:1996年のゲームデザイン・ジャンルのトレンド
      1. 3Dゲームの本格台頭
      2. 大人向けゲーム・ホラーの隆起
      3. 対戦・協力プレイの人気
      4. 育成・収集ゲームのブーム
      5. 音楽ゲーム・リズムゲームの誕生
      6. シナリオ重視・マルチエンディング志向
  8. おわりに

第1章:市場拡大と「次世代機」戦争の幕開け

1996年は、日本の家庭用ゲーム市場がまさに頂点に差し掛かった時期だった。ファミコン発売以降、右肩上がりに成長してきた国内ゲーム市場は1997年約7,500億円規模に達し(家庭用ハード・ソフト合計) 、1996年はその直前の熱気に満ちた年だった。

当時はプレイステーションセガサターン、そして同年発売のNINTENDO64という「次世代機」同士が熾烈なシェア争いを繰り広げており、まさに業界は空前の盛り上がりを見せていた。

そして、家庭用ゲーム機の勢力図は大きく塗り替わりつつあった。1994年末にソニーから発売されたプレイステーションPSとセガのセガサターン(SS)は、日本国内で16ビット機(スーパーファミコン等)から世代交代を進め、32ビット機戦争とも呼ばれる競争を展開していた。

1996年6月には任天堂も満を持してニンテンドー64N64)を発売し、3社による“三つ巴”のハード競争が本格化。他方で、NECのPC-FXや松下電器の3DO、バンダイとアップルの共同開発機ピピンアットマークなどもひっそり存在していたが、これらは市場で大きな存在感を示すことなく姿を消して行く。

例えばピピンアットマークは1996年3月に発売されたものの販売台数は日本国内でわずか3万台程度(世界累計でも4万台)に留まり 、任天堂が前年に発売したバーチャルボーイも国内約14万台の不振で短命に終わった。

こうした淘汰により、据置型ゲーム機市場はソニー・任天堂・セガの三強時代へと収斂して行く。

業界全体の熱気を象徴する出来事としては、「東京ゲームショウ(TGS)」第1回の開催がある。1996年8月、ゲームメーカー各社が参加して東京ゲームショウ’96が初開催され、87社が出展・来場者数約10万9千人を動員。

ゲームファンが最新タイトルをいち早く体験できるこのイベントは当時大きな話題を呼び、テレビCMが放送されるほど注目を集めた。こうした盛り上がりからも、1996年前後のゲーム業界が社会的な関心を集める黄金期にあったことが伺える。

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第2章:プレイステーション快進撃の年

プレイステーションPS)は1996年に飛躍的な成長を遂げ、家庭用ゲーム市場の主役へとのし上がった。ナムコの対戦格闘ゲーム『鉄拳2』がこの年のソフト売上トップを記録し、それに続いて『アークザラッドII』や『ポポロクロイス物語』、『クラッシュ・バンディクー』といったヒット作が次々と生まれて行く。

豊富なソフトラインナップに支えられてPS本体も普及が加速し、思い切った本体価格の値下げ(19,800円への値下げ)戦略も奏功した。

その結果、1996年11月には世界累計出荷台数が1,000万台を突破するなど、ソニーの新参ハードであるPSは驚異的なスピードで勢力を伸ばして行った。

中でも業界に衝撃を与えたニュースが、スクウェア(現スクウェア・エニックス)のPS陣営参入である。

1996年スクウェアはそれまで任天堂ハードで展開してきた人気RPGシリーズ最新作『ファイナルファンタジーⅦ』をプレイステーションで発売すると表明。当時『FF』シリーズといえば任天堂機の代名詞だっただけに、この発表はゲームファンに大きな衝撃を与えている。

さらに翌1997年1月には、エニックスも国民的RPGシリーズ新作『ドラゴンクエストⅦ』をPSで発売すると発表し、大作タイトルが相次いでプレイステーションに集結する流れが決定的となった。

こうした追い風に乗り、プレイステーションは国内ハード競争で一歩リードを広げて行く。

実際、1996年度(おおむね1996年~1997年春)の時点で、これまで日本市場でやや優位に立っていたセガサターンを累計出荷台数で逆転し、約180万台もの差を付けるに至る(当時PS約650万台:SS約480万台) 。

この「1996年の逆転劇」こそ、次世代機戦争におけるプレイステーション勝利の転換点だったと言えるだろう。以降もPSは順調に販売を伸ばし、2000年には国内累計1,820万台に達してついにスーパーファミコンの記録を超えるまでになった。

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第3章:セガサターンの奮闘と苦戦

一方、セガサターン(SS)はセガにとって歴代最大のヒットハード(日本国内累計販売台数580万台)となったが、1996年を境に勢いを失って行った。

当初、日本市場ではプレイステーションと激しく競り合い、1995年末時点では累計販売台数でPSを僅かに上回る場面もあったセガサターン。しかし、前述の通り1996年には形勢が逆転し、以降巻き返すことは困難となる。

セガはテコ入れ策として価格面とハード面で勝負に出た。1996年3月、セガサターン本体の価格を34,800円から20,000円へと大幅値下げし、新色の「白サターン」を発売する。この攻めの値下げで普及促進を図ったが、同じ頃ソニーもPSの値下げを行っており、価格競争は熾烈を極めた。

また、同年はセガサターン用の魅力的なソフトも数多く投入されている。とりわけ人気を博したのが、セガ自ら手掛けたドラマチックアドベンチャーゲーム『サクラ大戦』で、大正時代を舞台に歌劇団の少女達が活躍する本作はCESA大賞’96において作品賞を受賞するなど高い評価を得た。

他にも、3Dスティック同梱で話題となった幻想的アクションゲーム『NiGHTS(ナイツ)』、アーケードの人気ロボット対戦ゲームを移植した『電脳戦機バーチャロン』 、異色クリエイター飯野賢治氏による音と恐怖のアドベンチャー『エネミー・ゼロ』など、セガサターンならではの個性的なタイトルが次々と登場し一定の支持を集めた。

しかし、それでも市場の主導権を奪うまでには至らなかったのも事実。スクウェアエニックスといった大手サードパーティーのキラータイトルが得られなかったこと、3Dポリゴン描画におけるハード構造の複雑さから開発面でハンデを負ったことなど、複合的な要因でプレイステーションに後塵を拝する結果となった。

国内では1996年以降サターンの販売ペースが鈍化し、結局後継機ドリームキャスト発売までの約4年間で国内累計575万台・世界累計926万台に留まっている。セガサターンは決して失敗作ではなく多くの名作を生み出したが、勝者ソニーの陰に隠れた挑戦者というポジションに終わったと言えるだろう。

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第4章:任天堂の巻き返し – NINTENDO64とポケモン旋風

任天堂は1996年、据置と携帯の両面で大きな動きを見せた。まず6月23日、満を持して次世代据置ハード「NINTENDO64」を日本発売 。1年半遅れて参入した64ビット機は、記憶媒体に従来通りROMカセット(カートリッジ)を採用したため容量面で不利な点も指摘されたが、その代わり高速ロードやコピーガードなどの強みも持っていた。

また、NINTENDO64は業界初の本格的な3Dスティック付きコントローラを標準装備し、後に周辺機器で振動パックにも対応するなど、アナログスティック操作やコントローラの振動フィードバックといった革新的機能を備えて登場する。

これらの新機軸は後のゲーム機では当たり前となり、インターフェース面でゲーム体験を大きく進化させた。

ローンチタイトルとして同日発売された『スーパーマリオ64』は、その圧倒的完成度でゲームにおける3D表現の新時代を切り開いた。マリオが広大な3D空間を縦横無尽に動き回る開放感と自由度は衝撃的で、ゲームデザイン史に残る金字塔と評されている。『マリオ64』は見事ミリオンヒットを記録し 、64のキラーソフトとなった。

さらに年末には最大4人同時対戦が可能なパーティレースゲーム『マリオカート64』が発売され(1996年12月14日)、こちらも大ヒット 。他にも『ウェーブレース64』 や後年の『スターフォックス64』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』など、任天堂ならではの魅力的タイトルが順次投入されて行く。

とはいえ、NINTENDO64はサードパーティータイトルの数ではCD-ROMを採用したPSに及ばず、国内市場シェアでは苦戦を強いられた。

それでもハード自体の性能や任天堂ソフトの強力さから海外では健闘し、累計出荷3,293万台(日本約554万台)を販売するなど一定の成功を収めている。実際、海外を含めればN64はプレイステーションと互角に戦ったとの評価もあり 、特に北米では任天堂ファン層を中心に根強い人気を誇った。

据置機で苦戦気味だった任天堂だが、携帯ゲーム機市場で大逆転劇が起こる。1996年2月27日ゲームボーイ向けソフトとして発売された『ポケットモンスター 赤・緑』(ポケモン)が、その主役である。

発売当初は注目度が高くなかったこのゲームも、子ども達の口コミでじわじわ人気に火が付き始めた。プレイヤーは様々なポケモンを捕まえて育成し、育てたポケモン同士をゲームボーイの通信ケーブルで友達と交換・対戦できるという、それまでにない画期的な遊びが子ども達の心を掴んだのである。

赤版・緑版の2バージョン発売(出現モンスターが一部異なる)といった戦略も功を奏し、ポケモンブームはゆっくりとしかし確実に拡大

最終的に『ポケモン赤・緑』はミリオンセラーを達成し、1997年に開始したTVアニメのヒットも相まって社会現象と呼べる熱狂へ発展した。当時子供だった世代の多くが初代151匹の名前を今でも言えるほど、この現象は社会に浸透しました 。

『ポケモン』の記録的大ヒットにより、「もはや時代遅れ」と思われていたゲームボーイ市場が復活任天堂はこの追い風を受けて、ゲームボーイ本体を小型化した「ゲームボーイポケット」を1996年7月21日に発売しましたが、これも飛ぶように売れる。

以降、任天堂は携帯ゲーム機分野で他社を大きくリードし、後の『ゲームボーイカラー』『ニンテンドーDS』へと至る携帯機王者の地位を確立していく。「1996年のポケモン旋風」は、任天堂に新たな柱をもたらしたという点でも非常に意義深い出来事だった。

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第5章:業界を賑わせた主なニュース・トピックス(1996年)

1996年には、ハード競争以外にも業界内外で様々な話題があった。ここでは当時大きな注目を集めたトピックやエピソードをいくつか振り返ってみよう。

スクウェアのPlayStation移籍発表(1月)

前述の通り、スクウェアが『FFⅦ』のPS発売を発表したのは1996年1月のことだった。任天堂陣営からソニー陣営への電撃移籍は「ドル箱RPGが任天堂ハードから消える」という意味でも衝撃的で、業界の勢力図を変える歴史的事件となった。

この動きに危機感を抱いた任天堂は、自社ソフト拡充や新規IP開発に一層力を入れることになる。

また、スクウェアは同年2月にゲーム流通会社「デジキューブ」を設立し、コンビニでゲームソフトを販売するなど新たなビジネスモデルにも着手していた。人気RPGメーカーの戦略転換は、業界全体に大きな影響を与えたのである。

ハード価格競争と新規参入

1996年前後は各社がハードの値下げ施策を繰り出した。セガサターンの大胆な2万円への値下げ に対し、ソニーは上記のように19,800円への値下げで対抗し、任天堂もN64発売時に25,000円という抑えた価格設定で挑んだ。

また、新規ハード参入の動きもあり、バンダイとアップルが共同開発した多機能ゲーム機「ピピン@(アット)マーク」が3月28日に発売されている。

しかし、ピピン@マークは対応ソフト不足や価格の高さなどから普及せず、商業的には失敗に終わった(前述のように国内販売わずか数万台 )。

同様に、この年は3DOリアルやネオジオCDといったマルチメディア機・次世代機が相次いで市場撤退・生産終了しており、次世代機戦争の勝者と敗者が明確になった年でもある。

東京ゲームショウ’96 開催(8月)

業界団体CESA(コンピュータエンターテインメント協会)の主催により、国内初の大規模ゲーム見本市「東京ゲームショウ」が1996年8月に東京ビッグサイトで開催された。

出展社数87社・来場者数約10.9万人という盛況ぶりでスタートしたTGSは、一般ユーザーが未発売ゲームを体験できる貴重な機会として大きな話題となった。

当時のゲーム雑誌やメディアはTGSの模様を大々的に取り上げ、ゲーム産業がエンターテインメントの中心に躍り出ていることを印象付けた。

ちなみに、この第1回TGSを宣伝するテレビCMも放映されており、「ゲームショウ」が一般層にも広く認知され始めたタイミングでもある。

業界内の話題あれこれ

その他、1996年には細かなニュースも数多くあった。例えば、任天堂は不振だったバーチャルボーイの生産をこの年限りで終了している(わずか1年程度で市場撤退) 。

アーケードゲーム業界ではセガの『バーチャファイター3』や『ダイナマイト刑事』、SNKの『メタルスラッグ』といった話題作が登場し、据置型への3D格闘ゲーム移植ブームに繋がった。

また、11月には携帯型液晶玩具「たまごっち」が発売されて爆発的ヒットとなり 、子ども達の間で育成ゲームブームを巻き起こしている。

CESA大賞’96(日本ゲーム大賞の前身)が初めて開催されたのもこの年で、前述の『サクラ大戦』が作品賞に輝いたほか、各ジャンルの優秀ゲームが表彰された。

これら多彩なニュースが示すように、1996年はゲーム産業が文化・ビジネス両面で成熟しつつあった時期だった。

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第6章:1996年発売の主な注目ゲームタイトル

1996年はゲームソフトの当たり年でもあり、各プラットフォームから数多くの名作・ヒット作が生まれた。当時人気を集めたタイトルを中心に、代表的な作品とそのトレンドを見て行こう。

PlayStation発のヒット作・新ジャンル

『バイオハザード』 (3月22日発売、PS/カプコン)

全世界でサバイバルホラーブームを巻き起こした記念碑的作品。洋館を舞台にゾンビやクリーチャーと戦う恐怖体験は、従来になかった「サバイバルホラー」というジャンルを確立した。

窓ガラスを突き破って犬型ゾンビが飛び込んでくる演出や、不気味な日記に残された「かゆい うま」のメッセージなど、心臓を鷲掴みにする演出の連続がプレイヤーに強烈な印象を与えている。

それまでファンタジーRPGや明るいアクションが主流だった家庭用ゲームにおいて、大人向けの本格ホラーゲームがミリオンヒットとなった意味は大きく、以降『サイレントヒル』シリーズなどホラー路線の作品が各社から登場するきっかけとなった。

『鉄拳2』 (発売:ナムコ)

アーケードで人気を博した3D対戦格闘ゲームのPS移植作です。豪快なコンボや投げ技、個性的なキャラクターで人気の本作は1996年の家庭用ゲームソフト年間売上第1位を記録し、対戦格闘ゲーム熱が依然高かった当時の勢いを象徴するタイトルとなった。

鉄拳2』の成功により、プレイステーションが格闘ゲーム好きのユーザー層をしっかり取り込んだことも見逃せない。

翌年には『鉄拳3』も控えており、ポリゴン格闘ゲームの完成度はますます向上していく。

『クラッシュ・バンディクー』 (12月6日発売、PS/SCE)

ソニー・コンピュータエンタテインメント自ら手掛けた3Dアクションゲームで、カートゥーン調のキャラクター「クラッシュ」が暴れ回る痛快な作品です。コミカルな演出と軽快な操作感で子供から大人まで支持され、PSを代表するアクションゲームに成長した。

当時の3Dアクションは任天堂のマリオ64など限られた存在だったが、クラッシュはPS陣営からの強力な回答となり、その後シリーズ化され世界的人気キャラとなっている。

『アークザラッドII』 (11月発売、PS/ソニー) & 『ポポロクロイス物語』 (発売:SCE)

プレイステーション普及初期を支えた和製RPGのヒット作です。『アークII』は戦略性の高いシミュレーションRPG、『ポポロクロイス』は絵本のような温かい世界観のRPGとして、それぞれシリーズの人気を決定づけた。

当時、任天堂ハードで『ドラクエ』『FF』が出ない空白を埋めるように、ソニー自ら良質なRPGを投入したことが伺える。

これらの成功は「PSでも王道RPGが楽しめる」というユーザーの安心感につながり、後の『ワイルドアームズ』や『テイルズ オブ デスティニー』(※1997年)などRPGラッシュへと繋がって行く。

『女神異聞録ペルソナ』 (9月20日発売、PS/アトラス)

後に大ヒットシリーズとなる『ペルソナ』シリーズの第1作。本作はそれまで硬派なイメージの強かった女神転生シリーズの外伝的位置付けで、現代日本を舞台に高校生たちが悪魔と戦うという斬新な設定のRPGだった。

ややマニアックな難易度ではあったが、クールな世界観と現代劇的なストーリーが若い層に支持され、ペルソナシリーズはこの後アトラスの看板タイトルとして成長して行く。

1996年当時は地味ながらも新しいRPGの可能性を示した意欲作と言える。

『パラッパラッパー』 (12月6日発売、PS/SCE)

音楽に合わせボタンをリズミカルに押すだけというシンプルな操作で楽しめる、世界初期の「音ゲー」(音楽ゲーム)ヒット作。

ヒップホップ好きの犬のキャラクター「パラッパ」がラップ調の音楽に乗せて「押し返し稽古」をするユニークな内容で、当時としては画期的なゲームデザインだった。

操作は単純で誰にでもとっつきやすく、コミカルなビジュアルとノリの良いサウンドが相まって女性やライトユーザーにも大ウケ。リズムゲームという新ジャンルを家庭用ゲームに根付かせ、後の『ビートマニア』『DDR』など音ゲーブームの火付け役となった作品。

可愛らしい見た目とは裏腹に高スコアを狙うには高度なテクニックが要求される奥深さもあり、コアゲーマーにも愛された。

『パラッパ』の成功により、プレイステーションはゲームセンター的な遊びを家庭で気軽に楽しめるプラットフォームとして評価を高めて行った。

任天堂(N64・SFC・ゲームボーイ)の話題作

『スーパーマリオ64』 (6月23日発売、N64/任天堂)

任天堂が生んだ3Dプラットフォームゲームの金字塔。マリオが初めて3D空間に飛び出し、広大なステージを縦横無尽に駆け回る体験は、「ゲームが変わった」と評されるほど衝撃的だった。

アナログスティックを使った360度自在な移動、カメラ操作を含めたゲームデザインは後続の3Dゲームに多大な影響を与えている。

ローンチタイトルにしてミリオンセラーとなった本作は、NINTENDO64の勢いを象徴する存在でだった。3Dアクションという新境地を大衆化したという意味でも、1996年を代表する傑作と言える。

『マリオカート64』 (12月14日発売、N64/任天堂)

マリオシリーズの人気レースゲーム第2弾で、N64の性能を活かしたフル3Dコースとシリーズ初の4人同時対戦を実現したパーティゲーム。

友達同士で集まっての対戦プレイは大盛り上がりで、年末商戦の目玉タイトルとして爆発的に売れた。特に当時としては珍しい「画面4分割プレイ」が家庭用でできたことが新鮮で、対戦ゲームの楽しさを家庭にもたらした功績は大きい。

後のスマブラシリーズなど、みんなでワイワイ遊ぶマルチプレイ路線の先駆けとも言える。

『ウェーブレース64』 (9月発売、N64/任天堂)

ジェットスキーを題材にしたレースゲームで、水面のリアルな波の表現や爽快な操作感が話題となった。

N64ならではの高い3D描写力を示すタイトルで、こちらもヒットを記録している。

当時は3Dゲーム=陸上の乗り物というイメージを覆し、水上レースという新鮮さで評価された。

『ポケットモンスター 赤・緑』 (2月27日発売、GB/任天堂)

前述の通り1996年最大の現象といえばこの『ポケモン』だろう。ゲームボーイという8ビット白黒画面の旧式携帯機で発売されながら、その内容の奥深さとコミュニケーション性で子供達を夢中にさせた。

151匹もの個性的なモンスターを集めて戦わせるコレクション要素、一人一人異なる体験談が生まれる冒険の自由度、そして通信交換による友達との協力・対戦要素――遊びの発明ともいえるこれらの要素は、「ゲームは一人で遊ぶもの」という常識を覆したと言える。

当初地味な存在だったソフトが口コミで広がり、社会現象級のブームになっていった過程も含め、ゲーム業界のマーケティング史にも残るタイトル。

『星のカービィ スーパーデラックス』 (3月21日発売、SFC/任天堂)

スーパーファミコン向け最後期の大型タイトルの一つ。

6つのメインゲーム+αから構成されるボリュームたっぷりの内容で、「遊びのデパート」とも評される傑作アクションゲーム。

友達と協力プレイができる点も特徴で、SFC世代の有終の美を飾る作品となった。

『スーパーマリオRPG』 (3月9日発売、SFC/任天堂・スクウェア)

任天堂とスクウェアの夢のコラボで生まれたマリオのRPG作品。

スーパーファミコン末期にも関わらず販売本数は200万本近くを記録する大ヒットとなり 、「マリオ」のブランド力とRPGの相性の良さを証明した。

本作は結果的に任天堂とスクウェアの最後の共同作業にもなったが、その完成度の高さから現在でもファンの多い名作。

『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』 (5月14日発売、SFC/任天堂)

シミュレーションRPG「FE」シリーズ第4弾。

親世代・子世代に物語が継承される大胆な代替わりシステムが話題を呼び 、硬派なシミュレーションながら新規ユーザーも取り込んでシリーズ屈指の人気作となった。

スーパーファミコンの性能を活かした重厚なストーリー演出や戦略性が評価され、こちらもヒットしている。

『ダービースタリオン’96』 (7月発売、SFC/アスキー)

競馬育成シミュレーション「ダビスタ」シリーズのヒット作。

この年の競馬ブームも手伝って大いに売れ、競走馬育成シミュレーションというニッチジャンルを一般層に広めた。

自分の育てた馬でレースに勝つ喜びを疑似体験できる内容は中高生から大人まで人気で、以降もシリーズが続く定番タイトルとなっている。

『スターオーシャン』 (7月19日発売、SFC/エニックス)

スーファミ末期に登場した意欲的RPG。音声付のアニメーションやリアルタイム戦闘など、ハードの限界に挑んだリッチな作り込みが話題となった。

後にプレイステーションで展開される人気シリーズの礎を築いたタイトル。

『牧場物語』 (8月6日発売、SFC/パック・イン・ビデオ)

農場経営を題材にほのぼのとしたスローライフを楽しむシミュレーションゲーム。

畑を耕し、動物を世話し、村人との交流を図るという独特のゲーム性は当時珍しく、新鮮な体験として支持された。

後にシリーズ化・派生し、現在の「スターデューバレー」など生活シム系ゲームの先駆けともいえる存在。

セガサターンの名作タイトル

『サクラ大戦』 (9月27日発売、SS/セガ)

セガサターンを代表する大ヒット作であり、和製ドラマチックアドベンチャーの金字塔。

帝都・大正時代というレトロモダンな世界観、歌劇団に所属する乙女達とともに人型兵器で悪と戦うという斬新な物語が幅広い層に受け入れられた。

戦略シミュレーション+会話アドベンチャー+ミュージカルという異色のジャンル融合も話題となり、女性キャラとの信頼関係を深めるマルチエンディング要素などゲーム性も独特。

物語性の高さやキャラクター人気からメディアミックスも展開し、CESA大賞’96では作品賞を受賞するなど評価・セールス両面でセガサターン最大の成功作となった。

『NiGHTS(ナイツ)』 (7月5日発売、SS/セガ)

ソニックチームが開発した夢の中の世界をテーマにしたアクションゲーム。主人公ナイツを操り夜空を飛び回る爽快感と、美しいビジュアル・音楽が特徴。

専用の3Dアナログコントローラ「マルチコントローラー」を同梱し、滑らかな操作性を実現した意欲作だった。

スコアアタック性もありリプレイ性が高く、コアなゲーマーから評価される隠れた名作として今なお語り継がれている。

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第7章:1996年のゲームデザイン・ジャンルのトレンド

以上見てきたように、1996年はゲームタイトルの豊作年であると同時に、ゲームデザイン面でも大きな転換点となった年だった。最後に、この年に顕著だったジャンル・デザイン上のトレンドをまとめて行こう。

3Dゲームの本格台頭

32ビット機・64ビット機の性能向上により、フルポリゴンの3Dゲームが続々登場した。『マリオ64』や『クラッシュ・バンディクー』のヒットで3Dアクションが定着し、また『鉄拳2』やVF2など3D格闘ゲームも人気を博して、2Dから3Dへの世代交代が一気に進んだ印象がある。

3D酔いという言葉もこの頃から聞かれ始めたが、多くのプレイヤーが新しいゲーム体験に熱狂した。

大人向けゲーム・ホラーの隆起

『バイオハザード』の大成功は、「ゲーム=子供向け娯楽」という既成概念を打ち破った。グロテスクな描写やシリアスな世界観を持つタイトルが受け入れられ、サバイバルホラーという新ジャンルが確立。

また、セガサターンでは前述の通り恋愛要素のある『サクラ大戦』や美少女ゲームの移植などヤングアダルト層向けの作品が目立ち始め、ユーザー年齢層の広がりが見て取れる。

業界団体CESAの発足(1996年社団法人化)もあり、表現の自主規制や年齢レーティングの議論もこの頃から徐々に芽生えて行った。

対戦・協力プレイの人気

1996年は対戦格闘ゲームブームがまだ熱を帯びており、『鉄拳2』が年間売上トップになるほどだった。

友達や兄弟と画面を共有して遊ぶ体験は、『マリオカート64』の4人同時プレイ やサターンの対戦格ゲー移植などでさらに広がる。

また『聖戦の系譜』のように二人一緒に遊べるRPGや、『星のカービィSDX』の協力プレイなどマルチプレイ要素を備えるゲームも増加した。ゲームが一人遊びからみんなで遊ぶ社交的な娯楽へシフトし始めたのもこの年のトレンドと言える。

育成・収集ゲームのブーム

子ども達の間では『ポケモン』に端を発するモンスター育成・収集ブームが到来した。ゲーム内でコレクションを集めて育てる楽しさ、交換してコンプリートするコミュニケーション要素は、その後デジモンやメダロット等のフォロワー作品、あるいはデータカードダス等の玩具展開にも派生して行く。

また『ダービースタリオン』 や『牧場物語』 のように育成シミュレーションがヒットしたのもこの頃の特徴。

さらには携帯おもちゃ「たまごっち」の爆発的流行もあり、「育てて集める」遊びが90年代後半のひとつの潮流となった。

音楽ゲーム・リズムゲームの誕生

『パラッパラッパー』が切り開いた音楽ゲームの楽しさは、ゲームセンターの音ゲーブームに飛び火し、翌年以降『ビートマニア』『ポップンミュージック』などが登場して行く。

音楽ゲームは老若男女に受け入れられる新たなジャンルとして成長を始め、ゲームのカジュアル化・パーティー化にも貢献した。

パラッパのようなライト路線から高度なスキルを競うコア路線まで、音ゲー文化はここから花開いて行く。

シナリオ重視・マルチエンディング志向

ハード容量の拡大に伴い、ゲームの物語性がより重視される傾向も強まった。『サクラ大戦』に代表されるようなマルチシナリオ・マルチエンディング制や、『女神異聞録ペルソナ』の現代劇ストーリーなど、多様な物語表現が模索されている。

また、PCゲーム界隈ではあるものの、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』のように並行世界を行き来する重厚なシナリオゲームも話題となり 、後のコンシューマー向けノベルゲームに影響を与えた。

ゲームがアクションやパズルといった遊びそのものの面白さだけでなく、ストーリーを体験するメディアとしても進化し始めた時期と言えるだろう。

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おわりに

1996年の日本の家庭用ゲーム業界は、市場規模・技術革新・コンテンツ多様化のいずれにおいてもエポックメイキングな年だった。

プレイステーションを中心に据置ゲーム市場は空前の盛り上がりを見せ、任天堂はポケモンという新たな柱を打ち立て、セガも独自色の強い名作を輩出した。

ゲームの黄金期」とも呼ばれる90年代後半の幕開けとなった1996年は、まさに古き良き2D時代から新しき3D時代への過渡期であり、同時にゲームが子供だけのものから全年齢の娯楽へとシフトし始めたターニングポイントでもある。

この年に生まれたタイトルや潮流は、その後のゲーム業界に長く影響を与えた。例えば、翌1997年には『FFⅦ』が社会現象級の大ヒットとなり、さらに市場を拡大させるが、それも裏を返せば1996年の布石があってこそだろう。

現在振り返ってみても、1996年はゲーム史に残る豊潤な一年だった。当時をリアルタイムで知る人にとっては懐かしく、知らない世代にとっても今なお色褪せない名作・伝説が詰まった時代――そんな1996年のゲーム業界を、今後も語り継いでいきたい。

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