【特集】『マリオパーティ(1998年)』とは何とは?初代N64版のシステム・開発秘話など徹底解説

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懐かしの初代『マリオパーティ』(NINTENDO64)を徹底解説

  • 発売日:1998年12月18日
  • ジャンル:パーティゲーム
  • プラットフォーム:NINTENDO 64/Nintendo Switch
  • 開発:ハドソン/シーエイププロダクション
  • 発売:任天堂Nintendo
  • シリーズ:マリオパーティシリーズ
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初代『マリオパーティ』とは?

初代『マリオパーティ』は、1998年12月18日にニンテンドー64用ソフトとして発売された、マリオシリーズ初のパーティゲーム。

発売元は任天堂だが、開発は当時『ボンバーマン』シリーズや『桃太郎電鉄』シリーズなどでパーティゲームのノウハウを持っていたハドソンと、そのハドソン作品を支えてきたシーエイプロダクション(CAProduction)のタッグによって行われた。

マリオファンの間では略して「マリパ1」とも呼ばれるこの作品は、最大4人で遊べるボードゲーム+ミニゲームの対戦ソフトで、家族や友達同士でワイワイ盛り上がれる内容になっている。

当時の任天堂はニンテンドウ64市場でファミリー層をさらに盛り上げたい狙いがあり、大人気マリオキャラクターの力とハドソンの持つパーティゲーム開発力を組み合わせて本作を制作したようだ。結果、『マリオパーティ』は「みんなで遊べるパーティゲーム」という新たなジャンルを切り開き、その後長く続くシリーズの第一歩となった。では、ゲーム内容や特徴を詳しく見ていこう。

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第1章:ゲームシステムと基本ルール

マリオパーティ』のゲームシステムは、大きく「ボードゲームパート」と「ミニゲームパート」に分かれている。

マリオルイージなどマリオシリーズでお馴染みのキャラクター6人(マリオ、ルイージ、ピーチ、ヨッシー、ワリオ、ドンキーコング)から好きなキャラを選び、サイコロを振ってボード上を進みながらスターやコインを集め、最終的に誰が一番のスーパースター(優勝者)かを競うというもの。

ボードゲームパートのルール

ボードマップ(ゲーム盤)はスゴロクのような形式で、各プレイヤーは自分のターンに「サイコロブロック」を叩いて出た目の数だけマスを進む。

マスには様々な種類があり、止まったマスの色や種類に応じてイベントが発生する。例えば、青マスならコインをもらえ、赤マスならコインを失う、といった具合。

また、4人全員の行動が終わるとミニゲームが発生するが、その種類は各プレイヤーの止まったマスの色(青か赤)によって決まる。全員青マスなら「4人全員のバトル」1人だけ赤マスなら「1対3」2人ずつなら「2対2」のミニゲーム…というように、毎ターン必ずみんなでミニゲームで対戦することになる。

ボード上では、スターがゲームの勝敗のカギ。ステージ上にはキノピオがスターを持って待機しており、そこに辿り着いて20コイン支払えばスター1つを入手できる。

制限ターン数(ゲームの長さは20ターン/35ターン/50ターンから選択)内に最も多くスターを集めた人が勝者となる。

ただしコインも侮れない。ゲーム終了時には集めたコイン枚数が順位に影響する他、特定の条件でコインスターやミニゲームスターなどボーナススターがもらえる場合もあり、最後まで逆転のドキドキ感が味わえるのが醍醐味。

ミニゲームパートの種類と特徴

各ターンの最後に発生するミニゲームは、本作には全部で50種類も収録されている。内容はアクションレースパズル運試しなど実に様々で、どれも短時間で決着が付くようになっている。

ミニゲームは先述の通り「4人乱闘」「2vs2のチーム戦」「1vs3の変則戦」のパターンがあり、それぞれ勝てばコインを獲得できる。基本的に勝者(または勝利チーム)には10コイン前後が与えられるが、実は初代『マリオパーティ』では負けたプレイヤーがコインを失うミニゲームもいくつか存在する。

例えば、1対3の綱引き対決「つなひきデンジャラス」などでは、敗者側はコインを5枚没収されてしまう。このように負けると損をする厳しめのルールは初代ならではで、後のシリーズでは「負けたらコイン減少」というミニゲームは姿を消している(勝者がコインを得て敗者は何もなし、という形が基本に改められた)。

初代当時は子供向けパーティゲームとは言いつつも、意外とシビアな部分もあった。

ミニゲームの中には協力プレイ系も少しだけある。4人全員が協力してクリアを目指す「クッパミニゲーム」では、全員成功すれば全員コイン獲得、誰か一人でもミスすると全員失敗…なんて場面も。このように一喜一憂しながら短いゲームで競い合う流れがテンポよく続くため、プレイヤー同士で自然と盛り上がる仕掛けになっている。

アイテムやその他の要素

後のシリーズ作品では、移動前にアイテムを使って有利に進めたり、お店で買ったアイテムをストックしておいて好きなタイミングで使用…といった戦略要素が加わっていく。

しかし初代『マリオパーティ』にはまだ「アイテムを持ち歩いて使う」というシステムは存在しない。その代わりに、ボード上の「キノコショップ」という場所でコインを支払ってアイテム(キノコなど)を購入し、その場で効果を発揮させることはできた。

例えば、「キノコ」を買えばその場でサイコロをもう一度振る権利がもらえる(2回サイコロを振れる)といった具合。ただし持ち運びはできないので、後のシリーズに比べると戦略の幅はまだシンプルな印象を受けるだろう。

また、初代ならではのボード上のキャラクター演出として、各マップのスタート地点にノコノコがいて、一周して戻ってくるたびに通過ボーナスとしてコインを10枚くれるというルールがある。

これは初代だけの風習で、次回作『2』以降ではノコノコはスタート地点に常駐しなくなる(代わりにマップによっては「ノコノコバンク」という新要素が登場する)。

他にも、マップ上でクッパに遭遇すると強制的にイベントが発生し、例えばクッパから無理やり不要なアイテムを買わされる(当然コインを奪われる)といったトラブルも初代ならではの洗礼。

こうした細かなルールの違いは、シリーズを追うごとに改良されたり姿を消していったりするが、裏を返せば初代はまだ試行錯誤の要素が色濃く残っているとも言える。


最後にゲームモードについて補足しておくと、初代『マリオパーティ』には通常のボードゲーム以外にもミニゲームアイランドミニゲームスタジアムといったモードが用意されている。

ミニゲームアイランドは1人用の冒険モードで、マリオが小さな島々を巡りながら次々とミニゲームにチャレンジしていく構成。これを全クリアすると隠しミニゲームが出現するお楽しみもある(隠し要素の詳細は後述)。

一方ミニゲームスタジアムは、ボード上でスター集めをせずひたすらミニゲームだけで競うモードで、集めたコイン枚数で勝敗を決めるルールとなっている。友達と短時間で勝負したいときや、ミニゲームだけ遊びたいときにも対応している。

これらのモードも含め、初代は「ボードゲーム×ミニゲームの融合」という斬新なアイデアを基盤にしつつ、家族みんなで楽しめるパーティゲームとしてシンプルで分かりやすい仕上がりになっている。

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第2章:開発の舞台裏、任天堂×ハドソンの秘話

初代『マリオパーティ』の開発はどのように行われたのだろうか? ここからは制作秘話や開発チームのエピソードを掘り下げてみよう。

実は本作の開発には発売の約2年前から着手されていた。Nintendo of America社長を兼務した故・岩田聡氏による公式インタビュー「Iwata Asks」の中で、開発メンバーの池田宏之氏(当時ハドソン所属、後にNdキューブ取締役)も「開発は1996年に始まり、1998年に最初のマリオパーティが出た」と語っている。ニンテンドー64本体の発売が1996年なので、かなり早い段階から企画が動いていたことが分かる。

任天堂とハドソンの協力関係

ハドソンのロゴ

任天堂とハドソンのタッグは、当時としては珍しいコラボレーションだった。任天堂は自社IPであるマリオのキャラクターを提供し、ハドソンはゲーム開発の実制作を担うという形。

ハドソンといえばファミコン時代からの老舗ゲーム会社で、前述の通り『ボンバーマン』シリーズや『桃太郎電鉄』シリーズなどマルチプレイが盛り上がるゲームを多く手掛けていた実績がある。

任天堂社内にももちろんゲーム開発チームはあったが、マリオを使ったパーティゲームという新規ジャンルに挑戦するにあたり、あえて外部の得意分野の会社と組むことで新しい面白さを模索したのだろう。

この長期的な協力関係は大成功を収め、以後もハドソンは据置機向け『マリオパーティ』シリーズ8作目までメイン開発を担当し続けることになる。任天堂とハドソンのパートナーシップは約10年にも及び、結果的にマリオパーティ以外でも『マリオランド』など複数のタイトルで協業することになった。

ハドソン側の開発チームには菊池賢次氏(ディレクター)や中本伸一氏(プロデューサー)、そして任天堂側からは波多野信治氏(プロデューサー)といった名前が並び、双方のスタッフが混合で制作に当たった。

当時ハドソンの若手だった池田宏之氏は本作ではプロダクトマネージャーとして携わり、その後シリーズすべての開発に関わるキーパーソンとなっていった。

また音楽面では、あの『クロノ・トリガー』『ゼノギアス』などで知られる光田康典氏が全曲を作曲していることも特筆すべきだろう。光田氏は当時フリーの作曲家として本作BGMを担当し、その軽快でコミカルな楽曲の数々はゲームの盛り上がりを陰から支えている。

コンセプト誕生から完成まで

開発初期段階では、どんな経緯で「ボードゲーム+ミニゲーム」の形に至ったのだろうか

任天堂の公式情報によると、本作の企画は「ボードゲームとミニゲームの合体」というアイデアからスタートし、試行錯誤を重ねる中で徐々にミニゲームの面白さが光り始め、最終的に「ミニゲームの魅力を活かしたボードゲーム」という現在の形に落ち着いたという。

つまり最初から細部まで固まっていたわけではなく、小さなゲーム(ミニゲーム)集を作りつつ、それをどう一本のゲームとしてまとめるかを模索した結果、スゴロク状のボードでつなぐという発想に行き着いたようだ。

実際、当時の4人用ゲームとしては他に例のない独創的なスタイルだったため、開発チーム内でも様々なアイデアが飛び交ったという。

後年のインタビューで池田氏は「ミニゲームのアイデアは何百と出して、全部一度に使わずストックして次回作に回すことでシリーズを続けていった」と語っており、最初の作品づくりの段階から「パーティゲームのネタの宝庫」のような状態だったことがうかがえる。

実際、本作から翌年の『マリオパーティ2』、さらにその翌年の『3』までニンテンドー64上で毎年続編がリリースされていくことになる(驚異のハイペース!)。これは開発陣にそれだけアイデアの蓄えがあったこと、そして初代のヒットが続編制作を後押ししたことの証でもある。

知られざる技術的チャレンジ

初代『マリオパーティ』の裏側では、技術的な工夫も光っていた。例えば、グラフィック表現について、本作では3Dポリゴンと2Dスプライトを組み合わせたような疑似3D描画が採用されている。

当時の64ソフトとしては比較的キャラクターやマップがポップで可愛らしく描かれていたが、これは処理負荷を抑えつつ見た目のリッチさを出す工夫の賜物である。

また容量の限られたロムカセットで50種類ものミニゲームを収録するために、画像データ圧縮の専用エンジンまで開発された。ハドソンが筑波大学の徳永隆治氏らと共同開発した「Hybrid Vector Quantization(HVQ)」と呼ばれる圧縮技術で、本作にこのHVQエンジンが初めて導入されている。

要はデータを小さく圧縮してたくさんの画像を詰め込む技術で、カートリッジの制約を乗り越えるための当時最先端の取り組みだったのだ。

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第3章:発売当時の反響

当時放送されていたCM

斬新なパーティゲームとして登場した『マリオパーティ』だが、発売当時の世間の反応はどうだったのだろうか?ここでは当時の売上やレビュー評価、そして有名な「手のひらケガ事件」について振り返ってみよう。

セールス面のヒット

まず売上だが、初代『マリオパーティ』は世界的に見ても大きなヒットとなった。国内(日本)での販売本数は約71万本に達し、全世界累計では約270万本もの売上を記録している。

任天堂のファミリー向けタイトルとしては上々の成功と言え、これに勢いづいて前述のようにシリーズ化が一気に進んだわけだ。

特に据置機で4人同時プレイを前提としたゲームは珍しく、任天堂64本体の4つのコントローラ端子がフルに活用できるタイトルとして、多くの家庭でパーティの定番ソフトになっていった。

当時を知る人なら、「友達の家に集まってマリオパーティで遊びすぎて親に怒られた」なんてエピソードが一つや二つあるのではないだろうか。それくらい、子供から大人まで巻き込んでみんなで遊べる魅力があった。

また、この成功により任天堂とハドソンの関係も強固なものとなった。ハドソン開発チームはその後も年間ペースでマリオパーティを作り続け、ニンテンドウ64で3作連続発売(1998~2000年)という快挙を達成。さらにゲームキューブ時代も『4』『5』『6』『7』と年1本ペースでリリースされる人気シリーズへ成長していく。初代の時点で「これはイケる!」と手応えがあったからこそのスピード展開と言えるだろう。

レビュー評価

レビュー評価を見ると、初代『マリオパーティ』はおおむね好評ではあるものの賛否両論もあったようだ。

ゲームレビュー集計サイトMetacriticでは79/100というスコアで「概ね好評」と分類されている。特に「友達と一緒に遊ぶと非常に盛り上がるマルチプレイゲームだ」という点は多くの批評家が認めており、パーティゲームとしての楽しさは高く評価された。

一方で、シングルプレイ(1人プレイ)時は途端に魅力が薄れると指摘する声もあったようだ。実際GameSpotのレビューでは「マルチプレイでは楽しいが、1人用モードでは全く魅力がない」と手厳しいコメントが残されているとのこと。

またミニゲームの幾つかについては「運の要素が強すぎる」「短すぎて物足りない」といった辛口の意見も見られ、AllGameのレビューでは「コンセプトは良いが期待ほどではなかった」と総評されていたという。

とはいえ、みんなでワイワイ遊ぶ前提のゲームであるため、「1人で黙々とやっても面白くない」はある意味当然とも言える。友達や家族と一緒に遊んでこそ真価を発揮するタイトルだ。

手のひらグローブ事件

そして忘れてはならないのが、「手のひらグローブ事件」とも呼ばれる有名なエピソード。これは本作の特定のミニゲームにおいて、64コントローラの堅いスティックを手のひらでグリグリ高速回転させるプレイが推奨(というか必要)されるものが複数あったために起きた事件。

代表的なのは1vs3の「つなひきデンジャラス(Tug o’War)」で、プレイヤーは相手より速くスティックを回して綱を引っ張る必要がある。これを指ではなく手のひら全体で回す方が圧倒的に高速になるため、みんな必死で手のひらでグリグリ…その結果、手のひらに水ぶくれやマメができる怪我人が続出してしまったのだ。

特にアメリカでは苦情が相次ぎ、ニューヨーク州司法当局から任天堂に注意喚起がなされる事態にまで発展した。任天堂は対応策として、希望者に無料でゲーム用の手袋を配布する措置を取る羽目になった。

全米でゲーム購入者全員に手袋を配ったら数百万ドルのコストになるとも報じられたが、実際には請求してきた人はごく一部だったようで、任天堂にとっても幸いだったという。

なお、その後のシリーズではこうしたスティック回し系のミニゲームは極力避けられるようになった(少なくとも手のひら推奨にはならないよう配慮された)。ある意味、初代が生んだ伝説的ハプニングと言えるだろう。

余談だが、2022年に初代と『2』がNintendo Switch Onlineで配信された際には、任天堂が「コントローラーのスティックは指で回してください(手のひらでやらないで)」という注意書きをわざわざ掲示したことも話題になった。20年以上経った今でも語り草になるほど、当時のプレイヤーの記憶に刻まれた事件だったのだ。

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第4章:豆知識・裏技・隠し要素あれこれ

ここからはマニアックな豆知識や裏技、小ネタのコーナー! 初代『マリオパーティ』にまつわる隠し要素や没データ、バグ技など、正確性が確認できているものをピックアップして紹介しよう。

隠しボードマップとミニゲーム

初代マリパの隠し要素としてまず挙げたいのは、クリア後に遊べる隠しマップ(ボード)と隠しミニゲーム。

本作には最初から選べるボードマップが6種類あるが、実はさらに2つのマップが隠されている。その一つが「クッパのマグママウンテン」、もう一つが「えいえんのスター」。

前者は名前の通りクッパをテーマにした火山ステージで、他の6マップを一通り遊んだ後にキノコショップで980コイン支払うと購入できる 。

後者「えいえんのスター」は物語の最終決戦的なマップで、他の全マップをクリアした上で合計100個のスターを集めると出現する 。

条件を満たすとクッパに奪われたスターを取り返すため、このマップに挑戦せよ!といった演出が入り、プレイヤーは自動的に「えいえんのスター」へ送り出される 。

ここではベビィクッパ(クッパJr.)たちとサイコロ勝負でスターの奪い合いをするという他にない展開が楽しめ、無事クリアすると感動のエンディングを見ることができる。

ちなみに「えいえんのスター」では、スタート地点にいたノコノコがオープニングでクッパに吹き飛ばされてしまうため、例の10コインボーナスがない…なんて細かい違いもある 。隠しマップまで作り込まれているあたり、さすがサービス精神旺盛だ。

隠しミニゲームは全部で3種類存在する。内容は「のっかれボール」という玉乗り迷路ゲームで、1~3まで難易度違いのコースが用意されている。これらはミニゲームアイランドを全クリアすることで解禁されるようになっており、ミニゲームアイランドのご褒美的ポジション。

一度出現させれば、キノコショップでコインと交換して手に入れることができる(当時の攻略本などには裏技扱いで載っていた要素だ)。友達に自慢したいなら是非チャレンジしてほしい。

ボツになったデータ・未使用ネタ

ゲーム開発にはつきものだが、初代『マリオパーティ』にもお蔵入りになった要素がいくつか存在する。発売後、解析や開発者の話から判明した没ミニゲームとして有名なのが以下のようなもの。

  • いちかばちか(All or Nothing)
    • ブロックを叩いて運試しをするゲーム。一人用で、3つの「?ブロック」の中から当たり(マリオマーク)を引ければコイン獲得、ハズレ(クッパマーク)だと賞品没収…といった内容が推測されている。
    • おそらく後に製品版に収録された「チャンスタイム」に近い要素だった可能性がある。
  • ツールドマリオ(Tour de Mario)
    • 名称からしてマリオたちの自転車レースのようなミニゲームと考えられる 。実際に遊べるデータは残っていないが、開発途中で没になったとされる。
  • バンジージャンプ(Bungee Jump)
    • こちらも名前のみ判明。空中から落下するバンジージャンプを題材にしたミニゲームだろうか。詳細不明。
  • さめがめ(Same Game)
    • 同じ色のパネルを消していくパズルゲーム 。地面に並んだパネルの上でキャラがヒップドロップして隣接パネルを消し、全部消せれば宝箱ゲット、消せなければ1コインだけ…というルールまで判明している。
    • どうやら同名の定番パズル「さめがめ」をアレンジした内容らしい。
  • ヨッシーのしたあわせ(Yoshi’s Tongue Meeting)
    • ヨッシーたちが川岸に並び、伸ばした舌の先についた子ウィッグラー(毛虫のキャラ)をタイミングよく親ウィッグラーに返してあげる…というシュールなゲーム。
    • ボタンを押すタイミングが早すぎると親ウィッグラーを蹴飛ばしてしまい失敗、という細かい挙動までデータ上判明している。かなり変わった内容だけに、ぜひ遊んでみたかった!?

これらのミニゲームは結局完成版には収録されなかったが、一部はゲーム内にデータが残っており、改造コードを使うと動かせることが確認されている。(でも使っちゃダメよ)

例えば、「さめがめ」や「ヨッシーのしたあわせ」はチートデバイスで呼び出すと実際にプレイ可能だ。ただし正式な方法では遊べないので、あくまで豆知識として頭の片隅に置いておこう。

スタッフも「次回作で使おう」と温存していたネタも多かったようで、こうした没ゲームのいくつかのアイデアは後のシリーズ作品に受け継がれているかもしれない。

また未使用データ関連では、キャラクターの顔アイコン(プロフィール画像)が開発途中では『マリオカート64』風のリアル調イラストだったとか、マップ上のプレイヤーパネル(順位表示)が一時期黄色く点灯する仕様が存在した…など細かな情報も明らかになっている。

特に後者の「パネルが全員黄色になると“No Game”と表示されそのターンはミニゲームスキップ」という没演出まで発掘されており、完成版ではお蔵入りになった機能があったことが伺える。

この「No Game」演出は実装されなかったものの、唯一見る方法があって、それがクッパマスのイベント「クッパ革命」時の演出である。

クッパ革命では全員のコインが均等になるが、その際一瞬だけ4人のパネルが虹色に点滅する(実はこの時チラッと黄色パネルも混ざっている)。どうやら開発段階の名残がそんな形でひっそり残っていたようで、ゲームの裏側を知るとニヤリとできるポイントだ。

その他トリビアあれこれ

最後に、初代『マリオパーティ』にまつわる雑多なトリビアをいくつか紹介しよう。

  • 光田康典氏による楽曲提供
    • 前述したが、本作のBGMは名作RPGで知られる光田康典さんが手掛けている。
    • ゲーム中に流れるコミカルな曲や熱い曲の数々はサウンドトラックCDも発売されており(※現在は入手困難)、ファンから根強い人気がある。
    • ちなみに次作『マリオパーティ2』は別の作曲者(石川こずえ氏ら)が担当しており、シリーズごとに音楽の雰囲気が微妙に異なるのも面白い。
  • 隠しキャラは存在しない
    • 最近のゲームでは追加で隠しキャラクターが登場することも多いが、初代マリオパーティにプレイヤーキャラのアンロック要素はない。
    • 最初から選べる6人(マリオ~ドンキー)だけだ。しかし後のシリーズではデイジー姫やワルイージなどが新規参戦していくので、「初代では出番のなかったキャラがいる」というのもシリーズ変遷の豆知識だ。
  • 当時のCMでの扱い
    • 発売当時、実はテレビCMがあまり流れなかったという話がある。任天堂公式の情報によれば、ちょうど同時期に『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』といった大作が発売されており、そちらの宣伝に注力されていたため、『マリオパーティ』の露出は控えめだったらしい。
    • とはいえ口コミで人気が広がり、結果的にスマブラと並ぶマルチプレイ定番ソフトになったのだから面白い。
  • ミニゲームの再登場
    • 後のシリーズ作品では、初代の人気ミニゲームがリメイクや再録されることがある。有名なのはやはり「あつまれ!ビックリパック」(Bumper Balls)だろう。
    • 丸い玉に乗ってぶつかり合うシンプルなゲームで、初代では引き分けになりやすいことから「勝負がつかないw」とネタにされがちだった。
    • しかしそれも含めて愛され、20年後の『スーパー マリオパーティ』(2018)や最新の『スーパースターズ』(2021)にも復活収録されている。
    • 他にも「フェイスリフト」でのマリオの顔引っ張りや、「スロットルレース」(Slot Car Derby)のスティックぐるぐる操作など、今見てもインパクト十分な初代ミニゲームは枚挙にいとまがない。
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第5章:シリーズへの影響と初代の功績

シリーズ継続と開発チームのその後

初代の成功を受け、『マリオパーティ』シリーズは任天堂の看板パーティゲームとして定着していった。

ニンテンドー64では『2』『3』と合計3作品が発売され、ゲームキューブでも4作品、Wii以降も含めれば本編タイトルだけで10作以上がリリースされている(さらに携帯機向けやスピンオフも存在する)。

長寿シリーズとなった背景には、初代開発陣の並々ならぬアイデア力と開発スピードがあったのは前述の通り。

加えて、ハードの進化に合わせてゲーム性にも変化を取り入れてきた。例えば、据置機では長らく毎年1本ペースで新作が供給されていたが、Wii以降は少しペースが落ちつつも、代わりにWiiリモコンやJoy-Conなど新しいインターフェースに対応したミニゲームを多数生み出すなどして、新鮮さを保っている。

開発チームについて言えば、ハドソンは2011年に経営統合でコナミ傘下に入り事実上消滅してしまった。しかしマリオパーティの魂は引き継がれる。

ハドソンの主要スタッフたちは任天堂の子会社「Ndキューブ(エヌディーキューブ)」に移籍し、2012年発売の『マリオパーティ9』以降はNdキューブがシリーズ開発を担当している。要するに看板スタッフごと任天堂が迎え入れた形で、今でも池田氏や西谷氏(『2』以降参加し現Ndキューブ社長)ら当時のメンバーが最前線で活躍中。

このようにチーム体制は変われど、『マリオパーティ』シリーズは初代から変わらぬパーティゲーム路線を貫き、時代に合わせて進化を遂げながらファンに愛され続けている。

初代ならではの特徴と功績

振り返ってみると、初代『マリオパーティ』の功績は非常に大きい。まず、マリオという人気キャラたちを使って「ボードゲーム+ミニゲーム」という遊びを確立した点。

それまでTVゲームでみんなでワイワイ遊ぶといえば対戦格闘やマリオカート程度だった中で、ボードゲーム感覚で誰でも楽しめるパーティゲームというジャンルを切り拓いた意義は計り知れない 。

任天堂64というハードが4人プレイを標榜していたことも追い風となり、「友達の家にコントローラを持ち寄ってパーティゲーム」文化が育ったと言える。これは後に任天堂がWiiで展開するカジュアル路線(WiiスポーツやWiiパーティなど)にも通じる精神で、初代マリオパーティはその走りだった。

また、ゲーム内容的にも初代は後続と比べユニークな部分が目立つ。前述したようにスティック回し競争や負けるとコインを取られるミニゲームなど、尖った設計がいくつか存在した。

これらはプレイヤーに肉体的・精神的ダメージ(!?)を与えかねないため後のシリーズでは丸くなっていったが、逆に言えば初代は良くも悪くも実験的でチャレンジ精神に溢れていたとも言えるだろう。

ノコノコの通過ボーナスや、アイテム未導入ゆえのシンプルさも然りだ。「まだ荒削りな部分も多いけれど、それが初代の味」と感じるファンもいるようで 、シリーズを重ねて洗練されていった今だからこそ初代のレトロな大味っぷりが恋しい…なんて声もあるほどだ。

そして何より、初代『マリオパーティ』はみんなでゲームをする楽しさを再認識させてくれる作品だった。当時このゲームで遊んだ人なら、テレビ画面の前で隣の友達と肩を並べ、勝って喜び負けて悔しがった記憶がきっとあるだろう。


初代の発売から四半世紀が経った今でも、Switch向け最新作や往年のリメイクが登場し、「マリオパーティ」シリーズは親しまれ続けている。

ぜひこの機会に、原点であるニンテンドー64版『マリオパーティ』を遊んでみてはいかがだろうか?

当時を知る人も初めての人も、きっと手に汗握る盛り上がりを体験できるはずだ。さあ、コントローラーを4つ用意して、マリオたちと一緒にパーティを始めよう!

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