ホラーゲーム『バイオハザード』シリーズをプレイしたことがない人でも、「ラクーンシティ」という名前を聞いたことがあるかもしれない。
ミッドウェストのどこかにある架空の都市だが、作品内では実在の都市のように細かく設定されており、登場人物たちの人生と密接に結び付いている。
本記事では、ラクーンシティの歴史や地理、インフラ、そして壊滅事件までを振り返りながら、街の姿を追って行く。

ラクーンシティの基本情報
地理と位置

ラクーンシティはアメリカ中西部に位置する人口約10万人規模の工業都市で、ミッドウェスト特有の穏やかな気候に恵まれている。
街の周囲はアークレイ山地とラクーンフォレストと呼ばれる広大な森林に囲まれており、丸い弧を描くサーキュラー川が市街地を南北に貫いている。
この川は街の水運に利用され、北方のマー ブル川やエイムズ川など複数の支流がアークレイ山地から流れ込んでいる。山地にはストーンビルやシダーといった小さな集落が点在し、かつて存在したアンブレラ社の化学工場や病院もこのエリアにある。
市街地は川を境に大きく二つの地区に分かれ、西岸はアップタウンと呼ばれる住宅と商業の中心地、東岸はダウンタウンという工業や大学が集まるエリア。アップタウンとダウンタウンの境界にはエナーデイル通りとラクーン警察署(R.P.D)があり、街のランドマークのひとつとなっている。
さらに、この街は周辺の荒野や他都市との交通網によって開かれている。中心部からは石造りの橋を渡ってストーンビルやカント市、オポッサムシティ、アークレイシティといった近隣の町へ直接アクセスする道路が伸びており、街の北東部にはセダー地区と呼ばれる新興住宅地や工業ゾーンが広がっている。
主要な幹線道路にはダリオ通り、フォックス通り、エマ通りの三本があり、郊外の森へ向かう脇道も整備されている。
1968年開業のセントラル駅を中心としたトラム路線はストーンビルやアークレイシティまで延びており、石の街と森の街を結ぶ「ラクーン‑ストーンビル線」と「ラクーン‑アークレイ線」が運行していた。市内交通には市営バス「ラクーンシティリンク」もあり、住宅地から商業施設、病院までを結んでいた。
人口と住民
1998年当時のラクーンシティは10万人を超える市民が暮らす都市で、住民の約3割がアンブレラ社関連の工場や研究所に雇用されていた。
市内には警察署や消防署、総合病院、大学など公共施設がひと通り揃っており、周辺の豊かな自然もあって観光客やハイカーの姿も多く見られた。
また、後述のようにアンブレラ社の投資によって急速に発展したため、外部からの転入者も多く、多様な文化が入り混じっていた。
ラクーンシティは中規模のメトロポリスとして認識され、創設から100年以上を経てもなお人口増加が続いていた。成長を支えたのは大企業アンブレラ社で、市民の三分の一が同社と何らかの関わりを持ち、多くの人が工場や研究機関、病院や大学で働いていた。
市長や議会は同社の資金に依存しており、その結果、中央の下水網や地下トンネルは企業の支配下に置かれ、幹部や研究員が秘密裏に移動できる専用ルートとして利用されていた。
一方で市民生活は素朴で、毎年9月29日には街の守護聖人ミカエルを称える収穫祭「ミカエル祭」がセントミカエル時計塔で開催され、通りには屋台が並び、花火が上がる。
スポーツ文化も盛んで、アメフトチーム「ラクーンシャークス」や野球チーム「ラクーンシティ・オールスターズ」の試合は地域の娯楽だったと言う。ラジオ局「77.7 RCラジオ」と「Radio Raccoon 112.5FM」が毎朝の番組で最新ニュースを届け、司会者キャスパー・デヴェアのユーモアあるトークが市民の人気を集めていた。
気候
作品中で詳しい気候描写は少ないものの、周囲の森林や湖のおかげで緑豊かな環境が維持され、夏は温暖で冬は雪が積もることもある四季のある気候だと考えられる。
山地では霧や雨が発生しやすく、これがシリーズ特有の不気味な雰囲気を演出している。
歴史

ラクーンシティの歴史は意外と古く、19世紀に開拓者が定住地として整備したことに始まる。
その後しばらくは人口も少ない穏やかな町だったが、1960年代から1970年代にかけて急激な都市化が進んだ。ここでは主な出来事を年代順に追ってみよう。
1880年代
ラクーンシティはアメリカ中西部の森と川に囲まれた土地に、19世紀末の開拓者たちが築いた小さな集落として誕生した。
1881年に正式な自治体として登録され、豊かな森に棲むアライグマにちなんで「ラクーンシティ」と名付けられる。
当初は農村に毛が生えた程度の規模で、狩猟や林業を営む家族がわずかに暮らすだけの静かな村だった。
1908年
やがて町が成長し始めたのは20世紀初頭。
1908年、信徒や慈善家の寄付をもとにセントミカエル教会が市街地に鐘楼付きの大きな時計塔を建設する。
この塔の1階部分は小学校として利用され、街の子どもたちが通う学舎となる。時計塔は以後、街のシンボルとして観光客を惹きつけ、広場では収穫祭や市民集会が開催されるなど地域コミュニティの中心となった。
1913年
人口増加に伴い、1913年には時計塔近くに市営墓地が整備された。
この頃からアップタウンとダウンタウンの区別が生まれ、郊外に農地や牧場が広がる一方で、中心部では商店や行政機関が集まり始める。
1930年代
1930年代には日本人建築家K.オザワが設計した重厚な校舎を持つラクーン大学が計画され、第二次世界大戦中に完成。
キャンパスの時計塔や戦没者記念碑は戦後の平和祈念の場となり、学生や市民が教養を深める場として機能した。
1960年代
戦後の景気回復とともに街は徐々に近代化され、1960年代には技術者マイケル・ウォーレンの主導で電気網の拡張が進む。
1968年にはストーンビルやアークレイ山地への路面電車が開通し、翌年にはカイト兄弟鉄道による地下鉄も運行を開始した。
この頃、アンブレラ製薬会社が街に本社を置くと、同社の莫大な投資によって工場建設や公共施設の整備が加速する。地下鉄は当初1マイル3駅の小規模なものだったものの、1980年代には観光客の増加に対応して8駅まで拡張された。
1970〜80年代
1970〜80年代にかけては、アンブレラ社のスポンサーによる大規模開発が行われ、サーキュラー川沿いの港湾整備やトラム延伸、新たな住宅地の造成が進む。
町の経済は観光と工業の二本柱となり、動物園やスタジアム、ショッピングモールが次々と誕生。
1987年の市長選でマイケル・ウォーレンが当選すると、アンブレラ社との結び付きはさらに強まり、治安対策や福祉を名目に同社から巨額の資金が投じられた。
この時期の都市復興計画「ブライト・ラクーン21計画」では、ラクーン総合病院の建設と特殊部隊S.T.A.R.S.の創設が柱となり、街の医療と治安の向上が図られた。
1990年代
1990年代前半にはアメリカ全体を襲った景気後退の余波で街の発展も一時的に停滞し、失業率の上昇と税収の減少に悩まされている。
それでもアンブレラ社は研究施設や大学への投資を継続し、1992年には最新設備を持つラクーン総合病院を竣工させ、1994年には大学の研究棟を大幅に増築した。
一方でこの頃から河川や下水道への廃棄物の流出が指摘され、環境汚染を巡る市民の不安が高まっていた。
1998年:洋館事件とバイオハザード
1998年はラクーンシティにとって運命の年となった。5月、郊外のアークレイ研究所で実験用ウィルスが流出し、周辺で怪物による襲撃事件が相次ぐ。
6月までに地元住民やハイカーが次々と行方不明となり 、R.P.D.はカルト集団の犯行と考えたものの手がかりを得られず 、特殊部門S.T.A.R.S.が調査に派遣された。
7月、S.T.A.R.S.のブラヴォーチームが洋館(いわゆるスペンサー邸)に投入されるが消息を絶ち、続いて派遣されたアルファチームも多数の犠牲者を出す。
この「洋館事件」によりアンブレラ社の研究所が実は生物兵器の実験場であり、ゾンビや怪物の原因となるウィルスが開発されていたことが明らかになった。

1998年9月:市内感染と壊滅
洋館事件から数ヶ月後の9月、ウィリアム・バーキン博士が開発したG-ウィルスを巡る内部抗争により、t-ウィルスがラクーンシティの水源であるヴィクトリー湖へ流出してしまう。
t-ウィルスは感染した人々をゾンビ化させ、9月中旬には総合病院で最初の感染者が確認され、下旬には市内全域で感染が急速に広がった。
政府は9月24日に戒厳令を敷き、陸軍や州兵、アンブレラ社の傭兵部隊U.B.C.S.を投入して市民の避難を試みましたが、数日で制御不能となる。
10月1日、連邦政府は感染拡大を止めるため「滅菌作戦」と呼ばれる極秘作戦を実行し、実験的な熱圧兵器によるミサイル攻撃でラクーンシティを跡形もなく焼き払った。
死者は10万人を超え、市長も含めた行政機能は壊滅し、街は地図から消え去る。政府はこの決断に世論から激しい非難を浴び、当時の大統領は責任を取って辞任。
その後、放射性物質こそ残らなかったものの、周辺地域は封鎖され、研究目的の拠点が設置された。
都市インフラと主要施設
急速な発展を遂げたラクーンシティは、地方都市とは思えないほど多様なインフラと施設を持っていた。ここでは交通網や公共サービス、観光施設、産業について見て行こう。
公共サービスと治安
市政の中心であるラクーン市庁舎はアンブレラ社の支援で建設され、美しい庭園と大時計が市民に親しまれていた。
治安を守るのはラクーン警察署(R.P.D.)で、元々は美術館だった建物を改装したため内装は古風な芸術作品で飾られている。署長ブライアン・アイアンズが率いる警察署には特殊部隊S.T.A.R.S.が置かれ、洋館事件以前は凶悪事件やテロ対策を担当していた。
消防はラクーン市消防局が担当し、他に下水処理や水道管理など市営の各局が存在した。
医療面ではラクーン総合病院とスペンサー記念病院の二つの大きな病院があり、地域医療を支えていた。また、市内外の安全保障のため、アンブレラ社資金による民間の特殊部隊U.B.C.S.が組織されていたが、これは後にバイオハザードへの対処に投入される。
市庁舎はセントラル駅近くのウォーレン通り沿いに建ち、内部には4階建ての大理石張りのオフィスや会議室、劇場が設けられており、中庭には歴代市長や地元の偉人を讃える銅像が並んでいる。庭園には現市長マイケル・ウォーレンのブロンズ像もあり、市民の待ち合わせ場所として親しまれていた。
市庁舎の隣には「ラクーンプレス」と呼ばれる新聞社ビルがあり、受付から3階までのオフィスにラクーンタイムズやラクーンウィークリーの編集部が入居している。
消防部門では通常の消防署に加えて、災害対応の特別部隊「タスクフォーススクワッド9」が編成され、化学事故や大規模火災への対応を任されていた。
治安維持のため郊外にはダグラス刑務所が設置されたが、老朽化した施設ゆえに1996年には複数の脱獄未遂が起きたと記録されている。
これらの公共サービスは市民の安全を支えつつも、アンブレラ社の影響下にある行政システムの一部だったことを忘れてはならない。
観光とエンターテインメント
ラクーンシティは工業都市でありながら観光資源も豊富だった。街の中心にはセントミカエル時計塔がそびえ、周囲の公園や美術館が市民の憩いの場となっていた。
ワーレンスタジアムでは地元アメフトチーム「ラクーンシャークス」の試合が行われ、1970年代に開業したラクーン動物園は子どもから大人まで人気のスポットだった。遊園地のマスコット「Mr.ラクーン」はシリーズ作品中にも登場し、観光客のお土産として親しまれている。
ショッピングモールや書店、バーなどが集まる商業地区も賑わい、ガンショップ・ケンドやドーナツ店「ムーンズドーナツ」といった店舗はゲーム中にも登場する。また、郊外には公園や湖があり、週末には市民が釣りやキャンプを楽しんでいた。
産業と経済
ラクーンシティの経済を語る上で欠かせないのがアンブレラ社である。サーキュラー川東岸にある化学工場は数百人を雇用し、関連企業を含めると市民の約4割が同社の影響下で働いていたとされている。
アンブレラ社は総合病院や公共施設の建設資金を提供し、街の発展に大きく寄与した。ダムや発電所の運営も行っていたとされ、ビクトリー湖に築かれたラクーンダムは水道と電力の供給源となっていた。
一方で観光産業も重要で、時計塔や動物園、アークレイ山地へのツアーなどが地元経済を支えていた。メディア産業も発達しており、複数の新聞社(デイリーラクーン、ラクーンタイムズなど)や地元テレビ局「Raccoon City Broadcasting Network」が市民に情報を提供していた。
アンブレラ以外にも、日本企業の広木大西コーポレーションやホテル・レストラン運営大手のビッグウエスト社、ランズデールコーポレーションといった外資が街の経済成長に投資していた。
広木大西は住宅開発や商業施設の建設を支援し、ビッグウエストは市内のホテルや飲食店チェーンに資金を提供、ランズデールは前述の貨物ヤードを建設し物流インフラの整備に貢献した。
こうした多国籍企業の資金流入により、ラクーンシティは観光と工業、研究開発が混在した都市へと変貌したのである。
教育と医療機関
ラクーンシティには多様な教育機関が存在する。アップタウンのラクーン東小学校は市内最大の小学校で、警察犬のハンドラーのフレッドが訓練中のドーベルマン「ロケット」と「ジョジョ」を連れて子どもたちを慰問するのが恒例行事だった。洋館事件当時には、バーキン夫妻の娘シェリーもこの学校に通っていた。
大学はサーキュラー川沿いに建つ3階建ての重厚な建物で、1930年代に日本人建築家のK.オザワが設計し、第二次世界大戦中に時計塔とともに完成。
1994年にはアンブレラ社が巨額の資金を投じて施設を拡張し、研究員や学生がウイルス学や薬剤学を学ぶ場となった。学内には歴代学長の胸像や美術品が展示され、地下の実験室ではγハンターなどの開発がひそかに進められていた。川沿いには小さな港があり、学生がカヌーで水面を滑る姿も見られたという。
医療面では、1992年に建てられたラクーン総合病院が最新設備を備えており、4階建ての院内にはヘリポートと地下3階まで続く施設があった。
地下の通路は下水道とつながっており、極秘の研究施設への接続にも利用されていたとされている。病院は大量の電力を消費していたため、市の電力網に負荷をかけていたとの報告もある。
病院のマスコット「ドクター・ロック」は子どもたちに人気で、晴れた日には隣接する公園から子どもの笑い声が聞こえていた。
観光名所・公園
ラクーンシティの名所としては、セントミカエル時計塔がまず挙げられる。時計塔は町の中心部、ラクーンストリートとミッションストリートの角にあり、隣接する病院や公園に影を落としている。
内部は金とエメラルドを基調とした豪華な装飾で、女神の像や礼拝堂、図書室、装飾品が並ぶ寝室や食堂が設けられていた。9月29日には聖ミカエル祭が催され、市民は時計塔前の広場で収穫と豊穣に感謝する。
時計塔の背後にはラクーンパークが広がり、木立や泉、小川が流れる静かな憩いの場になっている。公園には1913年に設けられた市営墓地があり 、小道を進むとアークレイ山地や「デッドファクトリー」と呼ばれる廃工場へと続く道が伸びている。
また、広大な敷地内には子ども向けの遊具やピクニックエリアがあり、散歩やジョギングを楽しむ市民で賑わっていた。
ラクーン動物園も欠かせない名所で、1970年代にはイルミネーションをまとった象のパレードが人気を博した。近年では750種以上の珍しい植物を集めた「テラリウムドーム」やローマのコロッセオを模した象のステージが観光客を魅了している。
園内の看板動物は雄ライオンのマックスと象のオスカーで、子どもたちのアイドル的存在。ただし最近、理事の一人が希少な蘭を違法に取引していた疑いが浮上し、資金源に不正があったのではないかと批判を浴びた。
レジャー・飲食施設
夜の街に出ると、多彩なレジャー施設と飲食店が訪れる人を迎えてくれる。アップタウンには学生に人気の「バー・ブラックジャック」があり、レトロなピンボールマシンや地元バンドのライブが楽しめる。ここではセントミカエル時計塔を描いた絵葉書も販売されており、病院の職員も仕事帰りに立ち寄ることが多かったそうだ。
フラワー通りにあるガンショップ・ケンドは、S.T.A.R.S.隊員のバリー・バートンとも親しい銃器職人ロバート・ケンドが経営する銃砲店で、1984年に元SWATの兄弟とともに店を開いた。彼は警察やハンター向けにカスタムガンを製作し、ラクーン射撃クラブも運営していた。
映画館の隣にある「カフェ13」は小さなカフェで、地下には排水施設に通じる秘密の地下室がある。ここでは市長マイケル・ウォーレンが推薦するシティガイドが販売されていた。隣接する映画館はネオン看板が半分壊れた昔ながらのシアターで、バイオハザード4という映画を上映中というメタなジョークが洒落として描かれている。
もう少し大人向けの飲み場としては「J’sバー」があり、常連の警官ケビン・ライマンやバリー・バートンが足繁く通っていた。オーナーのジャックは裏で資金洗浄をしていたと噂される一方、料理長ウィルの秘伝レシピや100種以上のワインが人気だった。屋上には大きなネオンサインが輝き、店の近くのアパートに住む子どもたちが屋根伝いに遊びに来る姿も見られた。
宿泊施設としてはアップタウンにある「アップルイン」が代表的で、中央の中庭を囲む三階建ての造りになっている。料金は一泊25ドルと手頃で、学生や観光客に人気だった。
室内の電子地図がチカチカと光って眠れないという苦情があったり、老朽化したボイラーが問題視されたりと、古いホテルならではのエピソードも語られている。道路を挟んだ向かいには人気レストランがあり、宿泊客は気軽に食事を楽しむことができた。
物流とアンブレラ関連施設
ラクーンシティの物流拠点として注目されるのがランズデール貨物ヤードで、これは日本の企業ランズデールコーポレーションが一部出資する鉄道車両基地。
ここにはターンテーブルや車庫が複数設置され、多くの貨物列車や機関車が出入りしていた。市内には小規模な支線ヤードも存在し、会社の寄付を讃えるプレートが掲げられていた。
市の地下には広大な下水網が張り巡らされており、1990年代にはほぼ全面的にアンブレラ社の管轄下に置かれていた。幹部たちはこの通路を使って研究施設やR&Dビル、P-15B施設へ人や資材を移動させ、署長アイアンズと研究者バーキンが密会する際にも利用されていたとされる。
郊外には廃棄物処理場「P-12A処理施設(デッドファクトリー)」があり、研究で使い終わった実験体や材料を焼却するために使用さた。工場地帯や下水道では有害物質の流出が度々問題となり、環境団体が抗議活動を行う姿も記録に残っている。
壊滅事件とその後
滅菌作戦後の社会的影響

ラクーンシティの壊滅は世界的な衝撃をもたらした。政府は感染拡大を防ぐためとはいえ、住民ごと都市を焼き払ったことで批判を浴び、責任者である大統領は辞任に追い込まれる。
アンブレラ社も主要なスポンサーを失い、バイオ兵器の存在を隠していたことで各国から糾弾された。
連邦政府はアンブレラUSAに業務停止命令を出し、被害者遺族への賠償を求める「ラクーントライアル」が始まる。裁判は数年間続き、アルバート・ウェスカーの持ち出した研究データが決定的証拠となり、アンブレラ社は破産に追い込まれた。
これにより新たな国際機関「バイオテロ対策評価同盟(BSAA)」が設立され、世界各地で発生するバイオテロやウィルス事故に対応する枠組みが整う。
一方、ラクーンシティの生存者やその家族は偏見や差別に悩まされ、社会復帰が難しい状況が続いている。ゾンビ映画の象徴のように扱われることもあり、現実には深い傷跡が残った。
事件から年月が経つにつれ、多くのメディアや書籍がこの都市の悲劇を取り上げ、社会的な教訓として語り継ぐようになった。
連邦議会では情報公開と生物災害の監視を強化する法律が制定され、感染事故の隠蔽に関わった公務員や企業幹部が責任を問われている。
アンブレラ崩壊後に設立されたBSAAはラクーンシティでの教訓を胸に、世界各地で発生するバイオテロの阻止や救助活動に当たっており、ラクーン事件が「二度と繰り返してはならない教訓」として国際社会に共有された。
生き残った市民の中には遠く離れた土地で新しい生活を始めた人も多いが、事件の記憶や偏見と向き合い続けなければならず、支援団体による心のケアや記念事業が現在も続けられている。
現在のラクーンシティ跡地

壊滅から数十年経った現在でも、ラクーンシティ跡地は厳重に封鎖され、一般人の立ち入りは禁じられている。
政府の研究チームが残留するウィルスや技術の回収を行う一方、裏では闇組織「コネクション」が遺跡を利用した生体兵器の密売を続けているとも報じられている。
建物の瓦礫の下には当時爆発に巻き込まれずに生き残ったゾンビや生物兵器が潜んでいるとされ、現在でも危険な場所とされている。
あとがき
ラクーンシティは架空の都市ながら、細部まで設定が作り込まれているため、まるで実在する町の歴史や観光ガイドを読んでいるような感覚を覚える。
山や川に囲まれた自然環境、アンブレラ社による急速な工業化、時計塔や動物園といった観光名所、そして突然のバイオハザードと滅菌作戦による壊滅――その盛衰はまさにジェットコースターのようだった。
シリーズを知らない方にとってはゾンビやウィルスと聞くと身構えるかもしれないが、ラクーンシティの物語は「企業の暴走と隠蔽工作が招いた悲劇」「科学技術と倫理のバランス」といった現実にも通じるテーマを内包している。
この記事が、ゲームの舞台としてだけでなく一つの“都市伝説”としてラクーンシティに興味を持つきっかけになれば幸いである。
