【特集】PlayStation2(PS2)完全解説|特徴・進化・社会への影響を網羅

PlayStation 2
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プレイステーション2(PS2)は、2000年にソニー・コンピュータエンタテインメント(現SIE)から発売された家庭用ゲーム機。発売当時としては非常に高性能なハードウェアと、家庭用ゲーム機として世界で初めてDVDプレーヤー機能を搭載したことが大きな話題となった。

結果としてPS2は史上最も売れたゲーム機となり、全世界で累計1億6,000万台以上を販売している。約12年にわたる長期にわたって生産・販売が続けられ、多くの人々に親しまれた伝説的なゲーム機と言える。

今回はそんなプレイステーション2について徹底的に解説して行こうと思う。

「プレイステーション2(PS2)」とは?特徴から歴史まで徹底解説

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第1章:特徴:デザインとシステムの革新

PS2の本体デザインは、黒を基調としたスタイリッシュな直方体で、縦置き・横置きのどちらにも対応している。前面にはディスクトレイと2つのコントローラ端子、2つのメモリーカードスロットがあり、背面にはAVマルチ出力や光デジタル音声出力端子などを備えている。

当時珍しかった縦置きスタイルにも対応し、公式の縦置きスタンドを使用すれば本棚のように省スペースで設置することも可能だった。

発売当初、この本体デザインと周辺機器のデザインは高く評価され、2000年度のグッドデザイン賞を受賞している。

システム性能と内部構造

PS2にはソニーと東芝が共同開発した独自の高性能CPU「Emotion Engine(エモーションエンジン)」が搭載されている。これは294MHz駆動のカスタムMIPSプロセッサで、当時の家庭用ゲーム機としては破格の浮動小数点演算性能を誇り 、リアルタイムで高度な3D描写や物理演算を可能にした。

グラフィックス処理専用の「Graphics Synthesizer(グラフィックスシンセサイザ)」というチップも備え、3Dポリゴンの描画や質感表現(テクスチャマッピング)などを高速に処理が可能。この強力な独自プロセッサ構成により、前世代機(初代PS1)と比べてキャラクターの表情や光のエフェクトなど表現力が飛躍的に向上した。

当時の発表映像では、花火の粒子やキャラクターの生き生きとした表情などが披露され、来場者を驚かせたと伝えられている。

DVDドライブとマルチメディア機能

PS2はゲーム媒体としてCD-ROMに加えて新たにDVD-ROMを採用。これによりゲーム容量が飛躍的に増大し、より映像作品に近いリッチなゲーム内容が可能になった。

また、PS2本体はDVDビデオの再生機能を標準搭載しており、市販の映画DVDをそのまま視聴できる。発売当時、単体のDVDプレーヤーは高価だったが、PS2は39,800円という価格でゲーム機とDVDプレーヤーを兼ねていたため非常にお得感があり、DVD普及の起爆剤になったとも言われている。

事実、日本では話題作『マトリックス』のDVDがPS2発売と時期を同じくしてリリースされ、PS2をDVDプレーヤーとして購入する動きも相まってDVD市場の拡大に弾みがついたと言われている。

またPS2は光デジタル音声出力による5.1chサラウンドサウンドにも対応し、家庭のAV機器と組み合わせて迫力ある音響でゲームや映画を楽しめるマルチメディア機器でもあった。

下位互換性(過去機種との互換)

PS2は初代プレイステーションPS1)用のゲームソフトとの下位互換機能を備えていた。つまり、手持ちのPS1用ゲームディスクをPS2でそのまま遊ぶことができたのである。

互換性のおかげでPS1ユーザーはスムーズにPS2へ移行でき、発売当初はまだPS2向けの新作キラータイトルが少なかったものの、PS1の名作ソフト資産をそのまま活用できたことで「まずPS2本体だけ買って、ソフトはPS1のものも遊ぶ」というユーザーも多く見られた。

ただしPS1のセーブデータを保存するにはPS2用メモリーカードではなくPS1用メモリーカードが必要である点など、一部注意も必要だった。それでも、この互換機能は当時としては画期的で、後に他社のゲーム機でも過去ハードとの互換性を取り入れる動きが増えるきっかけともなった。

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第2章:コントローラー:DUALSHOCK 2の進化

PS2に付属する純正コントローラーは「DUALSHOCK 2(デュアルショック2)」と呼ばれるモデル。

外見や基本的なボタン配置は前世代のDUALSHOCK(初代PS1の後期型コントローラ)とほぼ同じで、左右のアナログスティックや振動(フォースフィードバック)機能も引き続き搭載している。

しかしDUALSHOCK 2では新たにボタンの感圧アナログ入力に対応。〇×△□など主要ボタンや方向キー、L/Rボタンに押し込みの強さを検知する機能が加わり、256段階もの細かな強弱を入力として扱うことができる。

これにより、対応するゲームではボタンの押し加減で微妙な操作の変化をつけることが可能になり、より繊細なプレイ体験が提供された。

またカラーもPS1時代のグレーから落ち着いた黒に変更され、内部のパーツも改良されたことで若干軽量化されている。

なお、PS2本体は接続されたコントローラがDUALSHOCKかDUALSHOCK 2かなどを判別する仕組みになっており、PS1用の古いコントローラも基本的には使用可能ですが、一部のPS2用ソフトではDUALSHOCK 2専用の機能を必要とするものもあった。

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第3章:開発の歴史

発表から発売まで

PS2の開発は、初代PlayStationの世界的成功を受けて1990年代後半より進められていた。正式なお披露目は1999年3月2日、東京国際フォーラムで開催された「PlayStation Meeting 1999」にて行われる。

この場で次世代プレイステーションとしてPS2が発表され、ナムコスクウェアなど有力ゲームメーカーによる技術デモンストレーション映像が公開された。

初代PS1では難しかったポリゴンやテクスチャの歪みが無く、無数の光の粒で表現された花火や滑らかに変化するキャラクターの表情といった高度な3D映像が披露され、会場の来場者たちに強い衝撃を与えたと言う。

またこの発表会には当時ソニー社長であった出井伸之氏も登壇し、「あまりにも素晴らしいものができたので応援に来た」と語ったことも話題になった。

その後、同年1999年9月13日には製品名が正式に「プレイステーション2」と決定し、日本国内での発売日が2000年3月4日価格が39,800円であることが発表される。

発売日の3月4日という日付は「3(サン)と4(シ)」で「サンシ→サンシー→SCE(Sony Computer Entertainmentの略称)」を連想させる語呂合わせも込められていたとも言われている(諸説あり)。

そして迎えた2000年3月4日、いよいよPS2は日本で発売。発売直後から記録的な売れ行きを示し、発売3日間で約60万台を販売、さらにネット通販の予約分約38万台を加えると実質約98万台もの出荷台数に達した。当時としては異例のスピードで100万台近くを売り上げたことになり、このニュースは一般のテレビニュース番組でも大きく取り上げられている。

しかし初期の頃は、その圧倒的人気ゆえに思わぬ現象も起こった。PS2の主要部品である高性能なチップが軍事転用できる可能性があるとして、兵器輸出に関する国際規制(ワッセナー・アレンジメント)の対象になるのではと話題になった。

実際に国外への持ち出し制限が検討されたとの報道もあり、高性能ゆえの逸話として語り草になる。また、日本国内の発売当初はPS2を「安価なDVDプレーヤー」として購入するライトユーザー層も多く見られた。

2000年末に発売された新型番機(SCPH-18000)の販売日には、多くの購入者がメモリーカードを買わず本体だけを購入し、店員が「メモリーカードはいかがですか?」と尋ねても「いらないです」と答える人が目立ったという。

行列に並んでいた人々に用途を聞いてみると、「DVDプレーヤーとして使いたい」という声が多く、ゲーム目的ではない購入者も相当数いたとのこと。このように、PS2はゲーム機でありながらDVDプレーヤー普及の立役者ともなり、発売直後から社会現象的な盛り上がりを見せた。

世界展開と「最長寿」ゲーム機へ

PS2は日本での大成功を皮切りに、続いて2000年10月26日に北米11月24日に欧州とオーストラリアでも発売され、世界各国で順次リリースされた。北米や欧州でも発売直後に品切れが続出し、入手困難になるほどの人気となる。

ライバルであるセガのドリームキャストや、後発の任天堂ゲームキューブ、マイクロソフトXboxとの「第6世代ゲーム機戦争」においても、PS2はその圧倒的なソフト資産とDVD再生機能の付加価値で優位に立った。特にフル互換による豊富なゲームライブラリは発売当初から他機種を圧倒し、PS2の武器となった。

2001年以降になると、『グランツーリスモ3』『メタルギアソリッド2』『ファイナルファンタジーX』などの強力なキラータイトルが国内外で次々と登場し始め、ゲーム機としてのPS2の価値も本格的に高まって行く。

また、2004年には本体デザインを大幅に刷新した薄型モデル(通称:PS2スリム)が発売された。薄型PS2は従来機の約1/4程度の重量・サイズしかなく、静音性や省電力性も向上したモデル(後述)。このリニューアルにより買い替え需要や新規ユーザーを取り込み、PS2は発売から4年以上経った時点でも販売台数を伸ばし続けた。

さらにPS3発売後もしばらくは併売が続き、2006年末の北米市場では年末商戦にPS3が約120万台売れたのに対し、PS2はそれを上回る約130万台を売り上げたというデータもあるほど。新型のPS3が高価格だったことや、PS2自体が安価になっていたこともあり、特に価格重視の層に引き続き支持されたと分析されている。

新興国市場でもDVDプレーヤー兼ゲーム機として根強い需要があり、発売から10年を超えた2011年時点でも東南アジアや中東などで売上を伸ばしていたという報告もある。

販売終了

最終的にソニーは2012年12月28日をもって日本国内でのPS2本体出荷終了を発表し、翌2013年の初頭には世界的にも生産が終了した。

日本国内で最後に発売されたPS2対応ソフトは2013年3月発売の『ファイナルファンタジーXI アドゥリンの魔境』(オンラインゲームFFXIの拡張ディスク)で、欧米では同年11月発売の『Pro Evolution Soccer 2014』(ウイニングイレブン2014)が事実上最後のタイトルとなった。

こうしてPS2は約13年にも及ぶ異例の長寿命を全うし、家庭用ゲーム機史上最長クラスのロングセラーとしてその役割を終えた。

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第4章:社会への影響とレガシー

社会的影響

PS2がもたらした影響はゲーム業界に留まらず、広く社会全体にも及んだ。まず特筆すべきは前述のようにDVD普及への貢献。

レースゲームの『グランツーリスモ3 A-spec』はリアルな車の挙動と美麗グラフィックで世界中の車好きから支持され、オープンワールド系では『グランド・セフト・オート』シリーズが自由度の高いゲーム体験で社会現象化しました。さらに日本発のタイトルでは『モンスターハンター』シリーズが友達と協力プレイする新しい遊び方を提案し、大ヒットを記録している。

PS2の登場以前は、DVDは新しい映像メディアとして徐々に普及し始めた時期だったが、PS2ほど安価で高性能なDVD再生機が一気に数百万台規模で家庭に浸透した例はなかった。

とりわけ日本においてPS2は「DVDも観られるゲーム機」として注目され、多くの家庭で初めてのDVDプレーヤーの役割を果たした。PS2発売からしばらくして、他社も次世代機でDVD再生機能を標準装備するようになり、ゲーム機が総合エンターテインメント機器へと進化する流れを作ったのである。

また、PS2の下位互換性はゲームソフト資産の有効活用という点で消費者に歓迎された。これに刺激を受け、競合他社の任天堂やマイクロソフトも後続のゲーム機で過去ハードの互換機能を取り入れるケースが増加した。

互換性は今や次世代機の価値を測る一因となっているが、その流れを作ったのはPS2の成功だったと言えるだろう。

さらにハードウェア性能の高さゆえのユニークな話題も生まれた。PS2向けに公式のLinuxキット(PS2 Linux)が発売されていたこともあり、米国の研究機関NCSAではPS2を数十台束ねてスーパーコンピュータのクラスターを構築する実験まで行われた。理論上、毎秒5,000億回の演算が可能な性能を達成したとされ、ゲーム機を使った異色の研究プロジェクトとして当時ニュースになった。

また前述のように、「PS2は兵器に転用できる」との噂が立つほどそのコストパフォーマンスは突出しており、テクノロジー面でのインパクトも絶大だった。

文化的影響

文化的な影響も見逃せない。PS2時代には『グランド・セフト・オート(GTA)』『メタルギアソリッド2』『ファイナルファンタジーX』『キングダムハーツ』『バイオハザード4』『モンスターハンター』など国内外で大ヒットしたゲームが数多く生まれた。

日本におけるPS2ソフト最高売上は『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』の約370万本であり 、世界的にも『GTA: San Andreas』が約1,700万本以上の売上を記録するなど 、PS2はゲーム史に残る名作タイトルのプラットフォームとなった。これらの作品はゲームを娯楽としてさらに主流の地位に押し上げ、PS2は「ゲーム黄金期」の象徴的存在ともなった。

PS2はその功績が評価され、2024年には「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」として国立科学博物館に登録された。これは歴史的に見て技術革新や社会への影響が大きかった製品に与えられる認定であり、ゲーム機として登録されるのは異例のことである。

20年以上経った今でもPS2は多くの人々にとって思い出深い存在であり、その遺産(レガシー)は次世代のプラットフォームやゲーム文化に引き継がれている。

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第5章:その他関連情報、名作ゲーム・周辺機器・モデルバリエーション

ドラゴンクエストⅧ

名作ゲームタイトルの数々

PS2の魅力を語る上で欠かせないのが、その豊富なゲームライブラリである。約4,000本以上とも言われる膨大なタイトル数の中から、数々の名作・ヒット作が生まれた。

ジャンルも多岐にわたり、RPGでは『ファイナルファンタジーX』や『ドラゴンクエストVIII』が物語性と映像美でユーザーを魅了し、アクションでは『メタルギアソリッド2』『バイオハザード4』が革新的な演出で話題となった。

こうしたソフトの充実もあり、「ゲームするならまずPS2」と言われるほど当時のプラットフォーム競争をリードしていった。

周辺機器とオンラインサービス

PS2は本体だけでなく、多彩な周辺機器や新サービスの登場でもユーザーを楽しませた。

まず必須アイテムだったのが容量8MBの公式メモリーカード。PS1時代は128KBだったメモリーカードも大容量化し、それでも現代と比べると可愛らしい容量である。メモリーカードには様々なカラーバリエーションモデルも発売され、好みの色で揃える楽しみもあった。

また、マルチタップと呼ばれる拡張アダプタを使えばコントローラ端子を4つに増設でき、4人同時プレイにも対応可能だった(『ボンバーマン』などパーティーゲームで活躍)。

さらにPS2初期型(厚型モデル)には拡張ベイが用意され、ハードディスクドライブ(HDD)を増設してゲームデータをインストールしたり、ネットワークアダプタを装着してブロードバンド回線に接続したりすることも可能だった。

これらを活用した代表例がオンラインRPGファイナルファンタジーXI』で、PS2にHDDとネットアダプタを装着しインターネット経由で多数のプレイヤーと遊べるという、新時代の遊びを切り拓いたタイトルとして知られている。

また、USB端子経由で接続するユニークな周辺機器も登場した。その一つが「EyeToy(アイ・トーイ)」と呼ばれる小型USBカメラ。EyeToyをテレビの上に置いて体を動かすと、カメラがプレイヤーの動きを認識し画面内のキャラクターを操作できるというもので、パーティーゲーム『EyeToy: Play』などで体感型ゲームを楽しむことができた。

これは後のKinectやスマートフォンのARゲームにも通じる先駆け的存在だった。この他にもPS2用のガンコン(ガンシューティングゲーム用光線銃型コントローラ)、ドラムやギター型コントローラ(音楽ゲーム『ギターヒーロー』シリーズ等向け)、レーシングゲーム用ハンドルコントローラなど、多数の周辺機器が発売された。

マルチメディア機能を活かす周辺機器としては、DVDリモートコントローラも人気だった。これはPS2をより便利なDVDプレーヤーとして使うための赤外線リモコンで、再生・停止やチャプター送りなどがワンタッチで行える。後期の型番では本体に赤外線受光部が内蔵され、リモコンを使いやすく改良もされている。

総じてPS2は、ゲーム以外の用途や遊び方を広げるアクセサリーが豊富で、ユーザーの創意工夫次第で様々な楽しみ方ができるプラットフォームだったと言える。

モデルバリエーション:厚型から薄型へ

PS2は発売から約4年後の2004年に大きなモデルチェンジを行った。従来の厚みのあるモデル(通称「厚型PS2」)に対し、新モデルは「PlayStation 2 Slimline(スリム)」と呼ばれ、その名の通り本体が薄くコンパクトになったのが特徴。

薄型PS2(型番 SCPH-70000シリーズ)は、本体重量が約0.9kgと従来の約2.2kgから大幅に軽量化され 、厚さも従来の7~8cmから約2.8cm程度まで薄型化された。

電源ユニットも本体内蔵ではなく外付けACアダプタ方式に変わり、本体発熱や動作音の低減にもつながっている。

また従来機ではオプションだったネットワーク機能が薄型では標準で内蔵され(イーサネットポート搭載)、別売りアダプタなしでオンラインプレイに対応した。ただしHDD拡張ベイは薄型には無くなったため、HDDを必要とする一部ソフト(FFXIなど)は厚型モデルでのみ対応となった。

薄型PS2の登場によって、PS2はデザイン面でも時代に合わせて洗練され、インテリア性も高まったと言える。以降も細かな改良モデル(後期型のSCPH-90000シリーズでは電源を再び内蔵する代わりに発熱を抑える工夫を実施など)が発売されたが、基本的な外観はこの薄型モデルがPS2の完成形となった。

また地域限定や数量限定の特別カラーモデルも多数登場し、定番の黒以外にシルバー、ホワイト、レッド、ブルー、さらには限定デザインの模様入りモデルなどコレクション性をくすぐる展開も行われた。

余談ですが、PS2の技術は思わぬ形でも活用されている。2010年には欧州で、PS2本体を内蔵したソニー製BRAVIA液晶テレビ「KDL-22PX300」という商品が発売された。テレビの下部にPS2のディスクスロットがついており、そのままPS2のゲームやDVDが楽しめるユニークな製品だった。このように発売後も長年にわたり改良・応用が加えられ、様々な形で世に貢献したのがPS2というハードだったのである。

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第6章:PS2ソフト売上ランキングTOP10

順位タイトル推定売上本数発売年
1グランド・セフト・オート サンアンドレアス1,733万本2004年
2グランツーリスモ 3:A-Spec1,489万本2001年
3グランド・セフト・オート バイスシティ1,332万本2002年
4グランツーリスモ 41,176万本2004年
5グランド・セフト・オート Ⅲ1,160万本2001年
6ファイナルファンタジーⅩ857万本2001年
7鉄拳5600万本2004年
ファイナルファンタジーⅫ600万本2006年
9キングダムハーツ590万本2002年
10メタルギアソリッド 2564万本2001年
※世界での売り上げ本数
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最後に

プレイステーション2(PS2)は、ゲーム史上類を見ない大成功を収めた家庭用ゲーム機だった。

高性能なハードによる表現力向上、DVDプレーヤー機能の搭載、過去資産との互換性など、数々の革新的な特徴で市場をリードし、結果として史上最多の1億6千万台超という普及台数を達成した。

豊富な名作ゲームに恵まれ、人々の生活の中に「ゲームと映像」の楽しみを浸透させた功績は計り知れない。

PS2がもたらした影響は次世代のプレイステーションや他社ハードにも受け継がれ、現在のゲーム文化の礎の一つとなっている。懐かしさとともに語り継がれるPS2の物語──それは単なる一台のゲーム機に留まらず、21世紀初頭のエンターテインメントの象徴そのものと言えるだろう。

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