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【特集】『クソゲー』とは?時を経て怒りが笑いに変わる愛すべき存在を徹底解説

この記事は約18分で読めます。

ゲームが趣味の人なら一度は耳にしたことがあるであろう「クソゲー」という言葉。SNSや動画サイトでは話のネタとしても登場するし、最近では漫画や小説のタイトルにも使われるようになる。

しかし「クソゲー」とは具体的にどういうゲームを指すのか、なぜそんなゲームが語り継がれるのかをご存じだろうか。

本記事では、軽い気持ちで覗き込んだ初心者が思わず沼にはまってしまうクソゲーの世界を解説して行く。

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クソゲーとは何か?

定義と一般的なイメージ

「クソゲー」は「クソ(糞)」と「ゲーム」を組み合わせた俗語である。ゲーム雑誌やユーザーが、出来の悪いゲームを酷評するときに使う表現で、1980年代後半にはファミリーコンピュータの隆盛とともに頻繁に使われるようになった。

ゲーム特化用語辞典によると、クソゲーとは「著しく出来の悪いゲーム」を指し、操作性の悪さバグの多さストーリーの破綻理不尽な難易度などが複合的に組み合わさり、プレイヤーに強いストレスを与える作品を指す。

ただし、何をもってクソゲーと感じるかは主観による部分が大きく、一部のユーザーにとっては突き抜けた欠点が逆に魅力となり、熱狂的なファンを生み出すこともある。

とはいえ、「クソゲー=つまらない」と単純に決めつけてしまうのはもったいない考え方である。操作がもっさりしていたり、バグで先に進めなかったりするゲームでも、奇抜なアイデアや印象的なキャラクターが隠れていることがある。

「ここが惜しい」と感じる部分が多いからこそ、プレイヤーは自然と突っ込みを入れたり、友人に語りたくなったりする。優等生的な作品では味わえない、独特の「おかしさ」こそがクソゲーの真骨頂であり、愛称としてこの言葉を使うファンも少なくない。

コウ
コウ

例を挙げるとするなら、PS1「遊戯王デュエルモンスターズ 封印されし記憶」は世間的にクソゲーと評されてるが、筆者的には定期的に遊びたくなる楽しいタイトルなんだよね…(笑)

語源と歴史

サン電子「いっき」

「クソゲー」という言葉の起源にはいくつか説があるが、一般的にはイラストレーターのみうらじゅん氏が発端とされている。

1985年11月発売のファミコン用ソフト『いっき』や同年12月発売の『頭脳戦艦ガル』を評する際に用いたのが始まりとされ、雑誌コラム「ゲロゲロゲームランド」でバカ映画に倣って「バカゲーム」と呼んでいたものを「自腹で金払ってるんだからバカじゃ済まないだろう」と発想を転換し、「クソゲー」と呼んだと後年語っている。

当時の誌面ではメーカーからの叱責を受け、連載が打ち切られることもあったと言う。

その後、高橋名人の著書でも「クソゲー」が言及され、ゲーム雑誌『ファミコン通信』1986年12月号に「くそゲー」という表現が登場するなど、徐々に一般化して行った。

インターネットが普及すると、「クソゲー」はネットスラングとしてさらに拡散し、SNSや掲示板でユーザー同士が共感や連帯感を得るための言葉として定着して行く。

ゲーム実況者があえてクソゲーを取り上げ、その不完全さを面白おかしく語ることで人気を集めるケースも見られる。単なる悪口ではなく、一種の文化として受け入れられていったのである。

コウ
コウ

「クソゲー」と評されるのはむしろ名誉説あり(笑)

ファミコンブームの当時は、まだゲーム開発が手探りの時代であり、小規模な開発会社が短期間で大量のソフトを送り出すことも珍しくなかった。限られた資金や人員で作品を仕上げるため、完成度よりも発売時期が優先され、未完成な要素や実験的なシステムのまま発売されたゲームもあった。

このような環境が「クソゲー」という言葉が広がる土壌となり、雑誌やテレビでは「クソゲー特集」が組まれて読者の笑いを誘った。1980年代後半の熱気とともに、多くの駄作が生まれ、ゲーム文化の歴史の一部として記憶されている。

当時のファミコン雑誌では、完成度の低いソフトを「クソソフト」や「クソゲー」とあえて呼び、読者投稿欄で「これは買うべきではない」ランキングが組まれることもあった。テクノロジーの限界に挑む開発者たちが苦闘する一方で、ユーザー側もまた試行錯誤を楽しんでいたのである。

Coffee Stain North「Goat Simulator 3」

リセットボタンを押しながら隠しコマンドを探したり、友達と情報交換しながら進めたりと、不完全さを補う遊び方が自然と生まれた。こうした “駄作” への向き合い方は、後のインディーゲームやバカゲー文化の礎にもなっている。

クソゲーと似た言葉に「バカゲー」があるが、こちらは意図的に笑いを狙ったおバカなゲームに対し、「クソゲー」は無意識のまま出来が悪くなってしまった作品を指すことが多いと言われている。

ネーミングのインパクトからネガティブな印象を受けるが、実際には開発者の事情や当時の技術的制約を理解した上で愛着を込めて語られることも少なくない。否定の強さがむしろ魅力を際立たせる面もある。

また、バカゲーは「計算された笑い」だが、クソゲーは多くの場合、制作者が真面目に作った結果の失敗である。そのギャップがプレイヤーを微妙な笑いに誘い、「どうしてこうなった?」と語り合うきっかけになる。悪名高いゲームにこそ人は惹きつけられるという逆説があり、ネガティブな評価がかえって話題を呼んで市場に残ることもある。

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クソゲーの特徴を紐解く

クソゲーにはどのような共通点があるのだろうか。

某海外サイトでは、クソゲーの特徴として、テンポの悪さ、不親切な仕様、薄いシナリオ、内容の薄さ、グラフィックや演出の不出来などを挙げている。ここでは代表的な特徴をいくつか紹介して行く。

テンポの悪さと不親切な仕様

クソゲーではないのだが、あまりにもテンポが悪いで有名な「デジモンワールド2」

クソゲーの代名詞と言えば、プレイのテンポが悪くストレスが溜まることである。最初のステージが異常に難しかったり、戦闘が長引きすぎたり、目的地が示されないまま放り出されるなど、ゲームの基本設計がプレイヤーのストレスを無視している場合が多い。

例えば、RPGでセーブができず、長いプレイ時間が台無しになったり、説明書に書かれている情報が嘘だったりすることもある。

テンポの悪さは、ロード時間の長さや会話シーンの冗長さにも表れる。例えば古いカセット式ゲームでは、次のステージに進むまで数分間待たされることもあり、その間にプレイヤーはテレビの前で手持ちぶさたになってしまう。

イベントシーンが延々と流れ、スキップ機能がないために同じムービーを繰り返し見せられる作品も少なくない間違った選択肢を選ぶと一瞬でゲームオーバーになり、再挑戦までに長いロードが挟まるケースもあり、こうした「待たされる時間」がプレイヤーの忍耐力を試す。

その理不尽さがネタとして語り継がれる一方、慣れてくるとその緊張感や不条理さを楽しめるようになるのもクソゲーの不思議な魅力である。

バグと操作性の問題

ポケモン赤緑のバグの多さは屈指

インターネットWatchが紹介した分析によると、Steamに投稿された約13万件のゲームレビューを形態素解析した結果、不評なゲームのレビューで最も多く使われていた単語は「バグ」だったと言う。

ストーリーがつまらないだけでは不評になりにくい一方、バグが多いゲームは評価が急速に下がると考察されている。操作性の悪さも同様に重大な問題で、キャラクターが思うように動かない、コマンド入力が受け付けないなど、基本的な操作が快適でない作品はクソゲーと呼ばれやすい。

バグには、壁をすり抜けて画面外に落ちて戻れなくなる「ハマり」、特定の順番でアイテムを取るとイベントが進まなくなる「フラグ管理のミス」、キャラクターが突然巨大化したり透明になったりする表示バグなど、様々な種類がある。

パッチによる修正が一般的でなかった時代は、こうした不具合を抱えたまま発売されることが多く、プレイヤーは自ら対処法を見つけ出すしかなかった。操作性も深刻で、微妙な判定のジャンプや反応の遅いボタン入力、常に滑っているような移動など、基本動作にストレスが伴うとそれだけでクソゲー認定されることがある。

プレイヤーは「どう操作すればバグを回避できるか」を研究し、逆にバグを利用して最速クリアを狙うなど、楽しみ方を工夫していた。

コウ
コウ

ただ、ポケモン赤緑のスーパーバグ集は当時から愛されてるから不思議なものだよね(笑)

薄いシナリオと演出の不出来

ヒットメーカー「ドラグナーズアリア 竜が眠るまで」

ストーリーや世界観が薄く、内輪ネタやメタ発言ばかりが目立つ作品、翻訳ミスで意味が通じない作品もクソゲーの範疇に含まれる。グラフィックやBGMなど演出面が未完成で、ゲームの第一印象が悪いケースも多い。

一方で「音楽だけは良い」というクソゲーもあり(クソゲーあるある)、BGMのクオリティが高いがゲーム内容が伴わないために話題になる作品もある。

シナリオの薄さは、主人公の目的がはっきりしないまま旅が進んだり、突然物語が終わってしまったりする形で現れる。

ローカライズに失敗したゲームでは、日本語訳が機械的に直訳されて意味不明なセリフになることもあり、プレイヤーが「これは誤字なのか伏線なのか」と混乱することも(笑)。逆に、その珍妙な翻訳がネットミームとして広まるケースもある。

演出面では、キャラクターの絵柄と背景のテイストが合っていなかったり、BGMと場面の雰囲気がちぐはぐだったりと、統一感の無さが笑いを誘う。

一方でBGMが名曲揃いのクソゲーは、サウンドトラックが別売りで人気になったり、ゲーム内容を差し置いて音楽だけが評価されたりすることもあり、「音楽ゲー」として愛される例も存在する。

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なぜクソゲーは愛されるのか

ネット文化と共感の言葉

クソゲーという言葉は単に悪口ではない。GG Dictionaryは、「クソ」という強い否定のニュアンスがゲームの出来の悪さを強調する役割を果たしている一方で、この言葉がユーザー同士の共感や連帯感を生み出すこともあると指摘している。

みんなで酷評することで笑いを共有したり、意外な楽しみ方を見つけたりする。また、ゲーム実況者やレビューサイトがあえてクソゲーを取り上げることで、独特の面白さを引き出すケースも珍しくない。

プレイヤーたちが不満や笑いを共有する「クソゲー談義」は、ある意味でコミュニティ形成の場でもある。実況動画のコメント欄で「ここ笑った」「これひどい」と盛り上がったり、SNSで自分のプレイ動画を投稿して反応を楽しんだりと、クソゲーはネタとして語る楽しみがある。

また、バグや理不尽なポイントを利用していかに速くクリアするかを競う「クソゲーRTA(リアルタイムアタック)」イベントも開催されており、失敗作を愛する文化がしっかり根付いている。ゲームそのものの出来の良し悪しではなく、そこで生まれる体験と交流こそがクソゲー愛好家を惹きつける。

インターネット黎明期には、掲示板やチャットで「このゲームは○○並みのクソゲーだ」「笑えるクソゲーを見つけた」といった投稿が盛んになり、共通言語としての役割が定着した。実況動画が普及した現代では、実況者がクソゲーをあえて実況することで、コメント欄で一緒にツッコミを入れるなどコミュニティが盛り上がる場が生まれている。

こうした共有体験が、クソゲーに対する愛着を育んでいる。

クソゲーハンターと文化

愛すべきクソ投稿者

皆さんは「クソゲーハンター」という呼び名をご存じだろうか??クソゲーをプレイすることを趣味にする人々がそう呼ばれている。

彼らは駄作の中に光るものを見つけたり、想像もしなかったバグを楽しんだりする達人である。動画サイトやSNSではクソゲーハンターによる実況動画が人気を博し、クソゲーの再評価につながることもあります。明らかに駄作である作品にも独特の魅力が存在し、それを発掘する楽しみが文化として広がっているのである。

こうした愛好家たちの活動の中には、クソゲーを持ち寄って遊ぶオフ会や、どれだけ早くクリアできるかを競う大会などもある。彼らは開発者の試行錯誤や当時の技術的制約を推測しながら作品を楽しむことが多く、単なる笑いの対象に留まらない深い考察も行っている。

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有名なクソゲーのドキュメント

ここからは、クソゲーという言葉を象徴するような作品を取り上げ、その魅力と問題点をドキュメンタリー風に紹介します。ネタバレを含みますのでご注意ください。

星をみるひと(1987年・ファミリーコンピュータ)

タイトルだけ聞くと幻想的なRPGを想像するが、プレイヤーを待ち受けているのは迷路のような理不尽さである。

ゲーム開始後、主人公は何の説明もなくフィールドに放り出される。最初に向かうべき町は「超能力で隠れている」という設定で地図上に表示されず、回復ポイントがその町にしかないため、町に気づけなければ序盤で行き詰まってしまう。

移動速度は極めて遅く、1マス進むのに約1秒かかる上に、町から出ると全く別の場所に飛ばされるなど、地形把握が困難。必要な鍵アイテムが法外に高価だったり、ノーヒントで特定地点を通過しないと手に入らない重要アイテムが存在したり、ダメージ床の存在に気づけないなど、随所に不親切な仕様が盛り込まれている。

さらに、パスワード方式のセーブは長い文字列を十字キーで1文字ずつ入力する必要があり、入力後も再開時の状態が正しく再現されないことがある。こうした不条理な設計から、攻略本がない場合にこのゲームでできることは「歩く」と「死ぬ」の二種類だけだと揶揄されることもあり、伝説的なクソゲーとして語り継がれている。

しかし、ゲームの世界観やBGMは評価が高く、サイバーパンク的な設定や主人公たちが超能力で戦う物語は今見ても独特。2020年代になってNintendo Switchなどに移植され、現代のプレイヤーがその理不尽さを笑いながら攻略する姿も見られる。

本作の開発は少人数かつ短期間で進められたとされ、テストプレイの時間が十分に取れなかったことがバランスの崩壊につながったと推測されている。敵を倒しても経験値がごくわずかしか得られないためレベル上げが苦行となり、回復手段も限られているため序盤で詰むプレイヤーが続出。

重要なアイテムを入手するには特定の壁をテレパシーで透視しなければならないなど、ノーヒントの謎解きが多く、当時の子どもたちには手に負えない作品だった。理不尽さゆえにプレイヤー同士の情報共有が盛んになり、その体験が今も語り継がれている。

発売当時はファミコンブームの真っただ中で、多くのプレイヤーが期待してソフトを手に取ったが、幻想的なタイトルに反して待っていたのは謎解きも敵の配置も容赦のないサバイバルだった。

攻略本や友達の助けを借りなければエンディングに辿り着けない難易度は、子どもたちにとっては「こんなの遊べるか!」と怒りの対象であると同時に、放課後に集まって情報交換をする格好のネタでもあった。

2020年代の移植版では、巻き戻し機能やヒント機能が加えられ、現代のプレイヤーが当時の理不尽さと向き合いながら笑い合う姿がSNS上で見られる。こうして時代を超えて語り継がれるのも、クソゲーならではの面白さだろう。

デスクリムゾン(1996年・セガサターン)

クソゲーの帝王」「最下位帝王」と呼ばれるほど伝説的な作品が『デスクリムゾン』である。開発スタッフの人数や経験が不足したまま様々なアイデアを詰め込んだ結果、ゲーム全体にわたって問題を抱え、雑誌レビューでも酷評された。

それでも独特の不条理さや不可解な台詞が話題を呼び、逆にゲームファンの注目を集めることになった。

オープニングデモは溶岩のような背景に仮面が浮かび、民族音楽風のBGMが流れるという不気味な映像で始まる。メーカー名のロゴが回転しながら飛んでくる場面は「怖い」と評され、しかもスキップすることができない。

主人公コンバット越前のプロフィール表示ではタイプライター風の音が画面とズレており、コードネームに本名を堂々と書き込んでいるなどツッコミどころが満載。カットシーンでは「上から来るぞ!気をつけろ!」と叫びながら階段を上っていく場面や、「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ!」と赤くない扉を選ぶ場面など、意味不明な台詞が多数登場する。

こうしたシュールな台詞はファンの間で合言葉となり、他の場面でもパロディとして使われるほど浸透した。

ゲームシステムはガンコントローラーで画面の敵を撃つシンプルなものだが、敵の当たり判定が怪しかったり、場面によって操作が反応しなかったりとストレスが溜まる仕様。それでも独特の世界観とセリフ回しがクセになるという声もあり、デスクリムゾンは続編が作られ、サウンドトラックCDが発売されるなど、愛されるクソゲーとして後世に残った。

制作を担当したエコールソフトウェアは、本作で家庭用市場に進出したばかりだったが、映画のような壮大な世界観とシューティングゲームの融合を目指した意欲作でもあった。実際には技術不足が足を引っ張り、ストーリーは未完のまま終わるなど粗さが目立つ。

しかし、主人公の名前「コンバット越前」や、意味ありげに登場する仮面や赤い扉といった象徴的なモチーフはファンの心に残り、同人誌やインターネット掲示板で長らくネタにされた。

ゲーム内に散りばめられた意味不明な日本語と英語の混ざった台詞も、そのシュールさ故に何度も引用されている。デスクリムゾンはその失敗作としての味わい深さが逆に評価され、今では関連グッズが発売されたり、サントラが限定再販されるなど、クソゲー文化の象徴的存在となっている。

たけしの挑戦状(1986年・ファミリーコンピュータ)

お笑い芸人ビートたけし氏が企画に参加したことで有名なアクションアドベンチャーゲームです。「常識では考えられないような謎解きや理不尽さが連続する」として昔からクソゲーの代表格とされて来た。

ゲーム内にはとんでもないゲームオーバー条件が多く、例えば飛行機で違うルートを選ぶと突然爆発してゲームオーバーになったり、ハンググライダーのステージで鳥やUFOに触れるだけで即終了となる。原住民の家で行動を誤ると釜ゆでにされる、離婚届を出さずに冒険に出かけると強制送還されるなど、現実とは全く関係のない条件でエンディングに辿り着けなくなることが多い。

さらに、パスワードを入力する画面で不適切な選択肢を選ぶとその場で主人公が気絶し、また間違ったパスワードを入力すると即ゲームオーバーになるなど、理不尽さに拍車をかけている。それでも80万本以上を売り上げるヒット作となり、2000年代以降には「北野映画に通じる芸術性がある」と再評価する声も出ている。

クソゲーでありながら、意欲的なカラオケ機能や自由度の高いゲームデザインが後の作品に影響を与えたとも言われ、愛憎半ばする作品である。

さらに本作には、当時のゲームでは珍しかったマイク機能を活用した仕掛けがあり、マイクに向かって歌わないと進まないステージや、30分以上操作せずに放置しないと発生しないイベントなど、プレイヤーの常識を覆す要素が散りばめられていた。

開発スタッフには「ゲームは自由であるべきだ」というビートたけしの哲学が強く反映されており、プレイヤーが好き勝手に行動できるように作られていた一方で、それが攻略の難しさにもつながっている。

クリアするためには仕事を辞めてゲームに集中する必要があると皮肉った説明書の文言や、唐突に登場するカラオケ喫茶のイベントなど、一般的なゲームデザインから逸脱した部分が語り草となった。こうした非常識な要素が後年のオープンワールド作品に通じる発想だと評価されることもあり、クソゲーというレッテルだけでは片付けられない深い魅力を持っている。

いっき(1985年・ファミリーコンピュータ)

『クソゲー』という言葉を広めるきっかけになった作品がサンソフトの『いっき』である。百姓一揆を題材にしたアクションシューティングで、アーケード版では2人協力プレイもできる秀作だった。

しかしファミコン版は主人公1人で一揆を起こすという設定になり、みうらじゅん氏が「一揆なのに百姓が一人で戦っている」と茶化して「クソゲー」と呼んだことからこの言葉が広まったと言われている。みうら氏はグラフィックやオープニング画面を笑いのネタにし、「友達が来た時に笑いを取るために使っていた」と語っている。

実際のゲームは当時としては遊べる出来栄えであり、ファミコン版を肯定的に評価するライターもいる。それでも「クソゲー」の語源として知られているため、歴史的には悲劇の作品と言えるだろう。近年はリメイク作やソーシャルゲーム版も登場し、元祖クソゲーとして親しまれている。

『いっき』自体は、シンプルな操作で敵を倒していく明快なゲーム性と、畑の中を駆け回る独特の画面構成が魅力の作品。アーケード版では二人協力プレイが可能で、力を合わせて年貢を取り返す爽快感があった。

しかし家庭用に移植する際、一揆というテーマを維持しながらもプレイヤーキャラクターが一人になったため、題材とのミスマッチが生まれた。主人公が竹やりで忍者や妖怪と戦う展開も、時代劇とも民話ともつかない奇妙さがあり、そこが笑いのポイントでもある。

のちにスマートフォン向けに復刻された際には元のBGMやドット絵が懐かしいと好評を博し、悪名高きクソゲーと言われた作品が、今ではレトロゲームとして愛される逆転現象も見られる。

クソゲーオブザイヤー(KOTY)

クソゲー文化を語る上で外せないのが「クソゲーオブザイヤー」(通称KOTY)です。これはインターネット掲示板5ちゃんねるのスレッドで行われていた企画で、その年に最も“クソ”だったゲームをユーザーが選び、まとめサイトやニコニコ動画で紹介するというイベントである。

ニコニコ動画に投稿された紹介動画は430万再生を超えるものもあり、Wikiの総閲覧数は約500万とアンダーグラウンドながら大きな人気を集めた。しかし、据え置き機部門のKOTYは2022年に大賞なし、2023年には活動休止となり、一つの時代の終わりを迎えている。背景にはゲーム開発環境の変化や評価基準の多様化、SNSを介した炎上リスクなど、複数の要因があると分析されている。

KOTYは単なる炎上祭りではなく、ノミネートされた作品を実際に遊んで検証する“審査員”たちの努力によって支えられていた。ゲーム機ごとに部門が分かれており、携帯機部門やPC部門、オンライン部門などが時期によって存在していた。

候補作はスレッド上で推薦され、議論を経て大賞が決定された。動画や記事で紹介される際には、単に悪口を言うだけでなく、どこが駄目でどこが面白いかを丁寧に分析するスタイルが好評を博した。

活動休止の背景には、次世代機向けのゲームが総じて品質を向上させていることや、クソゲーという言葉自体が市民権を得て特別視されなくなったこともある。今後は形を変えて再開される可能性もあり、クソゲー文化がどのように継承されていくか注目されている。

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まとめとあとがき

「クソゲー」という言葉は、本来は低品質なゲームを揶揄する否定的な表現だった。しかし、1980年代のファミコンブームと共に広まり、インターネット時代にはユーザー同士が楽しむためのネタとして定着した。

クソゲーと呼ばれる作品には共通する特徴があり、テンポの悪さや不親切な仕様、バグの多さなどが挙げられる。それでも愛好家は存在し、あえて駄作を楽しむ「クソゲーハンター」という文化が生まれている。

代表的なクソゲーとして『星をみるひと』の理不尽な仕様や『デスクリムゾン』の不可解な演出、『たけしの挑戦状』の超高難度、『いっき』の歴史的経緯などが語り継がれている。

良いゲームも悪いゲームも、時代の空気や技術的背景、作り手の事情が反映されている。クソゲーは笑い話のようでいて、その裏には開発者の挑戦や失敗、そしてユーザーの愛憎が込められている。

もしかすると何十年後には、いま評価されているゲームが別の文脈で「クソゲー」と呼ばれているかもしれない。ゲームの歴史を知り、さまざまな作品に触れることで、世間の評価を超えた自分なりの楽しみ方が見つかるだろう。あなたも気になるクソゲーを一本手に取り、その不可思議な魅力を体験してみてはいかがだろうか。

あとがきとして、ここまで読み進めてくださった方々に感謝したいと思う。クソゲーの話題は「面白半分」と受け取られがちだが、その裏には時代背景や開発者の情熱、ユーザー同士の支え合いが詰まっている。

完璧な作品ばかりを追い求めるのではなく、失敗から学び、そこに見える素朴な創意工夫や笑いに目を向けることで、ゲームという文化がより豊かに感じられるはず。次に手に取るゲームが名作か駄作かは開けてみるまで分からない。それでも未知との遭遇を楽しむ心を忘れず、新しい発見に胸を躍らせてほしいと思う。

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