2010年――それはゲームファンにとって忘れられない年であり、世界全体が大きく揺れ動いた年でもある。
新しいハードや名作ソフトが登場し、ソーシャルやモバイルの波が本格化した一方で、ハイチ地震や原油流出事故などの大災害、機密文書流出による外交危機など、社会でも多くの出来事がある。
本記事では、2010年のゲーム業界と社会背景を丁寧に振り返って行こうと思う。
世界で起きた出来事とテクノロジーの進化
ハイチ地震と震災支援

2010年1月12日、カリブ海のハイチ共和国を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生した。この地震では約300,000人が亡くなり、国民の約3分の1にあたる300万人以上が被災したと報告された。
建物の多くは耐震性が低く、首都ポルトープランスの国会議事堂や大聖堂、国連本部なども大きく損壊。世界各国から支援が寄せられた一方、十分な物資が届かない状況も続き、人々が瓦礫の中で生き延びるために奔走する姿が報じられた。
アメリカ政府は発生直後から包括的な支援を開始し、2万人以上の民間人と軍人が捜索や医療、港や空港の復旧に従事した。米国は被災地での医療活動や避難支援だけでなく、21,000人以上の自国民を安全に避難させるための輸送も行った。
同年5月の国際援助会議では、米国が2010〜2011年度にわたってハイチ復興に11億5千万ドルを拠出することを表明し、既にUSAIDが6億2,300万ドル、国防総省が4億5,900万ドル以上の支援を提供していることが示された。
元大統領のビル・クリントンとジョージ・W・ブッシュが募金キャンペーンを主導し、民間からも3,600万ドル以上の寄付が集まった。
メキシコ湾の深海原油流出事故

続いて4月20日には、メキシコ湾沖の海上掘削施設「ディープウォーター・ホライズン」で爆発事故が発生した。爆発によって施設は4月22日に沈没し、米国史上最大規模の海洋原油流出事故となった。
事故原因は、掘削中の井戸に取り付けられたコンクリートの封止材に天然ガスが入り込んで爆発したこととされ、事故により11人が死亡し17人が負傷した。漏れ出した原油は1日あたり最大6万バレルに達したと政府が推計しており、環境への影響が深刻だった。
事故後87日間にわたって原油が流出し続け、総量はおよそ1億3,400万ガロンに達しました。回収されたのは全体の16%程度に過ぎず、メキシコ湾沿岸1,300マイル以上の海岸線や湿地帯が汚染され、ウミガメやイルカ、海鳥、深海珊瑚など多様な生態系に甚大な被害を及ぼした。
観光業や漁業に依存する地域経済も大きく打撃を受け、環境保護の重要性と企業責任を巡る議論が高まった。
ウィキリークスによる機密文書流出

2010年11月には内部告発サイト「ウィキリークス」が米国大使館の機密電報25万件以上を公開し、各国の外交機密が露見した。ガーディアン紙によれば、サウジアラビアの王族が対イラン攻撃を米国に要請していたことや、米政府が国連高官をスパイするよう指示していたことなどが明らかになり、世界中で外交的な混乱を引き起こした。
これらの「ケーブルゲート」文書は政府の透明性や情報公開のあり方を巡る議論を加速させるとともに、ジャーナリズムと国家安全保障のバランスを改めて問い直す契機となった。
ウィキリークスは同年7月と10月にも米軍のアフガニスタンおよびイラク戦争に関する内部文書を公開し、戦争の実態を世に問いかけた。7月に公開された「アフガン戦争日誌」は9万件以上の報告書で構成され、タリバン攻撃の増加や秘密の「キル・キャプチャー」部隊、パキスタンとイランの関与、さらには144件以上の民間人殺害を含む195人の民間人死亡記録が明らかになった。
10月にはイラク戦争のシグアクトログ約40万件が公開され、戦闘と暴力事件が109,032件記録され、そのうち66,081件が民間人の死者であることや、イラク警察による捕虜虐待などの報告が含まれていた。これらのリークは世界のジャーナリズム史に残る事件となり、情報管理のあり方と戦争の透明性に深い影響を与えた。
経済危機からの余波と欧州債務問題

2008年のリーマンショック後、世界経済は徐々に回復の兆しを見せていたが、2010年にはギリシャを発端とする欧州債務危機が表面化した。ユーロ圏加盟国の財政赤字や失業率の高止まりが懸念され、欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)がギリシャ支援に踏み切るなど緊張が続いた。
5月2日にはIMFとユーロ圏諸国がギリシャへの緊急融資1100億ユーロを決定し、そのうちドイツが約220億ユーロを負担、代わりにギリシャ政府は30億ユーロ以上の歳出削減や増税など厳しい緊縮策を受け入れた。
この危機は欧州全体に波及し、ユーロの信頼低下や株式市場の乱高下を招き、日本の輸出企業やゲーム市場にも影響が及んだとされている。
チリ鉱山事故と奇跡の救出

2010年8月5日、チリ北部のアタカマ砂漠にあるサンホセ鉱山で落盤事故が発生し、33人の鉱夫が地下約700メートルに閉じ込められた。
事故から17日後、掘削孔に取り付けたカメラに「我々はシェルターで無事だ」というメモが映し出され、世界中が安堵した。
救助チームは複数の計画を並行して掘り進め、その一つ「プランB」が突破口となり、10月13日には33人全員が無事に地上へ戻るという奇跡的な救出劇が実現した。69日間に及ぶ閉じ込め生活を耐え抜いた彼らの姿と救出を見守る家族の涙は、困難に立ち向かう人々の強さを象徴する出来事として語り継がれている。
新たなテクノロジーの登場と普及
iPadとタブレットの革命

2010年はテクノロジーの面でも大きな節目でした。1月27日、アップルのスティーブ・ジョブズ氏ががサンフランシスコでiPadを公開し、数か月後の4月3日に発売した。
厚さ約1.3センチ、重さ約680グラムの端末に9.7インチのマルチタッチディスプレイと独自のA4チップを搭載し、発売開始から1カ月足らずで100万台を売り上げる大ヒットとなった。
パネルは1024×768ピクセルのLEDバックライト付きIPS液晶で広い視野角と鮮やかな色表現を実現しており、デジタルコンパスや加速度センサー、環境光センサーなど多くのセンサーを内蔵していた。
大容量のリチウムポリマー電池により最大10時間の連続使用が可能で、3Gモデルでも約9時間持続するとiMoreは伝えている。従来のノートパソコンやスマートフォンにはない「ソファでくつろぎながら使える」感覚が多くのユーザーを惹きつけ、電子書籍やゲーム、動画視聴のスタイルを大きく変えた。
iPhone 4とRetinaディスプレイ

同年6月24日にはiPhone 4が発売され、従来の3GSより24%薄いフラットなデザインや、当時としては驚異的な960×640ピクセルのRetinaディスプレイ、ビデオ通話機能のFaceTimeなどが搭載された。この3.5インチディスプレイはピクセル密度326ppiで800:1のコントラスト比を実現し、油を弾くコーティングが施されていた。
背面にはLEDフラッシュ付き5メガピクセルカメラを備え、720pのHD動画撮影やタップフォーカス、写真のジオタグ付けに対応し、前面にはビデオ通話用のVGAカメラも搭載されている。
ジャイロスコープや加速度センサーを組み合わせたモーション認識により、スマホ向けゲームの操作性が大幅に向上した。発売初週末に170万台を販売するなど人気を博したが、新しいステンレスフレームの設計が原因で通話が途切れる「アンテナゲート」問題も話題となった。
スマートフォンの高機能化はゲームアプリ市場の拡大を促し、後述する『Angry Birds』などの人気タイトルが世界中でダウンロードされる要因となった。
Instagram誕生と写真共有文化

スマートフォンの普及とともにSNSも進化し、10月6日に写真共有アプリ「Instagram」がApp Storeで公開された。サービスは公開初日に25,000人のユーザーを獲得し、3か月足らずで100万人に達したと報じられている。
フィルター機能で誰でも美しい写真を手軽に共有できる仕組みは、ゲームのスクリーンショット共有にも影響を与え、後のeスポーツや配信文化の土台を築いた。
フェイスブックとSNSゲーム
2009年に登場した「FarmVille」などのSNSゲームは2010年にピークを迎え、Facebook上でのカジュアルゲームが巨大なユーザー層を獲得した。サービス開始から4日で100万人を突破し、最盛期には月間8,000万以上のユーザーが農場経営に夢中になったと報じられている。
友人とのランキング競争やギフト送信など、ソーシャル要素の強いゲームデザインは従来の家庭用ゲームとは異なる魅力を放ち、マクドナルドやレディー・ガガとのタイアップイベントなど企業とのコラボも話題になった。
こうしたSNSゲームの成功は後のスマホゲーム市場拡大のきっかけとなり、ゲームを「日常の合間に遊ぶ」文化を定着させた。
ゲーム業界の新しい波
モーションコントローラと体感型ゲームの競争

2010年はゲームハードウェアでも革新が続いた。ソニーは9月にPlayStation 3向けモーションコントローラ「PlayStation Move」を発売し、任天堂のWiiリモコンに対抗した。Moveは発売からわずか数か月で世界累計410万本以上を出荷し、対応タイトルは当初24本からすぐに倍増するなど好調なスタートを切った。
一方マイクロソフトは11月に「Kinect」を発売し、カメラと赤外線センサーだけで全身の動きを読み取るコントローラーレスゲームを実現した。Kinectは発売後60日で800万台以上を販売し、2011年3月には1,000万台を突破して「史上最速で販売された家電製品」とギネス世界記録に認定された。任天堂も加速度センサーを内蔵した「Wiiリモコンプラス」を同年発売し、3社が体感型ゲーム市場を巡る競争を繰り広げた。
この年は各社がフィットネスやダンスゲームなど新しいジャンルの可能性を模索した年でもあった。特にマイクロソフトの『Kinect Sports』やハーモニックスの『Dance Central』は、リビングで身体を動かす楽しさとパーティー要素を両立させ、多くの家族やカジュアル層を取り込むことに成功した。カメラによるジェスチャー認識は後のVR技術にも応用され、インターフェースの進化を印象づけた。
3D携帯機の発表:Nintendo 3DS

任天堂は2010年3月23日に、新しい携帯ゲーム機「Nintendo 3DS」を翌年度中に発売すると発表した。発表資料によると、ニンテンドーDSシリーズの後継であり、専用メガネを使わずに3D表現を楽しめること、DSソフトとの互換性があることが明記されている。
詳しい情報はE3 2010で公開するとしており、実機が展示された同年6月のE3では裸眼立体視のインパクトが大きな話題になった。
3DSは翌2011年2月に日本で発売され、シリーズ累計1億2,500万台を売り上げたDSの後継として期待を集めた。
モバイルゲームと『Angry Birds』の旋風

スマートフォンの普及により、モバイルゲーム市場は2010年に急成長。代表例が2009年12月に配信されたパズルゲーム『Angry Birds』。2010年中に5,000万ダウンロードを突破し、多数のアプリストアでトップチャートの常連となった。
ブタの砦を鳥で崩すというシンプルなゲーム性は老若男女に受け入れられ、後にアニメやグッズ展開など巨大なメディアフランチャイズへと発展した。開発元のRovioにとって52作目のゲームだった本作は、スタジオの倒産危機を救い、フィンランド発の成功例として世界に知られることになった。
この年は他にも、タッチ操作で果物を斬りまくる『Fruit Ninja』が4月に登場し、わずか3か月で100万ダウンロードを記録する快進撃を見せた。シンプルなスコアアタックと軽快なスワイプ操作はスマホ世代の嗜好にマッチし、後にシリーズ累計で数億ダウンロードに達する。
また、二人組の独立開発者が手掛けたジャンプアクション『Doodle Jump』も2010年4月時点で350万ダウンロードを突破し、その年だけで200万本以上売れるヒットとなった。SNSゲームでは『FarmVille』が月間8,000万ユーザーを集め、ゲームが友人関係の中で共有される文化が形成された。
こうしたモバイル・ソーシャルゲームの台頭は、ゲーム業界の中心が家庭用機から手のひらサイズの端末へとシフトする兆しとなった。
インディーゲーム台頭の年

大手メーカーが高予算タイトルを制作する一方で、少数精鋭のインディーゲームも注目された。ゲーム開発者向けサイトGame Developer(旧Gamasutra)は2010年のベストインディーゲームを発表し、デンマークのVlambeerによる『Super Crate Box』、Team Meatの高難易度アクション『Super Meat Boy』、フリーウェアのローグライク『Desktop Dungeons』、メトロイド風アクション『Hero Core』、そしてフラッシュゲーム『Give Up Robot 2』などが選出された。
これらの作品は少人数で開発されながらも巧みなゲームデザインと独創性で注目を集め、ダウンロード配信の普及がクリエイターの可能性を広げることを示した。
特に『Super Meat Boy』は2人の開発者が数百の高難度ステージを作り上げ、プレイヤーに幾度となく挑戦を強いる設計が高評価を得た。また、『Give Up Robot 2』はド派手な色使いやグラップリングフックを使った爽快なアクションが支持され、Flashゲームでも深いゲーム性が実現できることを示した。
2010年にはこのほか、白黒のアートスタイルが印象的なパズルアクション『Limbo』や、精神的恐怖を追求したホラー『Amnesia: The Dark Descent』、重力を反転させながら進む『VVVVVV』などが登場し、インディー作品の多様性を世界に示した。
インディーシーンの成長はSteamやXbox Live Indie Gamesなどのオンライン配信プラットフォームが整備されたことに支えられ、パッケージ流通に頼らず世界中のプレイヤーへ直接届けられる環境が整ったことが大きな要因である。
こうした動きは後のクラウドファンディングやアーリーアクセスといった開発手法の広がりにも繋がり、ゲーム産業に長期的な影響を与えた。
ダウンロード販売とクラウドサービス

2010年は、ゲームの販売形態も変わり始めた年だった。家庭用ゲーム機ではPlayStation StoreやXbox Live Arcade、Wiiウェアといったダウンロード販売が定着し、パッケージ販売に頼らないビジネスモデルが模索された。
SteamやApp Storeのようなデジタルプラットフォームではインディー作品や旧作がセールで販売され、多くのユーザーが気軽に新しいゲームを試せるようになった。
また、NVIDIAやオンライブ社がクラウドゲームサービスを発表し、ストリーミング技術で高性能ゲームを低スペック端末でも遊べる未来図が示されたのもこの年である。オンライブのデモではブラウザ上で『Mass Effect 2』などの大作が遅延なくプレイできる様子が披露され、技術的な可能性がゲーマーを驚かせた。
こうした潮流は後のクラウドゲームやサブスクリプションサービスにつながり、ゲームの遊び方に多様性をもたらした。
2010年を彩った主なゲーム作品
『レッド・デッド・リデンプション』:西部劇の復活

ロックスター・ゲームスが手掛けたオープンワールド西部劇『レッド・デッド・リデンプション』は、2010年5月にPS3およびXbox 360で発売された。
1900年代初頭のアメリカ西部を舞台に、元無法者ジョン・マーストンが家族を救うために政府の命令に従って旧仲間を追う物語が描かれる。
広大な荒野で馬に乗って旅をしたり、賞金稼ぎやポーカーを楽しんだりと自由度の高さが魅力で、批評家評価も高く、Metacriticで95点を獲得した。ゲームオブザイヤーを受賞した作品として、オープンワールドゲームの新たな標準を示したと言えるだろう。
『マスエフェクト2』:宇宙スペースオペラの深化

バイオウェア制作のRPG『マスエフェクト2』は1月に発売され、前作で指揮官となったシェパード少佐が再び銀河の危機に立ち向かう物語が展開する。
仲間キャラクターの生死がプレイヤーの選択に左右される緊張感や、セーブデータ引き継ぎによる物語の連続性が高く評価され、批評サイトでは96点を記録した。日本語版も発売され、洋ゲーに馴染みのないプレイヤーからも支持を得た。
『ゴッド・オブ・ウォーIII』:神々の戦いの終焉

ソニー・コンピュータエンタテインメントのアクションゲーム『ゴッド・オブ・ウォーIII』は3月にPS3向けに発売された。
ギリシャ神話の世界でスパルタの戦士クレイトスが神々に復讐する最終章として、ハイエンドなグラフィックと大規模なボス戦が話題となり、Metacriticで92点を獲得した。
巨大なタイタンの背中を駆け上がる演出や壮大な音楽が印象的で、シリーズファンに強烈なインパクトを残った。
『スタークラフトII:ウイングス・オブ・リバティ』とeスポーツ

リアルタイムストラテジーの名作『スタークラフト』の正統続編が7月に発売された。キャンペーンではテラン軍のジム・レイナーが帝国に反抗する物語が描かれ、オンラインマルチプレイでは世界中のプレイヤーが激戦を繰り広げた。
発売から24時間で100万本、48時間で150万本を売り上げ、1か月で300万本を突破するなど、史上最速のRTSタイトルとなった。メタクリティックで93点を得て、韓国を中心とするeスポーツシーンではスタークラフト大会が新たな盛り上がりを見せる。
プロゲーマーによる大会がテレビ中継され、ゲームがスポーツとして認識され始めた象徴的な年になった。
『スーパーマリオギャラクシー2』と任天堂作品

任天堂はWii向けに『スーパーマリオギャラクシー2』を発売し、重力を操る3Dステージでの冒険をさらに進化させた。メタクリティックで97点という高評価を受け、ゲーム雑誌でも年間ベストに選ばれている。
他にも『ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー』や『ゼノブレイド』など、RPGファンに支持されるタイトルが登場した。
『コール オブ デューティ:ブラックオプス』とFPSの覇権

年末にはアクティビジョンの『コール オブ デューティ:ブラックオプス』が発売された。
1960年代の冷戦時代を舞台にした本作は、シリーズ初のゾンビモードを搭載したことで話題を呼び、発売初日に560万本を売り上げ、売上高は3億6,000万ドルに達した。
これは前年の『モダン・ウォーフェア2』の記録を上回るもので、史上最大のエンターテインメント発売記録として注目された。FPSの人気が頂点に達した年でもあり、オンライン対戦が日常的な遊び方として定着した。
日本のヒット作:『モンスターハンター ポータブル3rd』

国内では12月にPSP向け『モンスターハンター ポータブル3rd』が発売され、ハンティングアクションとして爆発的な人気を博した。
シングルプレイだけでなくアドホック通信による協力プレイが大きな魅力で、発売から2日で200万本を販売。カフェや学校で友人同士が集まってプレイする「狩り会」が流行し、携帯ゲーム機の底力を見せつけた。
旧作のモンスターや新規要素が盛り込まれ、日本のゲーム文化を象徴する一本となった。
業界内の事件と動向
開発スタジオの独立と再編
2010年には、大手パブリッシャーと開発者の関係を揺るがす事件もあった。
『コール オブ デューティ』シリーズを手がけていたInfinity Wardの共同設立者ジェイソン・ウェストとヴィンス・ザンペラがアクティビジョンとの契約を巡って解雇され、彼らは後にRespawn Entertainmentを設立する。
この騒動はクリエイターの権利や大型IPの報酬配分について議論を呼び、新興スタジオが大作に挑戦する流れの始まりと見なされた。
3Dテレビとゲームの試み
3D映像技術が盛り上がったのも2010年の特徴。ソニーは3D対応テレビとPS3による立体視ゲームを推進し、『ワイプアウトHD』や『グランツーリスモ5』の3Dモードを披露した。
一方で高価な機器やメガネの不便さから普及は限定的で、3Dテレビ市場そのものが数年で縮小してしまう。任天堂の3DSが裸眼3Dを実現したことは、大型画面での3D体験との差別化を図る意味でも象徴的だった。
eスポーツと配信文化の萌芽
韓国や北米で盛んだったeスポーツは、この年『スタークラフトII』の発売によって新たな段階へ進んだ。プレイヤーはTwitchなど配信プラットフォームで試合を中継し、視聴者はリアルタイムでコメントしながら観戦するスタイルが確立して行く。
また、『リーグ・オブ・レジェンド』がサービス開始から1年足らずで競技シーンを形成し、後の世界大会へと発展する土台となった。
日本でもアーケード格闘ゲームの大会や『ぷよぷよ』などのイベントが開かれ、プロゲーマーという職業への関心が高まって行く。
映画とゲームのクロスオーバー
ゲーム原作の映画や映像作品も多数公開された。2010年には『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』や『バイオハザードIV アフターライフ』が劇場公開され、『ストリートファイター レガシー』などの短編映像がファンの間で話題になった。
ゲームファンによる自主制作やファンフィルムもインターネットで広く共有され、ゲーム文化が映像分野へ浸透していく様子が見られた。
日本ゲーム業界の動き
任天堂と携帯機市場
任天堂はWiiのヒットを背景に、2010年も独自路線を貫いた。国内では『マリオギャラクシー2』や『ドンキーコング リターンズ』が発売され、家族で楽しめるゲーム作りが評価された。
また、3DSの発表により次世代携帯機への期待が高まり、裸眼立体視という新たな体験が話題となった。
E3 2010では『メタルギア ソリッド』や『キッドイカラス』など大人向け作品の3DS版も発表され、「子ども向けだけではない」とインパクトを与えた。DSシリーズの累計販売1億2,500万台を超える成功を受け、3DSでも後方互換を採用したことはユーザーへの安心感に繋がった。
ソニーとPSP・PS3の展開
ソニーはPS3の値下げとラインアップ拡充を進め、国内でもHD画質のゲームが普及し始めた。『ゴッド・オブ・ウォーIII』や『龍が如く4』、『白騎士物語』に加え、『キングダム ハーツ バース バイスリープ』や『グランツーリスモ5』といった大作が続々登場し、コアゲーマーを引き付ける。
一方携帯機のPSPでは『モンスターハンター ポータブル3rd』が社会現象となり、外出先での協力プレイ文化が広がった。
さらにスクウェア・エニックスの『キングダム ハーツ バース バイスリープ』や日本ファルコムのRPGがヒットし、PSPがRPGユーザーの中心地となった。PlayStation Moveの発売により、PS3でもモーションゲームが楽しめるようになったことは、家族層への訴求力を高める試みだった。
マイクロソフトとXbox 360
マイクロソフトは北米市場で強いXbox 360を軸に、新型筐体「Xbox 360 S」を発売した。従来モデルより静音性と冷却性能を向上させたこのモデルは、Wi‑Fi機能を標準搭載し、年末商戦で売り上げを伸ばした。
また、Kinectを投入することで体感ゲーム市場に参入し、『Kinect Adventures!』や『Kinectimals』など家族向けタイトルを展開した。
コア向けにも『Halo: Reach』や『Fable III』といった独占タイトルが発売され、オンラインサービスXbox Liveのコミュニティを活性化した。ただし日本市場では国内タイトルの少なさから苦戦が続き、Kinectの浸透も限定的だった。
PCゲームとオンライン市場
日本ではPCゲーム市場が小さいと言われるものの、2010年頃からオンラインゲームやブラウザゲームが増え始めた。『ファンタシースターオンライン2』の前身となるタイトルや、『グランブルーファンタジー』の先駆けとなるソーシャルRPGが企画段階に入り、スマホで遊べるRPGとして後の大ヒットに繋がった。
また、Riot Gamesが開発した『League of Legends』が国際的な盛り上がりを見せ始め、日本でも一部のゲーマーが北米サーバーで競技プレイを始めた。
Steamを通じて海外のインディーゲームが日本に輸入されることも増え、ゲーム文化の多様化が進む。
社会とゲームの交差点
災害とゲーム業界の支援
ハイチ地震やメキシコ湾原油流出事故では、ゲーム業界も支援活動を行う。
多数のゲーム会社がチャリティーセールや義援金キャンペーンを実施し、『World of Warcraft』のプレイヤーがゲーム内ペットを購入すると寄付金が送られる仕組みが作られるなど、バーチャルコミュニティが現実世界の支援に貢献する事例が注目された。
こうした動きは、ゲームが娯楽だけでなく社会的な力を持つことを示している。
SNSとゲーム実況文化
2010年はYouTubeやニコニコ動画など動画サイトでゲーム実況が一気に広がった年でもある。サンドボックスゲーム『Minecraft』のプレイ動画や友達同士の協力プレイを映した『New Super Mario Bros. Wii』の実況が人気となり、プレイヤーがゲームを「観る」楽しみを発見した。
この頃にはJustin.tv(後のTwitch)がゲーム配信専用のカテゴリを開設し、世界中のプレイヤーがリアルタイムで腕前を披露する文化が芽生える。ライブ配信文化が拡大するにつれ、ゲーム実況者やストリーマーが新しい職業として認知され始め、後のeスポーツ実況やVtuberの登場に繋がる。
女性ゲーマーと多様性の拡大
カジュアルゲームやSNSゲームの増加により、女性やシニア層のゲーム参加率が上昇した。『FarmVille』や『Angry Birds』に加え、パズルゲーム『Bejeweled』や脳トレ系のタイトルが広く普及したことで、ゲームが特定層の娯楽ではなく幅広い人々の日常の一部になりつつあることが明らかになった。
特にSNSゲームでは実名で友人と交流しながら遊ぶため女性ユーザーが多く、広告やイベントにもファッションブランドやアーティストとのコラボが増えた。
また、ゲーム開発現場でも女性クリエイターやプロデューサーの活躍が増え、強い女性主人公や多様な民族背景を持つキャラクターが描かれるようになり、物語の多様性が広がって行く。
おわりに
2010年は、ゲーム産業と社会情勢の双方で多くの変化が起きた忘れがたい一年だった。ハイチ地震や原油流出事故、機密文書の流出など世界が動揺した一方で、iPadやiPhone 4、Instagramといった新しいテクノロジーが登場し、人々の生活とエンターテインメントの形を変えた。
ゲーム業界では、モーションコントローラによる体感ゲーム、3D携帯機の発表、モバイルゲームとインディーゲームの台頭など新しい潮流が生まれ、多様な作品がプレイヤーを魅了した。『レッド・デッド・リデンプション』や『マスエフェクト2』に代表される大作RPG、『Angry Birds』や『Super Meat Boy』などのインディー作品、協力プレイやダウンロード販売の拡大――これらは2010年がゲーム史にとって重要な節目であったことを物語っている。
社会の大きな出来事とゲーム産業は無関係ではない。災害支援にゲームコミュニティが貢献したり、SNSがゲームの遊び方を変えたりと、双方が影響し合いながら進化して来た。
2010年という年を振り返ることは、現在のゲーム文化やテクノロジーの背景を理解するうえで大きな意味がある。このドキュメンタリー風のまとめが、当時を知らない人にもあの時代の空気を感じてもらえる一助となれば幸いだ。
