1981年に登場したアーケードゲーム『ドンキーコング』は、今やゲームファンなら誰もが知る名作である。発売当時はまだシューティングや単純なスコアアタックが主流で、ステージに物語を持たせたゲームはほとんど存在しなかった。
そんな時代に、任天堂が世に送り出した本作は、かわいらしいキャラクターとシンプルな操作で「お姫さまを助ける」物語を描き、多くの人々を虜にした。
当時のアーケード業界は『スペースインベーダー』や『パックマン』が大ヒットした「黄金期」にあったが、ゲーム内容は敵を撃ち落としたり迷路で点を集めたりと単調になりがちだった。宮本茂が初めて手掛けたこのゲームは、そんな時代に「物語を語るゲーム」という新風を吹き込む。
ビルの工事現場という日常的な舞台や、やや間抜けなゴリラと大工の青年というキャラクター設定は、当時の子どもや大人に親しみやすく、ユーモア溢れる世界観として受け止められた。
本記事では、ゲームの概要やストーリー、キャラクター、ゲームシステム、制作秘話から社会的影響、数々のトリビアまでを紹介して行こうと思う。

- 発売日:1981年7月
- プラットフォーム:アーケード/ファミリーコンピュータ
- 開発:任天堂開発第一部
- 発売:任天堂
- デザイナー:宮本茂
- プロデューザー:横井軍平
- シリーズ:ドンキーコングシリーズ
使用している画像は全てファミコン版のものです。
概要

タイトルと発売時期
『ドンキーコング(Donkey Kong)』は、1981年7月に稼働を開始した任天堂のアーケードゲーム。赤い鉄骨と梯子が組まれたビルの工事現場を舞台に、主人公のジャンプマン(後のマリオ)がゴリラのドンキーコングにさらわれた恋人を救出するという内容で、当時85,000台以上を出荷したと言われる大ヒット作となった。
アーケード版は縦長のモニターと3MHzのZ80チップを搭載した専用基板で動作し、16KB前後のROM容量に様々な要素を詰め込んでいた。このゲームは人気に火が付くと、ファミリーコンピュータやNESだけでなくColecoVisionやAtari 2600、ゲーム&ウオッチなど多くの家庭用ゲーム機へ移植された。
家庭用移植版では縦長の画面を横長のテレビ画面に合わせたり、色数を調整したりするためにグラフィックやサウンドの簡略化が行われている。1983年に発売されたファミコン版は113万本以上を売り上げ、家庭用ゲームの普及にも大きく貢献した。
プラットフォームとゲーム性
本作は縦スクロール型の固定画面アクションゲームで、プレイヤーはジョイスティック1本とジャンプボタン1つで操作する。建設途中の鉄骨を登りながら、コングの投げる樽や炎などをジャンプでかわしたり、ハンマーで破壊したりしてゴールを目指す。
1ゲームは3ライフ制で、スコア7,000点で1アップするルールです。4つのステージを順番に攻略するとゲームがループし、周回ごとに難易度が上昇して行く。
ステージは25m、50m、75m、100mの4面で構成され、これらを順番にクリアすると再び25mに戻る4面ループ方式である。
ストーリーと世界観
『ドンキーコング』はわずかなカットシーンながら、ゲーム開始前にドンキーコングが建築現場をよじ登って恋人を連れ去り、プレイヤーが下から追いかけるという物語が描かれる。この演出はゲームにストーリー性を持たせる先駆けとなり、後続作品に大きな影響を与えた。
舞台はアメリカ・ニューヨークの高層ビルという設定で、ジャンプマンは当初大工(のちに配管工)という設定でした。
宮本が考えた企画書には「頑固なゴリラ、駆け出しの大工、恋人の三角関係」というドラマが書かれており、彼は映画『美女と野獣』や『キングコング』からインスピレーションを受けていた。
主人公が恋人を助けるという目的が明確であるため、プレイヤーはシンプルな操作ながら感情移入しやすく、カットシーンではハートマークや「LOVE」の文字が点滅して二人の距離が縮まる様子が描かれている。ステージごとに短いアニメーションが挿入されるこの演出は、後に『ゼルダの伝説』や『スーパーマリオブラザーズ』といった作品のイベントシーンへと引き継がれたと言う。
ストーリー

ゲームの冒頭、巨大なゴリラ・ドンキーコングが鉄骨をよじ登り、ジャンプマンの恋人(日本版では「レディ」、欧米版では「ポリーン」)を肩に担ぎ上げ、最上階で彼女を足で踏みつけるかのようにジャンプして鉄骨を傾ける。
その上でコングは樽や鉄骨を転がし、ジャンプマンの行く手を阻む。プレイヤーの目的は、ひたすら梯子を上り、コングがいる最上段に到達すること。レディは途中のステージでバッグや帽子、傘など持ち物を落としており、これらを回収すると得点が入る。
最終面のリベットステージで全てのビスを抜くと鉄骨が崩れ落ち、コングが落下してレディが救出される演出になる。ゲームの各面の間には短いカットシーンが挿入され、ジャンプマンがレディに近づくたびにハートマークが出て「LOVE」と表現されるほのぼのとした演出が特徴。
エンディングでは、コングを倒した後にジャンプマンとレディが抱き合い、「I DID IT!」と喜び合う姿が描かれる。このようにアクションゲームに物語の起承転結を持たせたのは本作が初めてで、後のゲームに多大な影響を与えた。
4ステージをクリアすると再び25mから開始する。周回を重ねるごとに敵のスピードが速くなり、制限時間の減るペースも加速する。
最大難易度は5周目で、その後は難易度がループするが、プログラムのバグによりレベル22に到達するとわずか8秒ほどでタイムがゼロになり強制ミスとなる「キルスクリーン」と呼ばれる現象が起こる。トッププレイヤーはここまでにどれだけスコアを稼げるかを競う。
登場キャラクター
『ドンキーコング』には個性豊かなキャラクターが登場し、その後の任天堂作品に大きな影響を残した。
ジャンプマン/マリオ

プレイヤーキャラクターで、発売当時は正式名称が決まっておらず、取扱説明書などでは「ジャンプマン」「救助マン」と呼ばれていた。後に続編『ドンキーコングJr.』や家庭用移植版で「マリオ」と名付けられ、以降任天堂の看板キャラクターとして活躍する。
ハードウェアの制約から小さな画面でも目立つように鼻やひげ、帽子、オーバーオールという特徴的なデザインが採用された。当初は大工だったが、『マリオブラザーズ』以降は配管工に設定が変更された。
名前の由来については諸説あるが、アメリカの任天堂オフィスが借りていた倉庫のオーナーであるマリオ・セガール氏がゲーム制作中に家賃の催促に来た際、その風貌がキャラクターに似ていたことから名付けられたと言われている。
ドンキーコング

巨大なゴリラであり、本作のボスキャラクター。ジャンプマンのペットだった設定で、主人公をからかうために恋人をさらって工事中のビルに立てこもる。
当初任天堂はキャラクターを『ポパイ』の悪役ブルートに置き換えたゲームを企画していたが、ライセンスが取得できず、オリジナルキャラクターのゴリラに変更した。
名前の語源は「とんま」「まぬけ」を意味する英単語を辞書で調べた結果「Donkey」が出てきたこと、当時『キングコング』の影響で「Kong」が大型のゴリラを指す言葉と誤解されていたことから、響きの良さで組み合わせたと言われている。
制作時には「Funny Kong」「Crazy Kong」など複数の候補があり、最終的に「Donkey Kong」が採用された。
オリジナル版のエンディングで宮本茂さんは「マリオとドンキーは本当の敵同士ではないため、殺すのではなく知恵を使って気を失わせる」というテーマを示しており、後年のシリーズでは2代目のドンキーコングが主人公となり、初代ドンキーは「クランキーコング」として長老役に変化するなど物語が続いて行く。
レディ/ポリーン

ジャンプマンの恋人で、ドンキーコングにさらわれるヒロイン。日本版では一般名詞の「レディ」と呼ばれ、1983年のファミコン版以降もそのまま使われていたが、アメリカのアニメ『Saturday Supercade』で個人名「ポリーン」が付けられ、この名が1986年以降の海外版で正式に採用された。
日本でポリーンという名が正式に使用されたのは、1994年発売のゲームボーイ版『ドンキーコング』以降。後年『スーパーマリオ オデッセイ』などで再登場し、マリオシリーズの象徴的な女性キャラとなった。
ゲームシステム
基本操作と目的
プレイヤーはジョイスティックで左右移動と梯子の昇降を行い、ジャンプボタンで障害物を跳び越える。
樽やファイアーボールなどに当たるとミスになり、3ライフを全て失うとゲームオーバー。になる。ハンマーアイテムを取ると一定時間攻撃が可能となり、樽や敵を破壊して高得点を狙える。
ステージ構成
ゲームは4つの固定ステージからなる。各ステージは高さを表す「25m」「50m」「75m」「100m」で命名され、ビルを上へ上へと登っていく感覚を演出している。
- 25m(バレルステージ):斜めの足場を登りながら、ドンキーコングが投げる樽をジャンプでかわす基本ステージ。火薬樽がOIL缶にぶつかると炎が発生する。
- 50m(コンベアステージ):ベルトコンベアが左右に動き、乗っているセメントを飛び越える必要があります。ジャンプには慣性が働かないため、コンベアの進行方向を考えて動かなければならない。
- 75m(エレベーターステージ):上下するリフトやジャッキ(スプリング)が登場し、ジャンプのタイミングが重要。
- 100m(リベットステージ):鉄骨のビスを8本外すと鉄骨が崩れ、ドンキーコングが落下してクリアとなる。
各ステージには制限時間が設定されており、残り時間が得点に加算されるため、スピーディーにクリアすることが高得点への近道となる。
ジャンプとハンマーの革新

開発初期は梯子を登って避けるだけのゲームだったため、「いつも逃げ回るだけでつまらない」という意見や難易度への懸念があった。そこで樽をジャンプで回避するアイデアが生まれ、ゲームに盛り込まれた。
1981年当時はジャンプ機能を持つゲームが少なかったことから、この仕様は本作の最大の売りとなり、プレイヤーが能動的に障害物を避ける爽快感を与えている。
また、ハンマーを使って障害物を破壊できる点は、『パックマン』におけるパワークッキーのような力の逆転を実現し、緊張感のメリハリを生み出した。
スコアシステム
樽や敵をジャンプで越えると100点、2個同時に飛び越えると300点、3個なら800点といったボーナス得点がある。ハンマーで樽や敵を破壊すると加点され、残り時間も得点に加算される。
レディが落としたバッグ、傘、帽子などのアイテムは各100点のボーナス。得点が一定に達するとライフが1つ増え、長時間プレイが可能になる。
制作・誕生秘話
ラダーゲームからプラットフォーマーへ
『ドンキーコング』の開発は任天堂のビデオゲーム事業の転機となった。1980年に発売したシューティングゲーム『レーダースコープ』が北米市場で振るわず、大量の基板が在庫として残っていた。
任天堂の山内溥社長は、これらの基板を再利用するために新しいゲームを作るよう若きデザイナーの宮本茂さんに命じる。宮本さんは当初「ポパイ」のキャラクターを使ったゲームを企画したが、ライセンス交渉が難航し、独自キャラクターに変更する。
開発は池上通信機のプログラマー4人に委託され、1981年4月から約3か月の短期間で完成させなければならなかったと回想さしている。当時のゲーム開発期間は通常3か月程度だったが、本作は仕様変更が相次ぎ最終的に4~5か月を要したと宮本さんは語っている。
ジャンプマンのデザインとネーミング
ハードウェアの制約から小さなドット絵でも見栄えがするよう、ジャンプマンのデザインには大きな鼻と口ひげ、帽子、オーバーオールが採用された。
当初は「ジャンプマン」「救助マン」と呼ばれていましたが、後にアメリカの倉庫オーナー・マリオ・セガール氏の名前にちなみ「マリオ」と正式に名付けられた。
宮本さんは当初キャラクターを「Mr.ビデオ」と呼び、ファミコン以降も様々なゲームに登場させることを目指していた。
ドンキーコングの名付けと裏話
ゴリラの名前は、広報部の本郷好尾さんが「とんま」という日本語を英和辞典で調べたところ「donkey(ロバ)」という単語があり、さらに当時『キングコング』の影響で「Kong」がゴリラの俗称と誤解されていたことから「Donkey Kong」と組み合わせたのが由来になっている。
宮本さんは他にも「ステューピッドコング」「ファニーコング」などの案を出していたが、最終的に「Donkey Kong」に決定した。なお、宮本さんはゲームの構想段階でゴリラに頭巾をかぶせ「鞍馬コング」と名付けようとしたというエピソードも残っている。
開発途中の試行錯誤
当初は樽を避ける手段が梯子しかなく、プレイヤーがひたすら逃げるだけの単調なゲームになっていた。そのためジャンプで樽を回避するアイデアが採用され、さらにハンマーで障害物を破壊する要素が追加された。
このジャンプアクションが当時は珍しかったため、大きな注目を集めた。また、ゲームの面構成や操作系も会議中に決まり、レバー1本とボタン1つというシンプルな操作で誰でも遊べるよう設計されている。
池上通信機との裁判
プログラムの大半を担当した池上通信機は、1983年7月に「基板を無断で複製された」として任天堂に著作権侵害で損害賠償を請求した。任天堂も「ゲームデザインは自社が担当しており、池上通信機には請求権がない」として逆に提訴する。
この裁判は結局和解に至り、判決は出なかった。
その後、引き渡されたROMに池上通信機の社名や電話番号が隠されていたため、任天堂は続編『ドンキーコングJr.』を開発する際に自ら逆アセンブルを行う必要があったとも言われている。
社会や業界に与えた影響
任天堂の転機となった大ヒット
『ドンキーコング』は当時の任天堂を救った作品と言っても過言ではない。
アメリカでの在庫処理のために作られた本作は、結果として北米でも大ヒットし、60,000台以上の筐体が売れたとも報じられている。
1982年だけで1億8,000万ドルの売上を記録し、後に家庭用移植版による収益を含めると40億ドルにも達したと伝えられている。日本国内でもアーケード版の稼働は長期間続き、ファミコン版は113万本以上売り上げた。
ゲームデザインへの影響
本作はゲームにストーリーを導入し、キャラクター性を持たせた先駆けと評されている。
ステージ開始前やクリア時にカットシーンを挿入し、ゲームと物語を自然につなぐ手法はそれまでになかったもので、後のアクションゲームに大きな影響を与えた。
さらにジャンプを主体としたゲーム性は、後に『スーパーマリオブラザーズ』など数多くのプラットフォームゲームへ受け継がれた。
また、マリオがハンマーで障害物を破壊するアイデアは、その後のマリオシリーズで「ハンマー投げ」や「ハンマー武器」としてたびたび登場する。本作に登場する火の粉やリフトも『スーパーマリオブラザーズ』シリーズにモチーフとして引用されており、任天堂のゲームデザインにおける重要な礎となっている。
法廷闘争と知的財産の重要性
1982年、米大手映画会社ユニバーサルは「ドンキーコングが映画『キングコング』(1976年版)の著作権を侵害している」として任天堂を提訴した。
しかし任天堂のアメリカ法人は、「ユニバーサルがリメイク版公開時に『キングコング』が公有財産であると主張して勝訴していた」と反論し、逆に名誉毀損で反訴する。
裁判では、両作品の印象が全く異なることやユニバーサルに商標権がないことが認められ、1986年に任天堂が約160万ドルの損害賠償を勝ち取る形で決着した。
この裁判は、ゲームが著作権や商標権の観点から他メディアと同等の扱いを受けることを示した先駆例として知られている。
任天堂側の弁護士ジョン・カービィ氏の活躍は社内外で伝説となり、後にコピー能力を持つピンクのキャラクター「カービィ」の名前の由来になったとされている。
高得点競争とeスポーツの萌芽
『ドンキーコング』は登場直後からスコアアタックの競技性が注目され、米誌『ライフ』がビデオゲーム大会を取り上げた際にはビリー・ミッチェルらがチャンピオンとして紹介された。
21世紀に入ると、映画『The King of Kong: A Fistful of Quarters』(2007年)が、元エンジニアのスティーブ・ウィービーがミッチェルの高得点を超えようと奮闘する姿をドキュメンタリーとして描き、世界中の観客に衝撃を与えた。
映画ではウィービーが947,200点や1,006,600点などの新記録を打ち立てる一方、ミッチェルがビデオ映像でスコア1,047,200点を示したため論争になった様子が紹介されている。
その後もドンキーコングの世界記録は更新され続け、2019年3月にはジョン・マッカーディが1,272,700点をマークして世界記録保持者となった。このリストを見ると、医師のハンク・チェンや若手プレイヤーのウェス・コープランド、ロビー・レイクマンらが次々に高スコアを叩き出し、もはや映画『キング・オブ・コング』の時代とは別次元の争いが繰り広げられていることが分かる。
また、2018年にはミッチェルの過去の記録がエミュレーター利用で不正に取得された疑惑が浮上し、Twin Galaxiesとギネス世界記録が彼のスコアを一時削除した。最終的には訴訟などを経て歴史的スコアとして別枠で掲載され、ミッチェルはTwin Galaxiesの大会からは永久追放されている。
こうしたハイスコア競争は、eスポーツという言葉が生まれる以前から、アーケードゲームにおける競技精神とコミュニティを育んで来た。
文化への波及
『ドンキーコング』はその後、アニメ番組『サタデー・スーパーケード』やアメリカンコミックなど多くのメディアに登場し、マリオやドンキーコングというキャラクターが世界的な知名度を獲得するきっかけになった。
また、ファミコン版の発売により家庭用ゲーム市場の拡大にも貢献した。海外ではColecoVisionやAtari 2600など他社ハードにも移植され、ライセンスビジネスの広がりを示した。
その他のエピソード
クレイジーコングとコピー作品
本作がヒットしたことで、非ライセンスのコピーゲームも多数登場した。中でも有名なのが池上通信機が後にセガと共同で開発した『Congo Bongo』(日本名『ティップタップ』)で、クォータービューを採用し立体的な視点でプレイするゲームだった。
また、クレイジーコングというコピー基板はドンキーコングとほぼ同じゲーム内容ながら、バランスや速度が異なるためファンの間で語り草となっている。
キャラクターのその後
初代ドンキーコングは後年「クランキーコング」となり、スーパーファミコンの『スーパードンキーコング』シリーズでは主人公ドンキーコングの祖父という設定で登場する。レディことポリーンは長らく出番ががなかったが、『マリオvs.ドンキーコング』シリーズや『スーパーマリオ オデッセイ』で再登場し、ニュードンク・シティの市長として歌声を披露するなど、新たな役割を得ている。
マリオは言わずもがな、任天堂を代表するキャラクターとして数え切れないほどのゲームに出演し、世界的なアイコンとなった。
他作品へのカメオ出演
ドンキーコングは『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズにファイターとして参戦し、ハンマーで叩くモーションや転がる樽など原作の特徴を再現している。
また、アメリカの映画『シュガー・ラッシュ(Wreck-It Ralph)』では、建物を破壊する悪役ラルフがドンキーコングをオマージュしており、本作が現代の創作物にも影響を与えていることが分かる。
あとがき
『ドンキーコング』は単なる懐かしのアーケードゲームに留まらず、キャラクターやゲームデザイン、ビジネスモデルに至るまで多方面に影響を与えた作品である。ジャンプマンがマリオへと成長し、ドンキーコングがクランキーコングへと代替わりするなど、物語は今も広がり続けている。
裁判やハイスコア競争、コピー基板など数々のドラマが生まれたのも、このゲームが多くの人に愛され、注目されてきた証だろう。
もしこの記事を読んで初めて『ドンキーコング』に興味を持った方がいれば、ぜひ一度プレイしてみて欲しい。
シンプルな操作ながら奥深いゲーム性に、きっと夢中になるはず。そして、レディを救い出したときの達成感を、1981年当時のプレイヤーと同じように感じていただければ幸いである。
